(1)まず、宮城県南三陸町や福島県南相馬市・双葉町の67名が避難している中新田交流センターにおいて、東日本大震災日本大震災の支援物資を届けてきました。

①女性用衣類(50枚)②タオル(150枚)③マスク(1ケース)など。

中新田交流センターの鈴木所長や南三陸町の文化財保護委員の後藤一磨氏と面談しましたが、生活支援物資持参の御礼と3点の要望を伺った。【1】家もなく、仕事もない状態の中で「希望」を与えていただくことが一番うれしい。仮設住宅も2年経過すると出て行かなければならず、ずっと住み続けられる家が欲しいし、義援金100~200万円いただくよりも、何といっても生活を支える仕事を与えてほしい。特に農漁民は収入が無く、「わかめ」・「牡蠣」の水産業で生活している人々が南三陸町では半数近くいる。特に、南三陸町は人口17000人中1700人余りが亡くなった。また地盤沈下も1mしている。【2】縄文遺跡や神社が存在するところは比較的安全と言える。先人の知恵から由来するものと思われる。また南三陸町に「波伝谷」という地名があるが、地震から20分してから津波が襲ってきたが、75世帯中、1軒のみ残して全壊してしまった。昔の地名は簡単に変えるものではないことが判った。【3】この人に任せておけば大丈夫と言える「リーダー」がほしい。政府の対策が後手後手に回っており、信頼ができない。以上。

また、大崎市内では電信柱が垂直になっていなく、家も傾いたままであり、農道の下水管の真上が地割れを起こし、下水桝が飛び出しており、まだまだ復旧が必要です。ただし津波の被害はありません。

(2)南三陸町においては、翌日早朝から視察しましたが、海岸沿岸部より、5~6㎞入ったところに船があったり、瓦礫の山という状態で、街全体が焼け野原という悲惨な状態で、声も出なかった。大崎市の伊藤市長の紹介で南三陸町の佐藤町長のもとへ行ってきましたが、町役場全てが破壊されており、南三陸町スポーツ交流村の総合体育館 ベイサイドアリーナ(南三陸町志津川字沼田56・℡0226-47-1131)で避難住民とともに生活されており、すぐ横で仮設の役場を建設して、住民自治の取りまとめをされておられました。挨拶の際には、町長の名刺さえもなく、手書きの名刺でありました。「とにかくこの被災状況を時の経つのに任せて風化させてはならない」と言われました。復旧には、富山市からもパッカー車3台いただき、感謝されていました。また全国の支援についても役場の職員を送っていただき、感謝されておりました。

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富山市 吉田勉
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