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対談 きょう広島原爆の日 「被爆の実相」次世代へ
「ヒロシマを語る会」代表 豊永恵三郎氏 × 公明党副代表、国土交通相 斉藤鉄夫氏
広島に原爆が投下され、きょうで78年目を迎えました。被爆者が減っていく中、いかに若い世代へ「被爆の実相」を伝えていくか。長年にわたり被爆の証言活動を続け、海外に居住する被爆者(在外被爆者)の救済にも取り組んできた「ヒロシマを語る会」の豊永恵三郎代表と、公明党の斉藤鉄夫副代表(党広島県本部顧問、国土交通相)に語り合ってもらいました。
■サミット、世界に惨状伝えた(豊永)
■核廃絶に向けて一歩前進(斉藤)
斉藤 豊永さんは9歳の時に広島で被爆されたそうですね。
豊永 当時、広島駅近くで母と3歳になる弟と3人で暮らしていました。8月6日の朝、私は爆心地から離れた病院に向かっていました。すごい轟音と爆風で、振り返ると広島市内の空は真っ赤です。家に戻ろうと駅で待っていると、市内からの電車が来ました。
降りてきた人たちは、みんな髪の毛がチリチリで顔は真っ黒に焼けていました。手を前に出し、その指先から溶けた皮が垂れ下がっているのです。幽霊か何かを見ているような恐ろしい光景でした。
斉藤 お母さんと弟さんは無事だったのですか。
豊永 祖父らと探し回り自宅近くの山中で発見しました。母は大やけどで顔が黒く腫れ上がり、誰か分からない状態で倒れていました。そばに無傷の弟がいたおかげで気付けたのです。幸い母は回復し、長生きすることができました。
斉藤 核兵器の非人道性を改めて痛感します。
今年5月、この被爆地・広島で初となるG7サミット(先進7カ国首脳会議)が開催されました。どうご覧になりましたか。
豊永 実は、私はあまり期待していませんでした。核兵器を持つ国の指導者もいる中で、どこまで核廃絶に踏み込めるのかと。
しかし、世界から大勢のジャーナリストが来ましたね。彼らは自由に平和記念資料館(原爆資料館)を見たり、被爆者の話を聞いたりして、自国に伝えたはずです。それを受け、多くの人が広島に来るでしょう。広島の惨状を世界に伝えるという点では意義があったと評価しています。
斉藤 私もG7首脳が原爆資料館を見学し、被爆者の証言に耳を傾けたことは、核廃絶に向けた一歩前進であったと思います。カナダのトルドー首相は「もう一度、原爆資料館を見たい」とサミット最終日に再訪問し、本館も含めてじっくり見学しました。
豊永 日韓の両首脳が平和記念公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑に献花したことも画期的でした。韓国大統領が広島を訪れたのは、今回が初めてです。
■「黒い雨」上告断念を要請(斉藤)
■国外の被害者支援に感謝(豊永)
斉藤 豊永さんとの出会いは、在韓被爆者を支援する活動を通じてでした。もう20年以上前でしょうか。
豊永 斉藤さんには超党派の国会議員でつくる「議員懇談会」(議員懇)の会長として、大変にお世話になりました。
当時、日本に住む被爆者は「被爆者援護法」によって、被爆者手帳が交付され、各種手当が支給されていましたが、国外に住む被爆者は除外されていました。
斉藤 旧厚生省の「402号通達」が原因でした。韓国人被爆者の郭貴勲さん(故人)が起こした裁判で、大阪高裁は「通達は違法」との判決を下します。政府が人道的見地から上告を断念したことで、支援拡充の道が大きく開かれました。
豊永 斉藤さんをはじめとする議員懇が動いてくれたおかげです。現地調査で韓国にも行っていただき、非常に感謝しています。その時の厚生労働大臣が公明党の坂口力さんであったこともよかった。最終的には、海外から手当や手帳の申請も可能となりました。
斉藤 最近では、広島原爆の投下後に降った「黒い雨」の被害者救済でも動きがありました。今年3月、国の新基準に基づき、韓国に在住する男性への手帳交付が初めて認定されました。
豊永 私たちの会が、10年以上にわたり支援してきた方です。認定要件が緩和されたことで、やっと手帳取得が実現しました。
斉藤 国が救済に動くきっかけとなった「黒い雨」訴訟については、私も菅義偉首相(当時)に上告しないよう要請していました。
残る課題として、北朝鮮に住む被爆者への支援が手つかずのままです。引き続き、政府に取り組みを促していきます。
■証言聞き、誰もが継承者に(斉藤)
斉藤 豊永さんは今年3月に「ヒロシマを語る会」を再結成されました。
豊永 約40年前、被爆者13人で結成し、修学旅行生に体験を語ってきましたが、会員の高齢化で2001年に解散しました。昨年、結成時のメンバーが私だけになり、「次の世代に体験を引き継がなければ」と思ったのがきっかけです。
斉藤 存命の被爆者が少なくなる中、「被爆の実相」を伝えていくには、どうすればいいでしょうか。
豊永 私は“継承者”が大事だと思っています。一人の被爆者の話を深く聞いて、その人が周りに伝えていく。若い世代には「今のうちに被爆者と仲良くなって、じっくり話を聞いてはどうか」と訴えています。
斉藤 誰もが継承者になれるわけですね。他に必要な取り組みはありますか。
豊永 小中学生に話す機会は多いのですが、実は高校生が少ないのです。高校生になれば、ウクライナ侵略などの国際情勢を踏まえた話もできます。
斉藤 その通りです。公明党広島県議団も6月の議会で、県内高校への被爆証言の推進を訴えています。
豊永 ありがとうございます。私は87歳ですが、まだまだ体験を語り続けます。一昨年、亡くなられた坪井直さんは90歳を超えても語り続けたのですから。
斉藤 私たち公明党も、被爆者の方々の思いを胸に、「核なき世界」への歩みを力強く進めていきます。
とよなが・けいさぶろう
1936年生まれ。9歳の時、広島市で被爆。広島大学卒業後、私立高校の教員となる。72年、韓国の在外被爆者を支援する「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部を設立。84年、被爆体験を語る「ヒロシマを語る会」を結成。