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東日本大震災9年6カ月 3.11の教訓 未来へつなぐ
東日本大震災から9年6カ月。被災地では、3.11の記憶と教訓を次世代につなごうと、「震災遺構」を保存し、伝承活動に活用する動きが広がっている。岩手、宮城、福島の被災3県の取り組みを追った。(東日本大震災取材班 西村碧、武田将宣)
岩手・陸前高田市 今なお続く仮設暮らし
秋の気配を運ぶ広田湾からの浜風が心地よい。岩手県陸前高田市竹駒町の一角に立ち並ぶ滝の里仮設団地。一時は最大86世帯が入居し、にぎやかだった団地も、今は空室が目立ち、閑散としている。
「当初は2、3年くらいでここを出られるかと思っていたんだよ」。この団地で、中山ヨツ子さん(86)は10回目の夏を迎えた。集会所の壁には、仮設の仲間と交流した思い出の写真が飾られている。
中山さんは、4畳半2間にキッチンを備えた仮設で息子家族と3人暮らし。発災から3カ月後に入居した。「部屋は狭いし、隣の家の声が気になって。冬場は寒くて、壁は結露で水滴だらけだった」と当時を振り返る。
再建先に選んだ同市気仙町は、土地区画整理事業の計画変更が相次ぎ、宅地の引き渡しも「1年延びたと思ったら、また延びて……」と中山さんの仮設暮らしは9年を超えた。
震災後、市内に建てられた仮設住宅は53団地、2168戸。住宅再建とともに集約され、滝の里団地1カ所を残すのみとなった。今も24世帯59人が暮らしている(9月1日現在)。
退去する住民を見送り続けてきた中山さんだが、来月中にも新居での生活が始められそうだ。「最後は仮設に『ありがとう』って伝えなきゃね」と声を弾ませていた。
プレハブ住宅 防災教育の一環として保存
一部保存が決まった旧米崎中仮設団地で市担当者から事業の概要を聞く(左から)森、小林の両議員
多くの被災者が避難生活を送った仮設住宅。同市は防災教育の一環として、既存の仮設を一部保存し、実際の生活を体験できる施設「防災・減災体験施設(仮称)」の整備を進めている。
活用するのは、今年6月に県から払い下げを受けた、旧米崎中学校仮設団地(同市米崎町)の2棟8戸。暮らしの状況を忠実に再現するため、プレハブ住宅に手を加えない一方、木ぐいだった基礎部分だけコンクリートで補強・改修する。室内には、当時、使われていた物と同様の家電や家具を置くなどして仮設生活をリアルに伝える。
同施設は、国内外からの防災学習や企業研修などの活用を想定。宿泊体験のほか、語り部活動を行う市民団体とも連携したプログラムの提供を準備している。
また、このプレハブ住宅の近くには、有事の初動対応や復興の課題を学ぶ場として、被災後すぐに入居できる移動式トレーラーハウス型の仮設住宅を配置。来年度からの利用開始をめざしている。
公明党の小林正信県議と森操・大船渡市議はこのほど、現地を視察。市政策推進室の菅野隼係長は「仮設で暮らす大変さを実感し、日頃の防災意識を高めるきっかけにしてほしい」と強調。小林、森の両議員は「教訓を伝承しゆく被災地のモデルとなるよう、継続的な運営や県内外の自治体・民間団体との交流促進など取り組みを後押ししていきたい」と話していた。
宮城・山元町 命守った校舎「遺構」へ整備
旧中浜小学校
宮城県山元町にある旧中浜小学校が震災遺構として整備され、今月26日から一般公開される。
太平洋に面する同町は、平たんな低地が広がり、3.11の大津波では町の総面積の37%が浸水し、600人以上が犠牲となった。
同校は海からわずか約300メートルの距離に位置し、1.2キロ先の高台まで歩いて20分かかる。「10分後には津波到達」との情報から当時の校長・井上剛さん(63)は2階建て校舎の屋上への避難を即断。児童や教職員、地域住民ら90人は全員助かった。同校は1989年、建て替え工事が行われた際、地域住民の要望で高潮や津波対策として敷地を1.5メートルかさ上げされていた幸運も重なった。
高さ10メートルの津波は校舎を突き破り、2階の天井近くまで達した。遺構として整備された校舎の1階は震災直後の状態を残して、2階は展示室を設け、映像やパネルで防災を学ぶ場とする。
公開に先立ち5日には、現地を案内する語り部を対象に研修会を実施。講師を務めた井上さんは参加者と大津波の傷痕が残る校舎を見て回りながら、当時の避難行動を説明。「災害から命を守る学びやにしたい」と語っていた。
福島・いわき市 復興願うピアノの音色
伝承みらい館
3.11で地震、津波、原発事故という複合災害に見舞われた福島県いわき市では今年5月、教訓と記憶を伝える「いわき震災伝承みらい館」がオープン。先月からは大津波で破損しながらも修復された「奇跡のピアノ」が展示されている。
これは、旧市立豊間中学校の体育館に設置されていたグランドピアノ。あの日の大津波で海水に漬かり、砂まみれとなり、ほとんど音が出なくなった。「子どもたちのためにも生き返らせたい」。同市に住むピアノ調律師・遠藤洋さんが、1万点以上の部品を交換するなどして完全によみがえった。
同館ではこのほど「奇跡のピアノ」を自由に演奏できる音楽会を開催。復興を願う美しい音色が館内に響き渡った。千葉県から家族と復興応援旅行で訪れていた藤井康平さん(20)は「当時は小学5年生でしたが、あの日の出来事を思い出し、感謝を込めて演奏しました」と頬を染めていた。「奇跡のピアノ」は来月11日まで公開されている。
同館では発災時の状況と復興の歩みをパネルで展示したり、津波被災者が語り部を務めたりして当時の経験を伝えている。