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コラム「北斗七星」
「君、人に熱と誠があれば何事でも達成するよ」と、友を励ましたという北里柴三郎が、世界初の破傷風菌の純粋培養に成功したのは、130年前(1889年)の春、36歳だった。青年の情熱が“不可能”とされた細菌学の定説を覆した◆10年後の5月、北里に見いだされた22歳の野口英世が、横浜海港検疫所の検疫医官補に。横浜港で船内のペスト患者を発見・隔離したことが評価され、その10月には清国(現中国)でペストと戦う国際予防委員会の一員に抜擢された◆後に黄熱病の研究で世界的に注目された野口は、「私は少しも恐れるところがない。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ」と熱い言葉を残した。ノーベル賞候補にも名を連ねたこの2人は共に、青年時代の奮闘で、世界の医学界に一石を投じている◆北里は2024年に発行される新千円札の肖像に選ばれ、野口は04年から千円札の顔だが、その前の千円札、夏目金之助が初めて「漱石」を名乗ったのも、1889年の5月で、22歳だった◆近づく夏の参院選へ、公明党も青年の予定候補、党員、支持者が躍動する。若き日の漱石は「攻むる時は、韋駄天(足の速い神)の如く」(漱石人生論集『愚見数則』)とつづった。令和最初の決戦も、熱き青年が韋駄天のごとく走り勝利を開く。(三)