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2022年9月13日

「大衆とともに」60年に寄せて

公明党の前身である「公明政治連盟(公政連)」第1回全国大会で、党創立者から「大衆とともに」との立党精神が示されて、本日で60年を迎えた。長年、党の発展に貢献し、昨年議員を勇退した太田昭宏、井上義久の両常任顧問に手記を寄せてもらった。

太田昭宏常任顧問

太田昭宏 常任顧問

■創立の志が全て凝縮 地域、民衆を照らす“太陽”に

「『大衆とともに』から60年」――これが、標語、スローガンにとどまっていてはならない。私は今、そう強く感じている。

党創立者がどんな思いで公明党を結成したのか。所属議員はどうあるべきなのか。60年前の9月13日、公政連の第1回全国大会で示された指針には、その全てが込められており、私はいわば“立党宣言”であると捉えている。

当時、世界は激動し、東西冷戦の中で核戦争の脅威が日増しに高まっていた。講演翌月の10月には、米国とソ連が核使用のボタンを押すか押さないか、一触即発のところまで至った「キューバ危機」があった。一方、日本の政界は、自民党と社会党(当時)がそれぞれ派閥争いに明け暮れ、大企業や労働組合の利益を最優先する政治が横行。庶民、大衆が置き去りにされていた。

そうした状況にあって、民衆を守り、民衆の幸福のための政治を誰が担うのか――と、創立者は9月13日に公政連の議員に対し「民衆とともに歩め」と叫ばれた。ここに、公明党への全ての思いが凝縮されている。

すなわち「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に入りきって、大衆の中に死んでいっていただきたい」との言葉だ。

創立者は政治家のあるべき姿として「団結第一」「大衆直結」「たゆまざる自己研さん(勉強)」の3点を示された。冒頭に「団結」と言われている。それは「庶民をどこまでも守り抜く」道を歩む。その「志」を同じくして前に進むことが団結の要諦だと思う。

現場回り課題を直接肌で感じよ

二つ目に「大衆直結」。生活も災害も、問題は現場で起きている。庶民の生活現場に身を置くことだ。私は「現場には空気があり、匂いがあり、優先順位が分かる」と思っている。2011年の東日本大震災の後、宮城県気仙沼市の漁協に足を運んだ。たくさん要望があると想像していたが、ただ一つ、「気仙沼はカツオさえ水揚げできれば元気になる」と。現場で直接、肌で感じなければ分からない急所だった。

政治は徹底したリアリズム(現実主義)、刻々と変化する状況に対する臨機応変の自在の知恵だ。空中戦ではなく、現場の力であり、現場で直接、肌で課題を感じていくことが非常に大事だ。そこに「大衆とともに」のセンサーが起動する。さらに政治家は、情報氾濫の中、ポピュリズム(大衆迎合主義)への誘惑と権力の魔性にどう耐え得るかが試される。

そのためにも現場に足場を置くことが大切だと実感してきた。「現場はこうなっています」という説得力だ。私は季節とともに現場を歩き、正月になれば新年会に300回、桜が咲けば人が集まる所に顔を出した。夏は祭りや盆踊り、秋は文化祭、冬には餅つき100回以上……。回って回って、あいさつして話を聞くことを一年中やってきた。地域の評価はマメということ。政治家はとにかくマメが一番だ。

3番目は「自己研さん」。目の前にある課題に目をそらさない。それには、物価高やロシアのウクライナ侵略、経済、社会保障など、今ある課題を勉強する。公明新聞の解説も貴重だと思う。今は情報があふれ、民意が大きく揺れ、問題が整理されないことが多い。

中道とは「道に中る」ということ。問題を整理して本質を突き詰める、全体を俯瞰的・調和的に観る、対立する意見を超えて新たな解決の道を探る、という姿勢が大切だ。それには自身を鍛え、学び続けることだと思う。また学び続ける人には魅力が生じる。

仕事をして周囲から信頼される存在へ

それぞれの地域にいる公明党の議員は、ただ一人だ。仕事をすることで「地域の柱」として信頼される。そうして存在感を発揮していく以外に、党勢拡大の前進はない。

公明党は「太陽の党」だ。どんな人にも平等に光と熱を注ぐ太陽のように、困っている人、悩んでいる人に寄り添い、励まし、希望を持ってもらえるような存在となっていきたい。私自身、昨年議員を勇退したが、本当に数えきれない多くの方々にお世話になってきた。これからも「大衆の中に死んでいく」との指針のままに、報恩感謝の闘いをしたい。

