別府市では、平成27年7月に、若手職員11名を中心とするプロジェクトチームが結成され、その中の一つが、窓口業務や庁舎の課題を考える窓口PT。窓口PTが出した提言は、3本の柱から構成されており、
- たらいまわしゼロ作戦
- 訪れる人にとって居心地の良い空間づくり
- 福祉コーディネーターによる寄り添う市役所の実現
でした。そこで、現状の庁舎の形状では、総合窓口のハードルが高いため、「死亡」に特化したワンストップサービスの開設が提言されました。驚いたことに、平成28年4月に実務を開始して、5月16日には、開設をしています。財産活用課財産係の3名が特命を受け、1か月半で制度設計をエクセルを駆使し、情報推進課の協力も得て、自前で行ったそうです。
「死亡」の手続きは、煩雑で、慣れているものではないので、どうしていいかわからない市民も多いのですが、まずは、1枚の届出書を作成することを丁寧に行い、各課にわたる届出書を一括して作成補助してもらえるだけでもとても助かります。更に、届け出の情報が各課と共有され、時間の短縮にもなっています。更に電話での問い合わせにも対応していて、無駄な事務作業の軽減にもつながっているそうです。自前で作ったシステムであるが故、窓口で感じた課題を更にバージョンアップしたり、ちょっとの工夫で大きな成果につなげたりと知恵を使って努力をしていらっしゃることが大変すばらしいなぁと思いました。
10月30日31日で視察に行ってまいりました。
宮崎市は、平成17年から3歳6ヶ月検診時に、視覚検査機器(オートレフラクトメーター、レチノスコープ)を用いて眼の異常の有無を検査しています。生まれたばかりの赤ちゃんは、明暗がわかるだけで、「見る」という訓練をしながら視力は徐々に発達し6歳くらいまでに完成すると言われています。子どもの眼は、この時期までにクリアに見えるようにしないと見る能力が育たず視覚障害を起こす可能性があります。ですから、3歳6ヶ月の検診時に眼の屈折異常(近視、乱視、不同視等)を感知し、メガネを使用するなどして矯正をすることで視力を正常にすることは、とても大切なことです。
3歳検診時に、ランドルト環イラストを使った簡易的な視力検査は、どの市町村でもやっていますが、子どもからの訴えから発見することは難しい現状があり、機器を使った視覚検査を行っている自治体は、少ないのが現実です。宮崎市は、担当者がその課題を何とかしたいと眼科医に相談したのがきっかけだったそうです。現在は、眼科医会から視能訓練士を派遣してもらい、視覚検査機器を使用し、眼科精密検査につなげ、治療につなげるという成果を上げていました。
機器を使用しての検査は、数秒で終わります。視能訓練士の確保ができれば、機器の購入費はかかりますが、子ども達の未来を考えたら安価な投資だと思いました。
10月18日、肌寒い朝でしたが、からっとした良い天気で、
朝8時半から、浦安市陸上競技場で、第28回事業所自衛消防隊屋内消火栓操法大会が開催されました。今年は、26事業所が出場し、日ごろの訓練の成果が発揮されました。様々な災害が心配される中、各事業所で編成されている自衛消防隊の存在は、火災発生時の被害軽減だけではなく、大変力強い存在です。出演者の皆様に敬意を払いながら、演技を見させていただきました。会場には、消防団、救急、消防の啓発ブースがあり、私も使い捨ての防護服(消費期限が切れたもの)を着させていただきました。
午後からは、議会活性化委員会の視察で流山市議会へ。議会基本条例の設置の経緯から、党派や個人の考えを超えて「議会としての在り方」を共通理解として、議会としてのまとまり、活動をされていることに、大変触発を受けました。議会事務局の皆さんは、議員の良きブレインとして仕事をされていることも印象的でした。職員さんがやりがいのある仕事ができるのも議員次第ということがよくわかりました。反省です。
田村議員の名代で、10月13日に東京ベイ東急ホテルで開催された日本カイラリが主催するガーショム国際賞イベントにプレゼンターとして出席させていただきました。
日本カイラリは、2002年に日本の南インドケララ州出身の方々が集まって結成されました。日本カイラリは、ケララ文化を継承し、日本在住のケララ出身の方に様々なサポートを行うなどの活動をされてこられました。そして、毎年、持ち回りで、世界中で、 異国の地で活躍している仲間を顕彰するGarshom国際賞イベントを行われているそうです。昨年は、ドバイで開催されたとのこと。今年も世界各国23カ国から集まってこられておりました。私も貴重な経験をさせていただき、コミュニティの大事さと力強さを感じました。
