綱領

一、〈生命・生活・生存〉の人間主義

「公明党」は、〈生命・生活・生存〉を最大に尊重する人間主義を貫き、人間・人類の幸福追求を目的とする、開かれた国民政党です。
人類史的転換期と呼ばれる二十世紀から二十一世紀への時代の大転機に立って、今日の状況を正しく見定め、明日への確かな方向を指し示す確固とした理念こそ、いまわれわれに必要とされるところのものです。〈生命・生活・生存〉を柱とするわれわれの人間主義こそ、この要請にこたえ得るものと確信します。
「戦争と革命の世紀」といわれた二十世紀は、「国家の時代」「イデオロギーの時代」でした。戦争は国家の、革命は社会主義イデオロギーの属性でしたが、今日までの歴史の教訓は、個人あっての人間あっての国家であり、イデオロギーであるのに、それが「国家のため」あるいは「イデオロギーのため」の個人や人間であるという“主客転倒”がなされ、一切の目的であるベき人間自身が手段にされ犠牲にされてきたことです。人間自身の幸福な生存こそが目的価値であり、「国家」であれ「イデオロギー」であれ「資本」であれ、人間を超えた何らかの外部価値や権威の絶対化により人間が“手段化”されることがあってはなりません。いかなる主義・主張であれ、機構や制度、科学や経済であれ、それらはすべて人間に奉仕すベきです。これが〈生命・生活・生存〉を柱とする公明党の人間主義=中道主義の本質です。
従って、政治の使命は、生きとし生ける人間が、人間らしく生きる権利、つまり人権の保障と拡大のためにこそあります。十八世紀以来の人権尊重の歴史的推移は、まず国家権力の干渉から個人の諸権利を守ることを主眼とした市民的・政治的自由権の確立として出発。次に国家に人々の生活の保障を求める生存権・社会的基本権へと発展。そして今日においては、平和にしても開発にしても、すべては究極目的である人権の実現――人間が人間らしく平和に幸せに生きることの保障である、との位置付けがなされるに至っています。
まさに人権の実現を至上の目的価値とすることこそ、二十一世紀の日本と世界にとって不可欠の理念であると考えます。われわれは、この人権尊重の淵源に「生命の尊厳性」を置くものです。

二、生活者重視の文化・福祉国家

われわれの前身の旧公明党は結党以来、「個人の幸福と社会の繁栄の一致」を主張してきましたが、この理念を受け継ぐわれわれの目標とすベき国内社会像は、「生活者優先」を基調とする、成熟した文化・福祉国家であり、その実現に全力を期していきます。
わが国は明治以来一貫して、産業優先、輸出促進をいわば国是として外需型による経済成長を図り、今や世界有数の経済大国としての地位を占めるに至りましたが、行き過ぎた経済利益追求至上主義が今日、国際社会で批判を受けています。これと表裏一体の関係をなしているのが国内における生産・企業重視の政治・行政・経済体制です。
本来、政治、経済も機構、制度も、生活者が豊かに人間らしく生きるための手段でしかありません。それが経済・生産者優先の中で手段が目的化され、「個人の尊厳」の意識が希薄なことも影響して、主体となるべき生活者が「国家」「企業」に従属することがいつの間にか当然視され、そうした生活者不在の仕組みがさまざまなゆがみを生んでいます。経済的・社会的配分が公平でないこと、長い労働時間、乏しい休暇、貧弱な住宅や社会資本、個性を欠いた画一的な教育と学歴偏重社会、老後不安など、生活者の権利としての暮らしが軽視され、経済大国にふさわしい豊かで充実感のある国民生活が確保されていません。
「経済大国ながら生活小国」「繁栄の中の貧困」といわれているこうした現実を、今こそ変えなければなりません。
そのためにはまず、国家、行政、社会はすべて国民=生活者のためにあり、生活者に奉仕するという理念を確立すべきです。また、従来の生産者優先のあらゆる社会システムを見直し、生活者を重視した新たな制度・体制・機構を構築することです。
さらに、経済体制としては、自由な市場経済を基調としつつも、社会的公正の実現と社会的弱者の擁護など、市場原理と平等の原則との調和のとれた社会としての福祉社会の在り方を追求すベきです。
わが国においては今、高度産業社会から脱産業社会へ移行しつつあります。それは企業優位から人々の生活や文化優位へ、モノの生産と消費という市場的価値から人間の心・精神の充実という人間的価値への転換です。こうした時代の趨(すう)勢からも、わが国は真に「人間の主体性の尊重」と「生活の質」の向上をめざす「文化・福祉国家」の構築に全力を挙げるべきです。

