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やり残した事はねぇ
「じじい部隊」が“解散” 福島・大熊町の一部避難解除
東日本大震災8年1カ月
帰郷の日めざして清掃や見守りを6年
(左から)「じじい部隊」の加井さん、鈴木さん、中島さん、横山さん、杉内さん、岡田さん
東京電力福島第1原発事故の後、全町避難が続いていた福島県大熊町の一部で10日、避難指示が解除された。事故から8年1カ月、第1原発の立地町で初めて住民帰還が進み出す。その陰には「彼らの存在があったからここまで来られた」(渡辺利綱町長)と語られる男たちがいる。先月末で6年の役目を終えた「じじい部隊」こと、町の元職員ら6人だ。道なき道を切り開いた先駆者たちの最後の3日間を追った。(東日本大震災取材班)
“解散式”では、町職員から花束を受け取り、全域復興の夢を託した=3月31日
陽光に照らされた彼らの表情には、誇らしさと、寂しさが入り交じっているように映った。役場新庁舎の開庁を前に、町の現地事務所で行われた“解散式”。6人の戦友は、節くれ立った手で花束を受け取ると、激動の日々を思い起こして目を潤ませた。「やり残した事は何もねぇ。最高の仕事ができたな」
原発事故で全住民約1万1500人が避難を強いられてから2年後の2013年4月。町の総務課長だった鈴木久友さん(66)を中心に、じじい部隊は結成された。無人の町を守り、「俺たちが必ず帰れる環境をつくってみせる」と。
メンバーは鈴木さんと、横山常光さん(66)、杉内憲成さん(67)、中島孝一さん(66)、岡田範常さん(66)、加井孝之さん(63)の6人。若き日からダム管理や建設、消防、測量などの業務を担い、町づくりの要として働いてきた仲間だ。
6年前に町の臨時職員となり、交代で現地に駐在。被ばくのリスクを負ってパトロールや水路の維持管理、一時帰宅する町民の手伝いに汗して、誰よりも大熊の大地を踏みしめてきた。
解散直前の活動もそう。町で最も高い日隠山にチェーンソーを担いで登り、展望台の雑木を伐採。翌朝も、冷たい雨に打たれながら国道288号の沿道を清掃に歩き、用意した袋が足りなくなるほどのごみを拾った。
「全域復興」の夢若き世代が継ぐ
この1年は、町の若手職員とも行動した。大熊の守り手を任せる気持ちから「仕事が遅せぇ!」と叱責ばかりしてきたが、必死で食らいつく姿に感心。最後は「じじい6人の中に飛び込んで、よくここまで頑張ったな」とねぎらった。
思わずうれし泣きする後輩に、「帰ってきた町民にしっかり対応してくれよ。もっともっと上へ行かないと、復興できないぞ」と厳しくも温かい声を重ねた。
じじい部隊が若き世代に託すのは、町の全域復興という夢。長い時間を要するかもしれないが、きっと不可能ではない。男たちの背中を思い浮かべれば、勇気が湧いてくる。
【取材後記】
「かえろう」の文字を背に、ポーズを取る「じじい部隊」=2014年9月 福島・大熊町
「誰かが草刈りをしねぇ限り、雑草はそこに一生ある。大熊の復興も同じだ。一日一歩でも進んでいけば、いつか必ず帰れるようになっから」――。“解散式”が始まる前のひととき。メンバーの一人がかつて本紙に残した言葉について聞くと、横山さんは「な、その通りになっただろ」と笑って、胸の内を静かに語った。
「俺たちは現地にいて、腹を決めていた。町の全てに責任を持つと。帰る、帰らないじゃない。環境を戻して初めて帰れるようになるんだ」と。帰郷を望む人が日に日に減り続けていた頃、6人がブルーシートで掲げた「かえろう」の文字は、自らを鼓舞する誓いでもあった。
「この写真があったから、ここまでできたぞ」。5年前の夏、咲き誇るヒマワリ畑で本紙記者が撮影した一葉は、6人にそう評され、多くのメディアにも取り上げられた。ちょっとだけ胸を張りたい。










