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てい談 公害克服した“奇跡の実話”
映画『ある町の高い煙突』が6月公開へ
数学者・作家、新田次郎氏の子息 藤原正彦氏
監督 松村克弥氏
公明党代表 山口那津男氏
作家・新田氏の同名小説が原作。小説の執筆を勧めたのは山口代表の父
茨城県日立市に今から100年以上前、鉱山の煙害を克服するため、世界一高い煙突が建設されました。この実話を題材にした映画『ある町の高い煙突』が今年6月半ばから全国で順次公開されます。原作は直木賞作家・新田次郎氏の同名小説(文春文庫)。実は小説にするよう勧めたのが公明党の山口那津男代表の父・秀男氏でした。そんな縁から新田氏の息子で数学者・作家としても著名な藤原正彦氏と、監督の松村克弥氏、山口代表が映画の魅力などについて語り合いました。
藤原
熱情溢れる若い力結集し難題打開できた点に注目
山口 大煙突は日立市のシンボルです。自宅からも見えましたし、私が通った小学校の校歌にも「大煙突の烟は絶えず」と出てきます。今回の映画化を多くの市民と共に喜んでいる一人です。
松村 残念ながら、大煙突は1993年に折れてしまい、約3分の1の高さになりましたが、今も現役のようですね。
市民の皆さんの、大煙突への愛情をひしひしと感じながら、満足のいく作品に仕上げることができました。昨年11月の試写会では藤原先生から、いい評価を頂くこともできました。
藤原 小説も良いが、映画も素晴らしかったですね。父も映画を見たら、きっと喜ぶだろうなと。
松村 それはうれしいです。新田先生は小説を書くに当たり、主人公・関根三郎のモデルになった関右馬允さんにずいぶん取材をされたようですね。だから小説を読んでいてもリアリティー(現実感)があり、映画の人物造形にとても役立ちました。
藤原 その関さんを父・新田次郎に紹介した気象庁OBの友人が、山口代表のお父さんだったと知ったのは、つい最近のことです。
小説の「あとがき」冒頭には、「小説『ある町の高い煙突』を書かないかとすすめてくれたのは、日立市天気相談所所長の山口秀男氏であった」とあります。つまり、山口代表のお父さんと私の父がいなければ、この小説は地上に存在しなかったと言えますね。
山口 そのとおりですね。いろいろな縁が重なった結果だろうと思います。
きっかけは1967年に父が新田先生を、日立公民館開催の文化講演会の講師として招待したことでした。終了後、父が郷土の歴史として、日立鉱山の大煙突建設にまつわる話を紹介したところ、新田先生が興味を持たれたそうです。
翌日、二人で関さん宅を訪ねると、関さんが一枚のはがきを差し出してきたそうです。それは、新田先生の出世作『強力伝』を読んで感動した関さんが新田先生に手紙を送った、その返事だったのです。
松村 すごい偶然ですね。
松村
共存共栄のメッセージを世界に向けて発信したい
山口 二人はすっかり意気投合し、小説執筆へと結び付いていきました。小説は『週刊言論』(潮出版社)に連載後、69年に文藝春秋から単行本として出版されました。この年の青少年読書感想文全国コンクールの高校生向け課題図書に選ばれ、ベストセラーになったことを、父はとても喜んでいました。
松村 映画の舞台となった明治から大正にかけては、国策の名の下に多くの町や人々が工業化の犠牲になり、反対運動が多発していた時代です。
その中にあって、ここでは被害者である住民と加害者の企業双方が努力を重ね、煙害問題を見事に乗り越えています。まさに「奇跡」と言っていいと思います。
山口 小説が書かれた当時、高度経済成長の真っただ中で大気汚染や水質汚濁、土壌汚染などが各地で噴出し、日本は「公害列島」と化していました。
公明党の取り組みにより、国が公害対策に本格的に踏み出すようになった一方、住民と企業が対立を先鋭化させた揚げ句、裁判で決着するという事例がその後、相次ぎました。
これらを見て父が「裁判での完結は決して望ましいことではない。大煙突の史実は、共存共栄という解決の道があることを教えている」と語っていたのが忘れられません。
藤原 そう思います。その共存共栄を可能ならしめたのは、住民と企業双方のリーダーが若者だったからだと思います。皆、すごく素直で故郷を守る熱情に溢れていました。若い力を結集したからこそ難題を打開できたという点に注目しています。
ただし、闘争心むき出しの男ばかりを描いていたら、がさつな小説で終わってしまう。その点、父は主人公の恋愛模様を物語の中にうまく織り込んでいて、「うまいなあ」と関心しながら読みました。
映画でも、企業側の交渉担当者の妹でありながら、住民側のリーダー・関根と恋に落ちる加屋千穂という女性が楚々として、物語のアクセントになっています。
山口
環境対策で先行投資した史実、新興国のヒントに
松村 欧米諸国を中心に自国優先主義やポピュリズム(大衆迎合主義)が横行し、今、「分断」が世界を覆うキーワードの一つとなっています。大煙突建設の史実はその対極にあると言っていいと思います。映画を通じて、日本のみならず世界に向けてメッセージを発信していきたい。
山口 中国の習近平国家主席に対して「日本は高度経済成長期に各地で公害と闘った歴史があります。環境対策は先行投資が大事だから、中国の発展のために日本の苦い教訓を役立ててほしい」と伝えたことがあります。
当時、大煙突の建設は、企業にとって大きな決断だったと思います。しかしそれが、どう実を結んだか。中国などの新興国でも、きっとヒントになるに違いありません。
藤原 今でこそ企業の社会的責任(CSR)が叫ばれますが、映画で描かれている時代は今から100年以上前のことです。日清・日露戦争の後で日本が疲弊していた時期にも重なります。こうした状況下で社運を懸けた一大事業に乗り出した経営者は、本当に立派だったと思います。ぜひ、多くの人に映画を見てもらいたいですね。
あらすじ
1905年、茨城県北東部に日立鉱山が創業。やがて足尾(栃木県)、別子(愛媛県)、小坂(秋田県)と並ぶ4大銅山となったが、銅の製錬時に発生する亜硫酸ガスが山を枯らし、農作物に被害を及ぼすようになった。
そこで立ち上がったのが地元の若者・関根三郎だった。旧制第一高等学校に合格し、将来は外交官を志望していたが、進学を断念して、村人のために企業側と交渉する。その後、住民と企業が対立を乗り越え、煙害克服に共に手を携えて挑む。こうして14年に完成したのが、当時としては世界一高い155.7メートルの煙突だった。
ふじわら・まさひこ
1943年、旧満州(現中国東北部)生まれ。東京大学理学部数学科卒。同大学院修士課程修了。理学博士。お茶の水女子大学名誉教授。姫路文学館館長。近刊『国家と教養』(新潮新書)はベストセラー。新田次郎・藤原てい夫妻(共に作家)の次男。
まつむら・かつや
1963年、東京都生まれ。成城大学文芸学部卒。毎日映画社に入社後、ドキュメンタリーや短編記録映画など100本近くに携わる。91年からフリーに。代表作に日本近代美術の父・岡倉天心の晩年を描いた『天心』(2013年公開)など。