三、人間と自然の調和

地球環境汚染と資源枯渇から「かけがえのない緑の地球」を守ることは、人類にとって最重要の課題であり、何よりも未来の世代に対する現代のわれわれの責務です。貴重な地下資源と良好な地球環境を後代に伝えていくには、資源多消費型の産業構造や大量生産・大量消費・使い捨て型から脱却する生活スタイルの転換が求められます。物質的な「量」の追求を第一とするのではなく、生活の「質」を高める新たな生活様式を、われわれは模索しなければなりません。
このためには、エコロジーを重視する立場から利潤と効率一辺倒の「経済の論理」や近代文明そのものに潜むゆがんだ自然観、地球観の見直しが欠かせません。すなわち、人間と自然との関係は、人間中心主義的な支配・征服の関係ではなく、地球は一つの生命体であり、人間は自然の一部である、人間と自然は生命連鎖の有機的な一体不可分の関係にあるとの調和の思想に立つべきです。自然の破壊、損傷は人類の生存の危機に直結します。
世界史に見る民族、文化の衰亡の歴史は自然の荒廃と結び付いたものであることは、われわれの知るところです。

四、人類益をめざす地球民族主義へ

人類は今日、存亡の岐路に立たされているといっても過言ではありません。冷戦終結により第三次世界大戦・熱核戦争の脅威がやや遠のいたとはいえ、すでに膨大に蓄積された核兵器の存在は、種としての人類の絶滅をもたらすものです。また、現に人類を“緩慢な死”に追いつめ始めているボーダーレス(国境を越える)な環境汚染の深刻化や資源枯渇、エネルギー危機、人口爆発、飢餓、貧困、抑圧・迫害といった一連の「地球的問題群」は人類の未来を危うくする要因として、一刻も手をこまぬいていることは許されません。
こうした地球規模の課題は単一国家で処理しうるものではなく、国家の枠組みや国境を越えたグローバルな発想と取り組みが不可欠です。それには、「地球民族主義」という人類共同体意識が欠かせません。そして一国のみの利害得失に固執する旧来の主権国家思想から脱却し、「国益」から「地球益」「人類益」優先へと切り替える、「人類」的意識を持つべきであります。現代日本の地方政治にも、まさにそうした「地球即地域」「地域即地球」の問題意識を持つことが必要といえます。
われわれを「人類」の自覚に立たせ、連帯と協同の絆を深めさせるには、国籍や国境、人種や民族を超えたところにある「生命の尊厳」という視座を根底に置く必要があり、同時に、ラッセル=アインシュタインが提唱した「人類の全面的破滅を避けることは、他のすべての目標に優位すべきである」との、“人類的生存権”の原則に立つべきです。

