ニュース
一人の声 届く
旧日本軍“毒ガス製造の島”での作業従事者
健康管理手当の支給実現
広島・竹原市
1929年から15年間、旧日本陸軍が毒ガス兵器を製造していた広島県竹原市の大久野島。島の化学兵器工場に招集され、毒ガス製造や戦後の廃棄処理などに従事し、終戦から75年を迎える今も健康被害に苦しむ人たちがいる。このほど、被害者に一貫して寄り添う公明党の道法知江市議の元に、「健康管理手当」の認定を受けた女性から喜びの声が寄せられた。
土田モモヨさん(右から2人目)と手当の支給を喜び合う道法市議(右端)
「本当にありがとうございました」。こう話すのは竹原市在住で、戦時中に大久野島で働いていた土田モモヨさん(98)。毒ガス被害者に交付される健康管理手帳と医療手帳、さらに健康管理手当の証書が届き、笑顔がこぼれた。
土田さんは当時、女子挺身隊員として自宅から大久野島へ毎日のように船で通い、段ボール箱を組み立てる作業に従事。「島に入ると毒ガス特有の臭いが鼻をついた」と振り返る。戦後、慢性気管支炎を発病した。
国は現在、土田さんのような毒ガス被害者に対し、①毎年の健康診断を無料で受診できる健康管理手帳の交付②毒ガスに起因する疾病の治療に要した医療費が免除される医療手帳の交付③症状の程度によって支給される手当――の3種類の救済制度を設けている。
土田さんは、約40年前に健康管理手帳を交付されていたが「私よりもひどく健康を害した人がいるのに申し訳ない」との引け目を感じ、健康診断は受けず、手帳も放置していた。
だが、普段の生活に大きな支障がなかったとはいえ、毒ガス製造に携わったために慢性気管支炎になったことは、疑いのない事実だった。
公明市議が認定へ粘り強く推進
「母は毒ガス被害者として認識されていないのでは……」。土田さんと同居する長男の猛則さん(73)は、悶々としていた気持ちを竹原市に隣接する東広島市在住のいとこに吐露した。話す中で、毒ガス被害者支援に懸命に取り組んでいる、道法市議の存在を知った。
昨年8月、猛則さんから相談を受けた道法市議は、これまでの経緯などをつぶさに聞き、直ちに土田さんの手当認定に向けて奔走。これまで3人の手当認定にこぎつけた実績がある道法市議は、窓口となる県担当課に申請受理を働き掛けるなど粘り強く推進した。
その結果、土田さんに手帳が再交付されるとともに毎月3万4970円が支払われる健康管理手当の認可が下りた。猛則さんは「諦めずに道法さんに相談して良かった。力を貸してもらい、感謝しかない」と笑顔で話していた。
道法市議は「戦後75年たった今でも後遺症に苦しむ人がいることを決して忘れず、これからも被害者支援のために全力で取り組む」と決意を語った。
大久野島
竹原市忠海町の沖合約3キロに浮かぶ周囲約4キロの小島。1929年、旧日本陸軍の化学兵器製造工場が開所。15年間でイペリットやルイサイトなどの猛毒ガス約6616トンが造られ、作業に従事した工員や動員学徒らは延べ約6700人に上るとされる。毒ガス製造そのものを隠すため、地図から消された歴史もある。現在、900羽以上の野ウサギが生息し「ウサギの島」と呼ばれる観光スポットだが、今も毒ガス貯蔵庫や発電所の跡など当時の面影を残す。









