記念日という表現は正しいのか少し疑問がありますが、今日で戦争が終結して68年目を迎えます。
私の父も戦地に赴き、足には流れ弾の痕があり、小さいころ其の傷痕を見ながら戦争の話を聞いたものです。
神国と言われ、絶対に負けることはないと信じ、多くの若き命は散って行きました。
故に父は、神も仏も信じないと頑としていました。
よほど受けた心の傷は大きかったんだろうと思います。
努力と信念で頑張ってきたようですが、ひとの温かさに触れ信仰を始めることになりました。
61歳で筋萎縮症側索硬化症という難病で亡くなりましたが、実直で子ぼんのうな父を思い出す終戦記念日です。
一日市内の新盆のお宅をまわってきました。
田んぼの稲穂が黄金色に染まり始め、収穫の時期を待っているようです。
あるお宅で椿の大木を拝見しました。
お話を伺うと、300年以上は経っているのではということでした。
花が散ると20センチぐらいに積もるんだそうです。
木肌が生き生きとしているのには驚きで、しばし見とれてしまいました。
木肌が歴史を語りかけていました。
明日は終戦から68年目を迎える終戦記念日
戦争経験者は高齢になり、真実を知る機会は少なくなっている。
そんな中、午後10時から放送された番組に引き込まれて見ました。
従軍作家という言葉そのものは初めて耳にするものでした。
以下番組の紹介文です。
日中戦争の時代、『麦と兵隊』で国民的作家になった火野葦平が克明に記した20冊もの従軍手帳が北九州・若松に遺されている。
この程、全貌が明らかにされ、陸軍報道部を中心としたメディア戦略が浮かび上がってきた。
当時、中国の蒋介石政権は日本軍の残虐行為を国際社会に訴えていた。
のちに陸軍報道部長となる馬淵逸雄は、これに対抗するため、火野を報道班に抜擢。
徐州作戦に従軍させ、「兵隊3部作」はベストセラーとなり、映画化もされ、戦意高揚に貢献する。
さらにペン部隊が組織され、菊池寛、林芙美子ら流行作家が参加していく。
太平洋戦争が始まると、火野はフィリピンで宣撫工作に従事し、大東亜文学者会議をリードしていく。
しかし、実際に火野が目にしたのは過酷な戦場の現実だった。
戦後、戦争協力で批判された火野は、自ら命を断った。
作家を戦争に動員した軍のメディア戦略と火野葦平の軌跡を初公開の従軍手帳や関係者の証言から描く。
戦後68年を経て、それぞれの真実が語り始められている。
ここ数日グリーンカーテンの朝顔に水やりをしていると、鉢の周りに朝顔の種のような5ミリほどの正露丸のようなものが沢山散らばっていました。
何だろう~と思いながら・・・。
今日の葉をよ~く見ると、人差し指ほどのいもむしを発見!
写真を撮り忘れていると、母が駆け込んできて、4匹ゲットしたとのこと。
それも足が震えるほど、嫌だったが駆除したとのこと。
そ~か!!
その黒いものは、糞だったのか!
よ~くそのあたりの朝顔を観察すると、葉っぱがほとんど無い!!
すっかり食用として提供したことになります。
ネットで調べてみると、何やらエビガラスズメの幼虫であるようです。
(ネットでアップされていた写真、これと同じものが4匹)
へ~。
どこから、いつから、ここで私たちの目をくらませていたのでしょうか。
すっかり、朝顔の花に目を奪われていたその時に黙々と葉を蝕んでいたんですね。
自然界の一端を垣間見ました。
今朝は6時45分の開催決定会議からスタートです。
花火大会に関係する建設経済常任委員長として参加。
市長・副市長はじめ、担当部部長・次長・係長、消防長、副議長の皆さんで今日一日、そして花火大会開催時間前後の天候、気温のチェックをし、次の11時30分の会議で決定を下すことで散会となりました。
午前11時30分に商工会館で、市長はじめ商工会会長他関係者が集まり、担当部長の決定したいというお話に全員賛成で本日の花火大会を開催することが決まりました。
12時・3時・5時に合図の花火を上げることを確認し散会となりました。
とにかく今日は午後6時の段階で32度の予想です。
この夏一番の酷暑日となることから、熱中症対策には万全を期していくことを確認いたしました。
職員も約80名が役員につきます。
部長はじめ次長、係長は朝の段階から炎天下での対応です。
消防長からも救急車の配備は万全を期しているとのお話でした。
いよいよ午後7時から第60回大会のスタートです。
今回は市民の皆様に呼びかけ花火募金も募りました。
約5万円ほど集まったそうです。
より皆さんに関心を持っていただくという趣旨もある今回の尺玉の形をした募金箱。
また、利根川対岸の我孫子市側にも2~3万人の観覧者が見えることから、我孫子市建設業協会さんのご協力をいただき、トイレの準備もできました。
7月1日から販売した桟敷席は2日間で完売となったそうです。
