障害者スポーツ文化センター横浜ラポールにて開催の研究大会に参加してきました。
21日・22日と2日間にわたって開催ですが、本日の午前のみの参加となりました。
特別報告として
「障害者に関わる法制度の動向」と題し
藤井克徳 日本障害フォーラム幹事会議長による報告
1、障害関連の政策水準をとらえる視座
2、到来した障害者制度改革の新たな潮流
3、推進会議の特徴と成果
4、障害者基本法の改正と評価
5、成らなかった障害者総合福祉法、成立したのは障害者総合支援法
6、障害者差別禁止法(仮称)の制定へ向けて
7、残る課題と関係者に問われるもの
と
資料をもう一度よく見直したいと思います。
次に
「総合リハビリテーションの視点から見た障害者制度改革の動向」
と題して
パネルディスカッションが行われました。
コーディネーターを藤井氏がつとめ
パネリストとして
早瀬 憲太郎(映画監督)
大野 更紗(作家)
早瀬氏は自身も聾者として、映画「ゆずり葉」の監督をされ、現在は東日本大震災において、災害後に何が生死を分けたのか、を問う映画の作成に取り組んでいるそうです。
生まれてすぐ聴覚に障害を抱えたが、障害を意識したのは中学校2年生の頃だったこと。
それまで障害があるからと言って、何をしてほしいのかわからなかった。
逆に言うと、困っていなかったのかもしれません。
飛行機で移動しますが、韓国に行った時に、キャビンアテンダントの方が、機長の話したことを紙に書いて持ってきてくれたそうです。
今まで飛行機乗っていて、アナウンスがあることを知らなかったそうです。
なぜこのとき紙に書いて持ってきてくれたのか聞くと、彼女の弟さんが聴覚障害者だったからなんだそうです。
障害者の多くは、これでいいのかなって思っている(妥協)、また今更言っても仕方ないという心もある。
手話が法律上言語に含まれた、そこには「可能な限り」という文言が付きましたが、手話ができる聴覚障害者は数%。
小・中・高と年齢はまちまちで、土台がどこにあるのかわからないのが現状。
今回制作中の映画の取材で陸前高田市を訪れ、市長と福祉課の担当者と話をした時に、新しいまちづくりの中で、ノーマライゼーションという言葉を使わなくていい、障害者も健常者もともに暮らせるまちづくりという視点でのまちづくり、との話は印象的でした。
友人がサウジアラビアに住んでいた時の話が、このような内容だったことを思い出しました。
早瀬さんの手話はとってもきれいな手話だったことも印象的でした。
また、彼の前にマイクが置いていたことに触れ、実際には必要ないものなので下に下そうとしましたが、あえて横に倒しました。
このことで、より障害を知ってもらうきっかけになればとの話も印象的でした。
彼の話を伝えるために、ステージの下に手話通訳の方が2名おります。
一人は質問内容を手話で伝える人、もう一人は彼の手話を言葉で伝える人。
なるほどです。
もう一人の大野さんは
26歳の時に難病を発症し、車いす生活を送る中作家活動を通し障害とは・・・。と伝える活動をされております。
それまでは、障害者がどういう世界にいて、どうゆう感覚の中にいるのかわからなかった。
学生の時はミャンマー等で難民支援を行っていたそうですが、突然の発症により支援される側になったことで、「制度の谷間」にいる希少性難治性疾患、難病の当事者として見えることを皆さんと言葉を介してシェアできればとの思いを話されてました。
彼女の書籍「困っているひと」を購入してきました。
コーディネーターの藤井氏は16歳から視覚障害者となったそうです。
講演内容にしても記憶力にただただ驚きでした。
藤井氏の問いかけに大野さんが答えながら藤井氏に視線を向けても視線が合うこともなく、まして早瀬氏は手話通訳の方を注視しているので登壇者が壇上でお互いを感じあうも、通常のパネルディスカッションとは違うんだということをあらためて感じた次第です。
新たな気づきをいただきました。
午後から開催の公明党大会に参加のため急ぎ品川に向かいました。

