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「児童手当」といえば公明党
児童手当といえば公明党です。公明党は、他党に先駆けて児童手当法案を国会に提出するなど、創設をリードした“生みの親”であり、実現後も拡充を推進してきた“育ての親”です。1月31日に発表した統一地方選への重点政策では、18歳までの対象拡大や所得制限の撤廃などを掲げています。公明党の一貫した取り組みを紹介するとともに、少子化対策に詳しい東京通信大学の増田雅暢教授に話を聞きました。
生みの親
まず地方自治体で実現
党挙げた運動で国を動かす
公明党が児童手当の実現に本格的に取り組み始めたのは、1963年10月の公明政治連盟(党の前身)第3回全国大会で「児童手当制度の新設」を掲げてからです。児童手当を子育て支援策の柱に据え、党を挙げた一大運動として展開していきました。
他党に先駆け訴え
国会では当時、野党の立場にありながら、衆参両院の本会議や委員会で早期実施を繰り返し主張。68年5月には他党に先駆けて党独自の児童手当法案を国会に提出し、注目を集めました。当時の佐藤栄作首相は「公明党が児童手当について大変熱心。公明党の熱意にほだされている」と評価しています。政府は党の訴えに対して前向きな答弁をする一方、何度も実施を見送っていました。
「もう待てない!」。政府の対応にしびれを切らした公明党の地方議員の推進により、自治体が先行して導入に動き出しました。67年12月には千葉県市川市で公明議員が提案。新潟県三条市でも公明党の主張が市当局を動かしつつありました。そして、翌68年4月には両市で実現しました。
この勢いのままに、公明党の地方議員は全国各地で提案・推進しました。東京都も都議会公明党の訴えにより、69年12月からスタート。70年4月には全国245自治体へと拡大されました。
公明議員が主導した国への意見書採択や住民による署名活動なども活発化。地方からの動きに押され、消極的だった政府も71年2月に児童手当法案を国会に提出。同5月に成立し、翌72年1月に晴れて創設されました。
育ての親
連立政権に入り政府を説得
対象年齢広げ、支給額アップ
創設当初の児童手当は、義務教育修了前までの第3子以降に月3000円の支給にとどまっていました。政府や自民党から児童手当の縮小・廃止論が出ることもありましたが、公明党は児童手当の存続と拡充を一貫して訴えてきました。
飛躍的に拡充される契機となったのが99年10月、公明党の連立政権参加です。政府や連立相手の自民党を粘り強く説得した結果、2007年までに5回にわたり拡充を実現させました。
06年に党が発表した「少子社会トータルプラン」にも、対象拡大や所得制限の撤廃などの政策を明記。その後、民主党政権下で財源の裏付けのない「子ども手当」の行き詰まりが明らかになる中、当時、野党の公明党は、民主、自民との3党協議をリードし、児童手当の復活と拡充に尽力。12年には中学校修了前まで(月1万円または1万5000円)となりました。
統一選重点政策
所得制限の撤廃掲げる
さらなる充実へ、公明党は昨年11月に「子育て応援トータルプラン」を発表し、18歳までの対象拡大などを盛り込みました。先月26日の衆院代表質問でも、石井啓一幹事長が同プランに基づき、「対象年齢・所得制限・支給額など、制度の見直しによる拡充を具体的に検討するべきだ」と主張。岸田文雄首相は同プランを参考に取り組む考えを示しています。
拡充の“けん引役”
東京通信大学 増田雅暢 教授
長年、少子化対策に携わり、04年7月から2年半は、内閣府参事官として関連施策を担当しました。児童手当は、子育ての経済的負担の軽減による家庭生活の安定と、次世代の児童の健全な育成が目的です。年間出生数が80万人を割るようになった現在では、少子化対策としての意味合いが増してきています。
児童手当の拡充における重要な転機は、公明党が連立政権に入ったことです。公明党が児童手当に与えた影響は大きく、対象年齢の引き上げや所得制限の緩和が進みました。公明党が拡充の“けん引役”を果たしてきたことは明白です。
児童手当の本来の理念からいえば、子育ては社会全体で平等に支えるべきであり、子育て世帯に分断をもたらす所得制限は撤廃するべきでしょう。所得制限に伴う自治体の事務負担の軽減にもつながります。財源の確保も含め、制度充実への議論の進展に期待しています。