公明党
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田中まさる

G7広島サミット 「核なき世界」へ広島の思い伝える 被爆 者の小倉桂子さんがG7首脳らと対話 公明新聞2023/05/28 中国版よ り

未分類 / 2023年5月28日

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G7広島サミット
「核なき世界」へ広島の思い伝える
被爆者の小倉桂子さんがG7首脳らと対話
公明新聞2023/05/28 中国版より

 19~21日に被爆地・広島で開催された先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、同市中区在住の被爆者・小倉桂子さん(85)は、広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪れたG7首脳ら世界のリーダーたちと対話し、自らの被爆体験などを語った。

 Welcome to Hiroshima――。「私の目、心を通して追体験してください」。長年、英語で自らの被爆体験を語ってきた小倉さんは、広島サミットが開幕した19日、原爆資料館を訪れたG7首脳らにそう訴えた。

 「8歳の時、空がピカッと光り、爆風で吹き飛ばされ気を失った。その後、多くの人が目の前で亡くなっていった。いたる所で遺体を火葬する煙が上がり、街は壊滅状態だった」

 また小倉さんは、2歳で被爆後に白血病を患い、病床で折り鶴を作り続けて亡くなった佐々木禎子さんのエピソードも紹介した。

 そして、「核兵器がなくならないうちに死にたくない。少なくとも被爆者が生きている間に核廃絶を」と訴えると、首脳らは握手を求め、ねぎらいの言葉をかけた。

 「私の思いを真剣に受け止めてくれたと思う」と小倉さん。核兵器を保有する米英仏の首脳はその後、「核戦争がもたらす破壊的な現実を強く想起させるものだった」(バイデン米大統領)、「(小倉さんの話は)心を揺さぶるものだった。核兵器の被害と悲劇を知った」(マクロン仏大統領)、「(展示で)子どもの三輪車や血まみれの引き裂かれた学生服を見た。われわれはここで起こったことを決して忘れてはいけない」(スナク英首相)などと語った。

 一方、小倉さんはサミット最終日の21日には、インドなど招待国の首脳や国際機関の代表、ウクライナのゼレンスキー大統領とも対話した。

 資料館で原爆投下前後の街の様子をCGで再現した「ホワイトパノラマ」を見学したゼレンスキー氏について「たまらないという顔をしていた。泣くのを我慢しているように見えた」と小倉さん。

 ゼレンスキー氏は「被爆時の広島の写真がウクライナ最大の激戦地バフムトに似ている」と記者会見で語る。原爆資料館の芳名録には「世界中のどの国も、このような苦痛と破壊を経験することがあってはいけない。現代の世界に核による脅しの居場所はない」と記帳した。

 広島サミットでの大役を果たした小倉さんは語る。「広島の人の気持ちや核兵器の残虐さを感じてもらったと思う」。そして、世界の政治リーダーに「広島の現実を見ていただくという夢がかなった」とも。

 おぐら・けいこ/1937年8月4日生まれ。8歳の時に爆心地から約2.4キロ離れた広島市東区牛田町の自宅近くで被爆。原爆資料館長を務めた夫・馨さんの遺志を継ぎ、84年に「平和のためのヒロシマ通訳者グループ」(HIP)を立ち上げ、代表として被爆の実相を世界に訴えてきた。

慰霊碑に献花する岸田文雄首相(左)とウクライナのゼレンスキー大統領=21日 同

近藤康子さん(左端)による被爆体験講話には海外の報道関係者が多数参加し、耳を傾けていた=20日 国際メディアセンター