五、世界に貢献する日本

今日、わが国は「経済大国」となり、また世界一の「債権大国」ともなっています。従来におけるような日本のみの平和や繁栄を求める自国本位主義はもはや許されるところではなく、その経済力や国際的地位にふさわしい「世界の中の日本」の役割を果たすことが求められています。
無資源国であり、また第二次大戦で壊滅的な打撃を受けたわが国が、今日の繁栄を築くことができたのは、国民の努力に負うものですが、同時に、平和と自由貿易をもってわが国を支援してくれた国際社会の恩恵に負うところ大であります。この意味で、わが国は「世界あっての日本」との意識を深く持つべきであり、従って、自国の経済的利益追求のみを考えるのではなく、利他の精神に立って、自覚的に全人類の利益、全世界への貢献を求めていくベきです。すなわち、「日本の繁栄と世界の繁栄の一致」を目標とすべきです。
わが国は文化的に、東洋と西洋の接点、南の発展途上国と北の先進国との接点に位置し、「東西」「南北」の橋渡しをすべき「世界の十字路の国」の立場にあります。この点からも、わが国は、世界の繁栄と平和で公正な国際社会をめざし、国連中心主義の立場に立って国連を改革し、国連の役割強化を図るとともに、国連とわが国との連携強化を軸にした平和の確保や軍縮、緑の回復など地球環境保全、南北問題の解決などに積極的な役割を果たすべきです。

六、草の根民主主義の開花と地方主権の確立

われわれの前身である旧公明党は、地方議会から出発し、草の根民主主義の確立と住民福祉の向上を追求してきましたが、この伝統を受け継ぐわれわれは、中央集権体制の変革、すなわち自立と参加による「地方主権の確立」をめざしていくものです。
地方自治は、民主主義の学校であり原点です。住民の暮らしにかかわる事柄は住民自らが決定する――これが地方自治の本旨であり、この自治の精神がなおざりにされるならば、民主主義の発展はあり得ません。しかし、わが国においては、明治以来の中央集権体制のもとで、地方は画一化を要求され、自治体の自主性は阻害されてきました。戦後、日本国憲法と地方自治法の制定によって地方分権が制度としては保障されたにもかかわらず、それを具体化するための中央政府からの権限移譲や事務の再配分、地方財政の抜本的強化が一向に進まず、今なお中央集権構造が続いているのが現実です。
地方主権の確立とは、地方分権を徹底することにより、地域の多様性、自主性を尊重し、地域と住民の暮らしにかかわる問題を地域自らが決定できる仕組みにすることです。そのためには権限や財源を、国から都道府県へ、さらに市区町村へと、より身近な自治体に移していくことが不可欠です。地方主権のもとで、多様な住民ニーズと地域の特性を踏まえた個性的な自治体行政の展開が必要です。
住民にとって最も身近な政府である自治体に十分な権限と財源が存在し、政治と住民との間の距離が小さくなれば、民主主義の理念は生きいきとし、地域文化は活性化し、住民は豊かな暮らしを実感できるようになります。この姿こそ、われわれの目指す地方主権の政治・社会像です。

七、民衆への献身とオピニオン・リーダー

政治は、可能性追求の技術です。従って、われわれは、高き理想の追求と冷徹なリアリズムに徹する姿勢とを共に持ち、「現実」と「理想」の両立を図る架橋作業に努めます。また、これを可能ならしめるための、積極的な行動と提案・提言活動を行っていく創造的なオピニオン・リーダーとして、絶えざる自己革新を求めていくものです。
われわれは、いかなる時代、いかなる社会にあっても、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との誓いを貫き、常に民衆の側に立つことを信条とします。われわれが内に求め、行動の規範とするのは、高い志と社会的正義感、モラル性、強い公的責任感、そして民衆への献身です。これこそ公明党議員が身上とすベき特質です。
また公明党が政党としての人格的信頼を勝ち得ていく道です。この政党としての人格的信頼を国民・社会の中に勝ち得ていくことこそが党発展の要諦です。
「公明党」は、庶民の中から誕生した「庶民の党」であり、何よりも庶民の喜びや悲しみを共にする中にこそわが党の存在性があります。われわれは、この「庶民の党」としての名実を何よりの誇りとし、草の根の庶民大衆とともに日本と世界の希望あふれる新たな地平を切り拓くベく力強く前進するものです。

(平成六年十二月五日決定)
(平成十年十月二十四日一部改正)

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