公明党 広島市議会議員(西区) 田中まさる

「被爆75年ヒロシマから伝える=上 『被爆の実相』を次世 代へ/進む高齢化 募る危機感/『旧陸軍被服支廠』を世界遺産に 」(公明新聞2020/8/5)

未分類 / 2020年8月5日

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「被爆75年ヒロシマから伝える=上 『被爆の実相』を次世代へ/進む高齢化 募る危機感/『旧陸軍被服支廠』を世界遺産に」(公明新聞2020/08/05 1面より)

 広島に原爆が投下された1945年8月6日から、あすで75年。被爆者の平均年齢が83歳を超える中で、「被爆の実相」をいかに次世代に継承していくかが大きな課題となっている。節目を迎える被爆地ヒロシマから、平和・核廃絶を希求する被爆者たちの声を伝える。

 「被爆者が年々減り、今後、核兵器の非人道性、残酷さを世界へ訴える上で困難を感じている」。こう話すのは、広島県北広島町在住の箕牧智之さん(78)だ。

 8月6日の朝、疎開先の飯室村(現広島市安佐北区)で原爆の閃光を見た。「夕方になると、血だらけでボロボロになった人たちが、ぞろぞろと歩いて来た」。鮮烈な光景だった。翌7日から3日間、母親に連れられて広島駅で働いていた父親を捜しに広島市内に入り被爆(入市被爆)した。

 箕牧さんは現在、広島県原爆被害者団体協議会(被団協=坪井直理事長)の理事長代行を務め、“若手”のリーダーとしての使命を胸に核廃絶運動に情熱を傾ける。これまでに5度渡米し、ニューヨークの国連本部などで被爆証言を行ってきた。「ヒバクシャ」は世界共通語となった。

 被爆75年を迎え、箕牧さんたち被爆者が最も懸念しているのは記憶の風化。原爆投下の年月日すら不確かな若い世代が増えており、果たして「被爆の実相」が後世に継承されるのかと強い危機感を募らせている。

 「次々と亡くなっていく先輩たちの『悲劇を絶対に繰り返してはいけない』という思いを命ある限り訴えていく」と語る。

   ◇ ◆ ◇

 同県呉市に住む中西巌さん(90)は、爆心地の南東約2・7キロにある「旧陸軍被服支廠」で被爆。九死に一生を得た。15歳だった。

 被服支廠は、軍服や軍靴などを作っていた軍需工場で、現存する世界最大級の被爆建物だ。被爆直後は臨時救護所となり、多くの人がここで亡くなった。中西さんは2014年に「旧被服支廠の保全を願う懇談会」を立ち上げ、ここを拠点に平和学習などに取り組んできた。

 昨年末、全4棟のうち3棟を所有する広島県は突如、大部分を解体・撤去する方針を示した。「戦争の記憶を呼び起こす“場所”をなくすことは、平和の心を失うこと」。中西さんは「この建物は、世界遺産に追加登録する価値がある。戦争の愚かさを訴え続ける“物言わぬ証言者”。後世に残していかねばならんのです。国が先頭に立って保存してほしい」と訴える。