10月11日、12日にアオーレ長岡で開催された第80回全国都市問題会議に初めて出席しました。今回の会議では、地域の拠点作りがテーマです。浦安版共生型地域包括ケアシステムを作り上げるために必要な地域拠点についての取組を勉強したくて参加しました。内容はというと少し違っていて、「市民協働による公共の拠点作り」が大きなテーマでした。公共施設の建設は、施設の利用目的があり、行政が示す枠組みの中での利用や活動が行われるのが通常ですが、会議の開催場所となった「アオーレ長岡」は、設計の段階から竣工後の事業企画運営に至るまで、市民の積極的な参加があり、現在は、市民の交流施設として、行政の枠組みを超えた市民協働の活動拠点となっているようです。使途を市民と協議しながら作り上げるという視点と、「場」の持つ力が最大限に活用されている成功事例だと思いました。建築を請け負ったのは、隈研吾さん。誰もが立ち入りやすく自由に利用しやすい空間作りとして、「土間」の考え方を入れた複合施設として雪の冬でもイベントができる素晴らしい建物でした。
私が考えていた内容とは違うシンポジウムでしたが、今後の地域社会のあり方を展望することができる2日間でした。
1日目は、東京大学史料編纂所教授 本郷和人氏より「地方分権へのまなざし」の基調講演です。世界でも特異な地域特性から政治、行政を発展、変化させてきた歴史を伺いながら、「黒船」が生み出した「明治維新における中央集権化」
を、現在に置き換えると、黒船に当たる「人口減少」は、「地方の自治権を強化する地方分権より新しい日本を作っていくのではないかと歴史から導き出すことができるとの大変説得力のある講演でした。
その後、新潟県磯田達伸長岡市長より、「長岡市の市民協働について」三重県前葉泰幸津市長より「市民との対話と連携で進める津市の公共施設マネジメント」隈研吾さんからは、「場所の時代」の報告がありました。具体的事例を取り上げた報告は、大変興味深かったです。長岡市長の後には、講堂内で長岡花火のプロジェクションマッピングの披露があり、その素晴らしさに本物を是非見に来たくなりました。
2日目は、「パネルディスカッション」。 楠瀬耕作高知県須崎市長は「人・モノ・金の好循環を目指して」、松本武洋埼玉県和光市長は「地域包括ケアを支える新たな拠点作り」、NPO法人子育て広場全国連絡協議会理事長奥山千鶴子さんは「子育て支援から見た公共の拠点作り」、長岡市国際交流センター「地球広場」センター長芳賀友信さんは「長岡の市民主体のまちづくり」、東京理科大学理工学部建築学科教授伊藤香織さんからは、「シビックプライド情勢のコミュニケーションポイントから考える「拠点」」との話がそれぞれあり、ディスカッションとなりました。伊藤さんからの「シビックプライド(都市に対する市民の誇り)」の歴史的背景を伺い、英国でこの考え方が生まれた背景は、産業革命が進み労働者の流入から多様な人々が「コミュニティポイント」としての「公共建築物」を街の誇り、象徴として都市基盤に作り、市民協働のまちづくりの拠点としていったことをお聞きし、大事な視点を伺うことができました。
まちづくりは、人がいて、その人たちが活躍しやすい、活躍できる場所を作り上げていくことが、これからの地方自治では、大切な視点でありことを沢山の事例と研究者の視点と両方伺うことができた2日間でした。
議論をしたくなるような議場でした!
10月は「乳がん月間」。毎年、公明党女性局で、ピンクリボン街頭を恒例で行っています。
本日は、本八幡駅と行徳駅で行いました。乳がんは、11人に1人の方が罹患しています。40歳以上で増加しており、がん罹患率は1番高く、年間8万6500人が乳がん患者さんになっています。
しかしながら、死亡率は、大腸、肺、胃、膵臓に続き5番目の低さで、早期発見早期治療で完治できるガンでもあります。
公明党は、検診の無料クーポンの実施や、コールリコール運動を推進して検診率の向上に努めてきましたが、未だ検診受診率は、50%に行かない現状です。
多くの方に検診を受けていただくために、毎年街頭でお訴えをさせていただいています。
国においては、2006年にがん対策基本法が議員立法で成立し、2016年に改正されましたが、改正の目玉の一つは、就労支援です。現在、がんにかかると3割の方が離職しています。職場の理解も含め、就労相談やウィッグの助成などきめ細やかな支援が必要です。
本市でも「がん対策の推進に関する条例」が9月議会で成立しました。さらにがん患者や家族の方を支えていける仕組みづくりに取り組んでまいります。
街頭では、がん闘病されながら、就労をしている方の「見た目ではわからないので、電車などで具合が悪くなった時に困る」とのお声をお聞きし、「ヘルプマーク」の活用についてお話しさせていただきました。
行徳駅では、難病を患っていらっしゃるとおっしゃる女性の方が「ヘルプマーク」の普及啓発に更に取り組んでもらいたいとのお声をお寄せくださいました。
10月2日に公明党浦安市議団で、市内街頭をさせて頂いた時も「ヘルプマーク」をご紹介していたら、声をかけてくださった方がいらっしゃり、多くの方が見えない障がいに苦しんでいらっしゃることを認識致しました。