井上義久常任顧問

井上義久 常任顧問

■党支える「生きた指針」 「衆望」つかむ議員力が重要

1962(昭和37)年の「9.13」の意義を記すに当たり、前後の出来事を含めた“流れ”を整理しておきたい。

61年11月27日に計284人の議員勢力で公明政治連盟が結成された。62年7月1日の参院選では、非改選と合わせ15議席を確保して参院第三勢力となり、本会議での代表質問権や法案提出権を持つ院内交渉団体「公明会」を結成。そして、63年4月の統一地方選を経て公政連は、議員総数1079人の陣容を整え、地方議会においても“第三勢力”となった。

統一選後に全国でスタートしたのが、公明党の政治活動の原点である市民相談だ。大衆(=地域で暮らす全ての人々)が何を求めているか、「衆望」を具体的に受け止める、いわば「大衆とともに」を具体的に日常的に実践する基盤づくりが始まった。この市民相談が、後に義務教育の教科書無償配布や児童手当、乳幼児の医療費無料化などの重要政策を実現する原動力となっていく。

震災対応で脈打つ立党精神を実感

こうした流れを踏まえると、9.13から64年11月17日の公明党の結成までに、今日まで続く党の基盤の骨格がつくられたことが分かる。9.13を起点にして、多くの先輩が党創立者の「大衆とともに」との呼び掛けに応え、「衆望」を担い得る体制が整ったからこそ、結党に至ったともいえる。なお、市民相談は75年に年間受理件数が100万件を突破し、今日までそのペースを維持していることは特筆すべきことである。

この「大衆とともに」という立党精神が、単なる言葉や観念ではなく具体的な事実として一人一人の議員に脈打っていることを強く実感したのが2011年の東日本大震災だ。家族や家、財産を失うなど自らも被災しながら、立党精神を生命に刻み公明党議員としての誇り・使命感を持って被災者に寄り添い、被災者のために奔走する議員の姿を目の当たりにし、この時ほど頭の下がる思いで公明党に誇りを持ったことはない。中には、被災者救援活動中に津波被害に遭い、命を落とした現職議員、議員OBもいた。改めてご冥福を祈りたい。

公明党は、大震災の復興に取り組む基本理念として、立党精神を具現化する決意を込めて、一人一人の被災者の人間としての心の復興、「人間の復興」を掲げた。人間の復興に終わりはない。今もなお被災地では、議員一人一人が刻一刻と変化するニーズに対応し被災者に寄り添い続けていることを記しておきたい。

議員一人一人がネットワークの要

また、震災直後は、被災自治体の行政機能がまひしており、国が前面に出て対応しなければならなかった。そこで公明党は、被災者や被災地のニーズに即対応するため、被災市町村ごとに国会議員の担当を決めた。この担当制は現在も継続している。加えて、全国の公明党議員が被災地に駆け付け、被災者の支援や全国に散らばった避難者の支援に力を尽くしてくれた。改めて感謝申し上げたい。

こうした震災対応を可能にしたのも、全国に張り巡らされた公明党のネットワークの力だ。地方議員の存在は、公明党にとっての生命線だ。議員一人一人が地域のネットワークの要役として「小さな声を聴く力」を磨き、地域のニーズだけでなく、政策が地域に与える影響をも把握することが求められる。政策は住民の声を抽象化して形づくられるが、政策の先には、人が見えていないといけない。多様な民意を受け止め、どう集約するか、たゆみない議員力の向上が求められている。

その姿勢は与党でも、野党でも変わらず必要だ。特に与党は現場のニーズに応え、具体化するスピード感が求められるが、現場に入って「衆望」、本当の大衆の気持ちをつかみ切れているのか、常に自分に問わないといけない。その不断の作業こそがポピュリズム(大衆迎合主義)と一線を画す要ではないかと思う。公明党が「大衆とともに」を「生きた指針」として保ち続けることが日本の政治に大きな変革をもたらすことを信じている。

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