今日は朝9時から9月議会一般質問通告の受付が始まりました。
恒例の9時まで提出した議員の順番決めくじ引きです。
ラッキーセブンの7番を引きましたが、あまりラッキーではなく、希望の順番ではありませんでしたが、9月2日の4人目です。
しばらく担当者とのヒヤリング準備のため会派室で連絡を待ちましたが、外は台風9号の接近による風雨が激しくなってきましたので、担当課も多忙のことと思い帰ることにしました。
途中風雨の激しさを示すかのように小枝や葉が道路に散乱していました。
道路を走っていても強風で小さな車が飛ばされないかドキドキしながら帰路につきました。
取手市内の被害状況は倒木が10本ほどあり、順次対応し処理を進めているとのことでした。
対応に当たられた職員の皆さま、ありがとうございました。
不安定な天気の中開催された、グリーンコーポ藤代夏祭りと桜が丘自治会夏祭りに参加してきました。
雨が降ったりやんだりと、実行委員の皆様のご苦労はいかばかりだったことでしょう。
グリーンコーポ藤代の模擬店はいつも豪華です。
ソフトボールチームの皆さんが鮎焼きとホタテ焼きを。
野球チームの皆さんはもつの煮込みをそれぞれ腕を振るって作ってくださっています。
おでん等美味しいものばかり、次に移動があったので、お茶で我慢。
楽しい語らいもあり有意義な時間でした。
桜が丘夏祭りは長靴を履いて参加。
雨で会場はぐじゃぐじゃ状態。
長靴を履いて盆踊りは初めてでした。
開催出来て本当によかったですね。ありがとうございました。
今朝は双葉団地バス停での挨拶からスタートです。
連日繰り広げられるリオオリンピックでの日本選手の活躍に、今日は白地に赤の公明党の旗でご挨拶。
帰宅すると公明新聞に8月1日に取材を受けた、軽度・中等度難聴児のFM補聴器への補助金制度の記事が掲載されていました。
茨城県内初の取り組みです。
市の補助がおおむね3分の1ですが、保護者にとっては大きな支援拡充です。
午後から目黒区内で開催の納税に関する勉強会に参加のため藤代駅から乗車。
しかし昨日の台風の影響で倒木による電車の遅延が続いており、急きょTXに乗り込むため守谷駅へ。
帰りの電車も常磐線は遅延気味でしたので、この判断は正解でした。
開始時間に少し遅れましたが、じっくりと学んでくることができました。
2016年4月1日から始まった地方税法(換価の猶予申請制度)。
この事務の取り扱いに関する各自治体の状況を確認しながら、事前救済としての延滞金が発生しないこの制度があまり周知されておらず、納付誓約による分割納付を進めているのが実態です。
延滞金が発生することで、納税困難者の救済につながっておらず、各自治体の徴収行政の抜本的な改革、変革が必要であることと納税者に不利益を生じさせていることを確認してきました。
目黒区といえば、今の住まいの持ち主であった、目黒区議会議員の飯島和代議員が祐天寺駅周辺を活動地域としていることから、急な連絡にも関わらず、お会いすることができ、短い時間でしたが情報交換することができました。
祐天寺駅構内に新しくできたトイレは彼女の実績とのこと。(写真は飯島和代ブログからお借りしました)
結果が出るまで頑張る彼女にはいつも刺激を受けています。
台風7号が過ぎ去った担当地域で、冠水が心配される地域を回ってきました。
思ったより被害はなく、訪問したお宅でも大丈夫だったそうです。
根本的な問題はこれからですが。
またあるお宅では、台風接近とのニュースが流れると、昔の大きな災害のトラウマにより自宅にいることができず他市のホテルに家族で宿泊するそうです。
お隣の方も他市に住む娘さんのところに避難するそうです。
自然災害の心身に与える影響は様々です。
まして大きな災害がおこると、避難所生活を余儀なくされる場合の心身の疲労はいかばかりかと思います。
この台風は東北・北海道へと北上しています。
被害が出ませんように。
午後からは9月議会に備えて、会派で打ち合わせを行いました。
その後建設部で打ち合わせを行いました。
それにしても一気に猛暑日となった台風一過の一日でした。
戦後71年目。
NHKスペシャル「ふたりの贖罪(しょくざい)」~日本とアメリカ憎しみを越えて~が放送されました。
大変考えさせられる内容でした。
以下は番組の紹介文より抜粋
『憎悪が、世界を覆い尽くしている。
どうすれば、憎しみの連鎖を断ち切ることができるのか。
その手がかりを与えてくれる2人の人物がいる。
70年前、殺戮の最前線にいた日米2人の兵士である。
「トラトラトラ」を打電した真珠湾攻撃隊の総指揮官、淵田美津雄。
その後もラバウル、ミッドウェーを戦い、戦場の修羅場をくぐってきた淵田だが、1951年、キリスト教の洗礼を受け、アメリカに渡り、伝道者となった。
淵田が回心したのは、ある人物との出会いがきっかけだった。
元米陸軍の爆撃手、ジェイコブ・ディシェイザー、真珠湾への復讐心に燃え、日本本土への初空襲を志願、名古屋に300発近くの焼夷弾を投下した。
そのディシェイザーもまた戦後キリスト教の宣教師となり、日本に戻り、自分が爆撃した名古屋を拠点に全国で伝道活動を行った。
戦争から4年後の冬、ふたりは運命の出会いを果たす。
ディシェイザーの書いた布教活動の小冊子「私は日本の捕虜だった」を淵田が渋谷駅で偶然受け取ったのだ。
以来ふたりは、人生をかけて贖罪と自省の旅を続ける。
淵田はアメリカで、ディシェイザーは日本で。
ふたりの物語は、「憎しみと報復の連鎖」に覆われた今の世界に、確かなメッセージとなるはずである。』
宣教師となってあえてアメリカで伝道師として、自分が真珠湾攻撃の指揮官であったことを語る勇気、命をかけた贖罪。
その話に耳を傾ける人々は憎しみという苦悩から解放されていくインタビューが伝えられていく。
本当に憎しみからは何も生まれない。



























