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【能登地震】復興ビジョン描き歩む
和倉温泉、復旧の道半ばでも……
若手経営者が奮起
石川・七尾市
年間約80万人の宿泊客が訪れていた石川県七尾市の和倉温泉。能登半島地震による被害は甚大で、多くの旅館・ホテルは営業再開のめどが立っていない。困難を乗り越えて復旧・復興を果たし、代々続く温泉宿や商店を守ろうと、若手経営者らが2040年への創造的復興ビジョンを掲げ、希望の光を見いだしている。=能登半島地震取材班
2040年の街、私たちの手で
多田委員長(右端)から被災状況や復興ビジョンの取り組みを聞く(左から)江曽ゆかり七尾市議、谷内県代表、横山信一参院議員=3日 石川・七尾市
「一番いい形で新年を迎えたのに……」。こう語るのは和倉温泉旅館協同組合青年部長で、旅館「おくだや」代表取締役の奥田一博さん。昨年、旅館を改修してリニューアルオープンさせた矢先の地震だった。
旅館の建物は傾き、壁には無数のひび割れが。「建て替えの方が安いかもしれない」。改修で多額の資金を費やしており「さらなる借り入れは相当厳しい」と肩を落とす。和倉温泉全体が施設の損壊や断水などで心が折れるほどの被害に見舞われる中、「公明党は1月の早い段階から駆け付けてくれた。感謝している」と奥田さんは振り返る。
険しい復旧・復興の道のり。さらに前を向くきっかけになったのが、2月下旬に発表された「和倉温泉の創造的復興ビジョン」だ。壊滅的な温泉地の復旧・復興には長い年月を要する。そのため、和倉温泉の将来を担う30代~50代の若手経営者ら16人が2月上旬に集まり、ワーキング委員会を立ち上げ、復興ビジョンを作成した。
ビジョンのコンセプトは「能登の里山里海を“めぐるちから”に。和倉温泉」。宿泊や入浴、食事の“館内完結型”という従来の地元の発想を超えた「泊食分離」や、温泉街への長期滞在を促し、街を歩きながら食事や景観を楽しんでもらう回遊性向上を提案。また、高台への避難場所設置による防災力強化など未来の温泉街の姿を描いた。
奥田さんはワーキング委員会を「街のことを話し合うきっかけになった。1000年に一度のピンチを、むしろ1000年に一度のチャンスと捉えたい」と力を込めた。現在は2週間に1回程度、ビジョンの具体化へ議論を進めている。
ワーキング委員会の委員長を務めるのは、旅館「多田屋」代表取締役社長の多田健太郎さん。自身の旅館が被災しながら、和倉温泉全体の再建に心を合わせる必要性を強調し、「復旧・復興の思いが一つになるよう寄り添っていきたい」と意気込む。
復興ビジョンは3月11日に県知事へ、同28日に七尾市長へ提出し、自治体の復興計画への反映を要請した。
公明、現地調査重ね、継続的支援に全力
公明党は災害対策本部と地元の地方議員を中心に、被災地を重ねて歩き、現場の声に真剣に耳を傾けている。当面、和倉温泉全体の営業再開が難しい状況を踏まえ、同温泉を奥能登の復旧作業に携わる人材の支援拠点に活用することを政府に提案し、実現している。今月3日、多田委員長と現地で懇談した谷内律夫県代表(県議)らは「公明党として復興までの継続的な支援に全力を挙げる」と約束した。