今回は家族で観賞することができました。
暑さは厳しかったですが、桟敷席でゆったりと楽しむことができました。
終了後は、防災協定を結んでいる、南相馬市と昭和村との懇親会に出席しました。
昭和村の村長さんはじめ、議会の皆さんとは度々お会いする機会に恵まれ、交流も和やかです。
南相馬市からは副市長はじめ、市民生活部次長、経済部総括参事、復興企画部長がお見えになりました。
郷土の国指定重要無形民俗文化財相馬野馬追のお話や、除染に関する様々なご苦労を伺うことができました。
副市長と経済総括参事の2名は今年の4月、5月に国から出向という形で着任されたそうです。
どちらも30代のお若く、行動力があり、熱意に溢れたお二人です。
そしてずっと震災から復興に関わってこられた、市民生活部次長さんからは本当に現場のご苦労を伺うことができました。
71,000人いた市民が、現在約45,000人。
6,500人は住民移動され、全国に避難されている市民15,000人と、放射能除染の問題も含め、山積する課題と日夜奮闘されていることを直接お話を伺うことができたことは、今夜の懇親会の収穫でした。
衆参のねじれが解消し、安定政権となった今、現場の声に速やかに対応していただきたいと切に思いました。
日々忙しい毎日を送られていると思いますが、少しは今夜の花火観賞でくつろぐことができたでしょうか。
花火大会とかかわった一日が終了いたしました。
今日は茨城県NPO法人エコレン主催の講演会に参加の為、栃木県足利市地場産センターに行ってきました。
足利といえば、ココファーム。
先ずは友人たちとココファームで葡萄畑を見ながらランチです。
何度か訪れていますが、この山の斜面を耕し葡萄畑にされたこころみ学園の園長先生の取り組みには本当に感動です。
障がい者の手を労働者の手にしたい。
その思いから50年余りを経過した今、沢山のファンが全国にいらしゃると思います。
沖縄サミットの時に、21世紀に残したいワインに選ばれたワインを製造されております。
ゆったりとした時間を過ごした後は、いざ講演会です。
私たちの生活に欠かせないプラスチック。
一体プラスチックとは何ぞや?
そしてその特性は?
高分子の分野の専門家でいらっしゃる、大澤善次郎博士の講義を受けてきました。
プラスチックはギリシャ語のplastikos「塑性の」に由来し一般に合成樹脂をいうそうです。
塑性(可塑性、plasticity)とは、熱や力を加えると変形し、それを除くと元に戻らない性質。
プラスチックには2種類あり
熱可塑性樹脂:繰り返し変形できる
熱硬化性樹脂:一度しか変形できない
ここから始まり高分子の専門的なお話になり、プラスチックの劣化、そして劣化のメカニズム、プラスチックの長寿命化、プラスチックの製造技術の進歩、と話は進みました。
廃プラスチックの再利用はこれらの性質からなかなか進まない分野なのだそうですが、PB530(プラスチックブレンドゴミゼロ)はどんなプラスチックでも再利用ができるという優れものです。
プラスチックの勉強をしながら、PB530 の素晴らしさを再確認いたしました。
今朝は双葉団地バス停前での朝の挨拶通常バージョンです。
先週、先々週といつもの木曜日ではなく、火曜日に立っておりましたので、
久しぶり感があります。
昨日から猛暑となり、朝と言っても太陽が照り付けるため、日陰を求めて位置を変えてご挨拶です。
帰宅後、市民相談対応し市役所へ。
愛媛県西予市議会運営委員会の皆様が視察研修を終えてから
フォレストベンチ工法の現地見学と勉強をしたいとの希望がありましたので
考案者の栗原博士とスタッフの方が説明にいらしてくださいました。
1時間ほど説明を聞いてから、現地に移動しました。
西予市議会公明党の二宮議員の提案で、実現しました。
斎藤議員、染谷議員と一緒にご案内させていただきました。
やはり人から人へとネットワークの連携は公明党の強みです。
西予市議会の皆様、暑い中視察研修お疲れ様でした。
取手市教育相談センターの、ど根性ひまわり3世は、咲ききって次の段階へと成長しています。
種ができて4世へとつながり、被災地を忘れないというメッセージが伝わっていくことを祈ります。
今日もセンター長と職員の方が、葉に付くアワダチソウグンバイ対策に、水撒きをしてくださったそうです。
本当にお世話になりました。
この畑の樹木の傍に直径1・5センチほどのきれいな穴があちこちに開いています。
いつも畑をきれいにしてくださっている女性に聞くと、蝉の穴なんだそうです。
それにしても地中で、さなぎになって、地上でふ化し、短い夏を終える、蝉たち。
初めて地上に出てくる穴を見ました。
蝉たちのミーンミーン大合唱に送られてセンターをあとにしました。

























