「広島市内に現存「旧陸軍被服支廠」“世界最大”の被爆建物 を後世に」(公明新聞2020/02/28 3面より)
「広島市内に現存「旧陸軍被服支廠」“世界最大”の被爆建物を後世に」(公明新聞2020/02/28 3面より)
ヒロシマは今年、被爆75年を迎える。被爆者の高齢化が進み、「物言わぬ被爆の証言者」と言われる被爆建物の重要性が増す中、広島市内に現存する“世界最大”の被爆建物「旧陸軍被服支廠」は今、保存を巡って揺れ動いている。その歴史や公明党の取り組み、識者の見解を紹介する。【中国支局・森岡陽介】
■県、解体着手を先送り
被服支廠は1945年8月6日の原爆投下で、大部分が消失、倒壊したものの堅牢な倉庫だけは残った。被爆者の臨時救護所ともなったが、多くの人が満足な治療も受けられず亡くなっていった。その惨状はすさまじく、峠三吉の『原爆詩集』など文学作品にも当時の様子が描かれた。
被服支廠の保存・活用策は95年頃から、3棟を所有する広島県が長年、模索してきた。2018年12月には、平和学習の拠点として整備する改修案をまとめたが、県は19年12月に従来の方針を転換し、「2棟解体、1棟外観保存」とする原案を突如公表した。
地震による倒壊の危険性が理由だった。県は1棟のみ壁面補強と屋根の改修をした上で、耐震化をせずに保存との方針を示し、20年度に解体着手、22年度末完了と掲げた。
これに対し、公明党広島県議団(栗原俊二団長)は19年12月の県議会総務委員会で、県の原案にいち早く「反対」を表明し、全棟保存を求めた。また、被爆者や市民、県原爆被害者団体協議会(被団協、坪井直理事長)、被服支廠を平和学習拠点としての活用をめざす市民団体らも猛反発した。
■全棟保存へ公明が流れつくる
公明党は15年以来、被服支廠の保存・活用へ、現地視察や要望活動を精力的に展開してきた。斉藤鉄夫幹事長は今年1月の衆院代表質問で「国として積極的に県と話し合い、貴重な被爆遺構保存に向けた支援策を打ち出していただきたい」と主張。安倍晋三首相から「県の議論を踏まえ、国としてしっかり対応していく」との答弁を引き出した。
こうした公明党の取り組みや、意見公募(パブリックコメント)で3棟保存を求める声が6割を超えたことなどを受け、県は20年度予算案に「2棟解体、1棟外観保存」するための費用を計上せず、「20年度の解体着手」の先送りを決めた。
しかし、県は原案そのものを撤回したわけではない。3棟の耐震改修費約84億円をどう捻出するか。利活用費も含めると100億円規模とされる巨額な財源の確保が、今後の議論の焦点となる。
被服支廠で被爆した一人、「旧陸軍被服支廠の保全を願う懇談会」の中西巌代表(90)は「核兵器の非人道性や戦争の愚かさを伝えるために、何としても全棟を保存したい。県はオープンな議論の場を設けてほしい」と訴える。
党広島県本部の田川寿一代表(県議)は「被服支廠は、被爆からよみがえった広島の歴史を示す建物。そのままの形で後世に残せるよう、引き続き全力で取り組む」と力を込める。
■重文、世界遺産の価値あり/広島大学・三浦正幸名誉教授
1913年(大正2年)完成の被服支廠は、建築当時のままの形で現存する国内最古のコンクリート建築物。この歴史的な価値に加え、屋根の形に合わせて斜めにコンクリートを打つという世界最先端の技術が採用されており、国の重要文化財に指定すべき建物だ。
被爆遺構としては、原爆ドーム以上に価値があると主張したい。その建物の大きさから、どれだけ多くの人が亡くなったかを実感できる場所だ。しかも、当時と全く変わらぬ姿で残っている唯一の建物であり、中に入れば、被爆者が最後に見た光景を追体験できる。だから外観保存ではなく、中身を含めて全4棟保存すべきだ。世界遺産に追加登録する価値が十分にある。
役に立たない、お金がないから壊すというのは先進国のやることではない。一度壊してしまえば、二度と復元できなくなる。