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コラム「北斗七星」
「もうおしまいだ!」。頭上をかすめた焼夷弾の音に死を覚悟した。漫画の神様と言われた手塚治虫は旧制中学時代、勤労奉仕に来た工場で大阪大空襲に遭遇。自身は奇跡的に無事だったが多くの仲間を失った◆その後、どんな作品を描いても「生命のありがたさというようなものが、意識しなくても自然に出てしまう」(岩波新書『ぼくのマンガ人生』)と語っている。戦争体験が生涯を貫く原点になった◆約30年前、北斗子が原稿の受け取りに通った4コマ漫画の作者がかつて手塚のアシスタントをしていた。印象に残るのは、公明新聞創刊30周年特集のインタビューで、いつもはラフな作者が姿勢を正し、「手塚治虫の弟子としてひたすら走ってきました」と語った瞬間だ◆今なお多くの人に影響を与え続ける手塚。5歳から約20年間暮らした兵庫県宝塚市にある手塚治虫記念館は、コロナ禍を乗り越え数カ月ぶりに営業を再開した。フェースシールドをした職員による検温、マスク着用、手指消毒、連絡先の記入をして初めて入館できる。命を守る感染対策。手塚なら斬新な手法を考えたかも◆中学生に向けた人生最後の講演。「自分の人生を変えるような事件がもしあれば、それは一生の宝物になります」との訴えは、コロナで不安な日々を生きる子どもたちにも届くだろう。(鷲)









