ミハイル・ゴルバチョフ氏と広島
【ミハイル・ゴルバチョフ氏と広島】
世界的指導者でソビエト連邦初代大統領を歴任されたミハイル・ゴルバチョフ氏のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
東西冷戦を終結に導いたゴルバチョフ氏ですが、ソビエト連邦初代大統領時代の1990年7月に「広島には、ぜひ行きたい」とクレムリンで述べられ、それから2年後の1992年4月17日に広島をライサ夫人と共に訪問されました。
広島平和記念資料館を見学したゴルバチョフ氏は、「歳月がヒロシマの悲劇の痛みをやわらげることはできませんでした。このことは決して繰り返してはなりません。私たちは原子爆弾の犠牲者のことを決して忘れてはなりません。」と記帳。
ゴルバチョフ氏は、1985年3月に、旧ソビエト連邦の最高指導者(書記長)に就任し、その8か月後の11月、スイスのジュネーブにて、当時のアメリカ大統領のロナルド・レーガン氏と米ソ首脳会談(通称「ジュネーブサミット」)を行い、その会談を単なる会談で終わらさず、核兵器削減など軍縮の流れをつくりだし、「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」との「レーガン・ゴルバチョフ宣言」を残しました。
また、ゴルバチョフ氏は、「核兵器が、もはや安全保障を達成する手段となり得ないことは、ますます明確になっています。実際、年を経るごとに、核兵器はわれわれの安全をより危ういものとしているのです。」と、洞察されてきました。
また、ゴルバチョフ氏は、ロシアによるウクライナ侵攻に対して、直ぐに「人命より尊いものはこの世にありません」と、交渉と対話による解決を呼びかけました。
ゴルバチョフ氏が残された「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」との言葉は、いま人類が共有していかなければならない重要な課題です。その課題解決のために出来ることは何かを常に問いながら、ヒロシマの使命を果たしていけるよう、尽力して参ります。