一番大事なのは人間と言い切った緒方貞子さん。
日本を代表する国際人として「世界のオガタ」と言われ
晩年まで世界を駆け巡った緒方貞子さんがお亡くなりになりました。
追悼の意味を込めてその素晴らしい経歴をまとめました。
緒方貞子さんは
1991年63歳で国連難民高等弁務官(UNHCR)に就任され
2000年までの10年間は冷戦後に多発した内戦や紛争による
大量難民問題に向き合い続けました。
1991年の湾岸戦争後にイラクから逃げるクルド人難民、
バルカン紛争の戦争被災者など、
「何も持たず、身を守る手立てもない」人々を守るために情熱を捧げました。
就任早々に起きたイラクのクルド難民問題では
トルコ国境を越えられない人々を
「国境の外に出てきた人が難民」という原則を超えて保護する決断を下し
その後のUNHCRの難民保護のあり方を変える決断となりました。
1992年には内戦の続くボスニア・ヘルツェゴビナを防弾チョッキ姿で視察し
翌年にボスニア政府が市民を人質に援助物資を受け取らない断食作戦に出ると
人道援助活動を全て停止するという強硬姿勢を取り世界を驚かせました。
後に語っています。
「人道支援が政治的駆け引きに利用されてはならないという怒りでした」
緒方さんの並外れた交渉力や、紛争の敵対勢力と向き合う能力は、
国連職員や各国首脳から尊敬され、
「身長5フィート(約150センチ)の巨人」と称賛されました。
2003~2012年には日本の国際協力機構 (JICA)で 理事長を務め、
開発途上国が抱えるさまざまな課題解決に向け、
技術協力、有償資金協力、無償資金協力という3つの援助手法を
一元的に手がけることで、より速く、より効率的に
効果の高い援助を実施するように改革しました。
JICA退任挨拶では、
「日本の開発援助を通して人間の 安全保障の実現に努力してきました。
難民高等弁務官として国家を超えて人々が大事だという仕事を現場でやってきました。
それをどのような形で開発援助に生かしてゆくのか相当な応用問題がありました。
ますます複雑化するであろう国際政治環境の中で
日本はもっと有効な役割を果たすことができる国であります。
世界の中で益々役に立ってほしいと思います。」
また、別のインタビューでも
「難民を受け入れることは、日本を含めた世界全体の
人材育成に繋がることを忘れてはならないと思います。」
と語られています。
人道主義・現場主義に徹し、官僚主義を脱して
弱い立場の人々に寄り添い行動し続け
それにより世界から賞賛された緒方貞子さん。
これからの時代の真の人材のあり方、人を大切にすること
また、人材育成の重要な観点として注目したいと思います。
日本の外交・平和活動について緒方さんが
一番支援が必要だと言われていたアフリカについては
日本が主導しているアフリカ開発会議(TICAD7)に公明党も協力しています。
外交について悲観的とされる国についても友好的な考えをお持ちだった緒方さん。
中国やトルコなど公明党の持つ政党間交流を更に進め
分断と対立の回避に向けた努力をして参ります。



















