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母娘が奏でる希望のマーチ
東日本大震災12年1カ月
鈴木香織さん一家の3.11からの歩み
福島・南相馬市
福島県南相馬市には、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で一時、避難生活を余儀なくされながらも「音楽を続けたい」との子どもたちの熱意で結成されたマーチングバンドがある。そのグループの名は「Seeds+(シーズプラス)」。小学生から大学生らが演奏を通して全国各地へ“福島の今”を伝えている。同グループの代表・鈴木香織さん(46)とメンバーでもある長女・朝日さん(22)、次女・真日瑠さん(13)の3.11からの歩みを追った。(東日本大震災取材班 川又哲也、千葉正人)
避難先から奮い立つ
仲間と「シーズプラス」結成
笑顔で希望のマーチを奏で続ける(右から)鈴木香織さん、朝日さん、真日瑠さん=福島・南相馬市
母・香織さん、長女・朝日さんの母校は南相馬市立原町第一小学校。マーチングバンドの名門校である。2010年には全日本吹奏楽連盟主催の小学校バンドフェスティバル全国大会で金賞に輝いた。
11年3月11日、授業が終わり、当時4年生の朝日さんは、練習のため音楽室へ。その途中の午後2時46分、東日本大震災が発生した。
児童は校庭に集められ、迎えに来た保護者に引き渡された。朝日さんは、6年生の兄・日向さんと一緒に香織さんに連れられ自宅へ。同小学校がある原町区は原発事故に伴い、緊急時避難準備区域となり、祖母と妹の真日瑠さんと総勢5人で車に乗って福島市へ避難。その後、茨城県の親せき宅に約1カ月、身を寄せた。
マーチングの演奏で各地に「福島の元気」を届けてきた「シーズプラス」
「住み慣れた福島に戻りたい」。鈴木さん一家は同年4月、南相馬市から120キロ以上離れた会津若松市へ移り、2年半暮らした。同じ頃、マーチングバンド部の同級生も家族と共に次々と近くに引っ越してきた。
朝日さんのパートはカラーガード。近所の公園でフラッグ(旗)の振り付けの練習を始めると、仲間が一人、また一人と集まった。その頃、一人の部員が「もう1回、みんなで大会に出たい」と部活の世話役になっていた香織さんに直談判した。この言葉を聞いた部員と保護者は奮い立つ。香織さんを中心に楽器と練習会場の確保へ奔走し、6月から練習を再開。東京、埼玉、山形など1都6県に避難していた一部の部員は、ユーチューブや通話アプリ・スカイプを使い練習を続けた。
県外避難で連絡が取れなくなった部員もいたが翌12年2月、小規模編成の「ステージドリル」でマーチングコンテスト全国大会への出場を果たし、優秀賞を獲得。そして同年3月には中高生も加わり「シーズプラス」を結成、福島県外で演奏する機会が増えた。
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当時、原発事故への誤解や偏見で福島の子どもたちへの嫌がらせやいじめが相次いだ。香織さんは、県外では「福島から来たと言いづらい空気」を感じ「原町第一小学校」のジャンパーを脱いだこともあったという。
シーズプラスのメンバーは不安を感じながらも「音楽で人々を元気づけたい」と地道な演奏活動に励んでいた。その子どもたちの思いを受け止めた人がいた。サッカー日本代表の“伝説的”サポーター「ちょんまげ隊長ツンさん」こと角田寛和さん(60)である。角田さんは「子どもたちの夢をかなえたい」とサポーター人脈から各所に働き掛けた。これに賛同したサッカーJ2(当時)・愛媛FCが14年9月14日、松山市で行われた公式戦にシーズプラスを招待。
試合開始前、子どもたちが精いっぱい演奏すると、スタジアムを埋め尽くした観衆から“南相馬コール”が沸き起こった。朝日さんは「こんなにも南相馬に思いを寄せてくれる人がいて感動した」と当時を振り返る。
「真心の支援に応えたい」
全国の被災地などでコンサート
カラーガードを担当してきた朝日さん。今月から小学校教諭として新生活をスタートした
熊本地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震……。自然災害が起きるたび、シーズプラスの子どもたちは自主的に南相馬市内で街頭募金を実施。「福島から元気を届けたい」と被災地に赴き、コンサートと、子どもたちが福島の放射線量の現状や食の安全への取り組みを調べ「福島県のいま報告会」を開いてきた。メンバーの胸中には「全国からの真心の支援に応えたい」との思いがある。
昨年11月、朝日さんはサッカーワールドカップ・カタール大会を観戦し、現地の大学生と交流する催しに招かれた。ツンさんらサポーター有志の企画である。
「お姉ちゃんみたいに南相馬を伝えたい」とトランペットの練習に励む真日瑠さん
朝日さんは英語で福島の観光や食の安全、復興の現状を報告したが、現地の学生からは「街には黒い袋(除染廃棄物を詰めたフレコンバッグ)がいっぱいあって放射線が心配」との誤解に基づく反応が。「海外では福島の今が報道されないので現状が伝わってない」と悔しい思いをした。
離れても、思いは共に
避難先で記念写真に納まる香織さん、朝日さん、真日瑠さん=2011年4月 福島・会津若松市(鈴木さん提供)
「優しい言葉を掛けるだけでいい。困っている人に手を差し伸べる人になるんだよ」。香織さんは大震災で学んだ一番大切なことを常々、わが子とシーズプラスのメンバーに話してきた。
「福島の私たちは友だちと別れたり、古里を失ったり震災のつらさを経験しました」と語る朝日さん。今月から神奈川県川崎市の小学校の教壇に立っている。大震災の経験を通し「子どもたちの気持ちに寄り添う教師になりたい」と誓う。
真日瑠さんは小学2年生からトランペットを始め、シーズプラスのメンバーに。先月、開かれた県管弦打楽器ソロコンテスト中学の部で金賞を受賞した。「お姉ちゃんみたいに南相馬のことを多くの人に伝えたり、災害で困っている人を笑顔にしたい」と練習に励む。
12年前とほぼ同じポーズで記念撮影=今年3月 福島・南相馬市
香織さんは20代の頃、仕事と子育てに奮闘する“自分へのご褒美”として腕時計を買った。しかし、忙しい生活と3.11からの激動する毎日に追われ、着けなくなった。南相馬を巣立つ朝日さんに香織さんは、その腕時計を贈った。「離れてもママは朝日の力になるよ」との思いを込めて。
東日本大震災から12年1カ月。あの日から母と娘は希望のマーチを奏で続けている。









