昨年の台風12号大水害によって被災した地域の現在の状況を理解しておくために、本宮町奥番地区、請川地区大塔川、熊野本宮館、熊野川町日足地区、新宮市相筋地区、那智勝浦町井関地区、市野々地区、田辺市大塔村熊野地区等を訪問した。
集落そのものを閉じざるをえなくなった本宮奥番地区、那智勝浦町の那智川沿い井関地区、市野々地区、大塔熊野地区等々、復旧復興がそれなりに進んでいる所もあるものの、まだまだその災害の大きさを物語る爪痕が多く残っていた。
災害直後にこれらの地を訪れた時は、東北で見た津波被害現場と変わらない家屋の倒壊の様子や、至るところにある土石流に崩された山や護岸など、本当に言葉も無かった。
多くの住居家屋の改修等については相当進んできた印象だったが、しかし一方、土石流跡や破損した護岸など、手つかずの所も多くあった。知り合いの方も何件か訪ね、当時の苦労や今も不便に感じている事、又、地元小学校の再開にむけての話など貴重なお話も聞けた。
熊野地区では、災害直後はバンガローを越えた所の高台から見るしかなかった土石流跡の河川に降り、百間登山口のあったあたりまで歩いた。
大雨が降り始めた事もあり、土砂ダムの水を抜く為に作られた水路に相当な水量が激しく流れ、それを見るだけでも災害時の住民の方達の恐怖というのは大変なものだったのだろうと感じた。
当時、勝浦の方から、「下の川はあふれてくる、上の山は崩れるかもしれない、こうなると逃げるところがない」というお話を聞いたことがある。
今回も現場を見てあらためて思ったが、普通ではない雨の量だと思った時点、安全に行動の出来る時点で早く避難する、この事の意識が本当に大事だ。早く、すぐに行動をするというのは津波防災に対しての意識も含め、安全確保の基本だと痛感する。
3月議会の一般質問が終わり、産業建設委員会のH24年度の予算審議が15、16日と二日間行われた。
予め準備をしていた、上富田町からの受水費用についてや、古尾の浸水対策、中心市街地活性化施策、中山間地域の集落支援の事などについて質問をしたが、二日目の委員会、熊野本宮館の災害復旧改修について質疑が集中した。
熊野古道観光のシンボルとも言えるこの建物のある地域が、昨年の台風12号により浸水。気密性を重視した木造の建物であったため、浮力が生じ、基礎から浮き上がり傾いてしまったこの本宮館を復旧改修するという予算について、元々、設計に問題はなかったか、浸水被害の想定は甘くなかったか、この改修よりも先に本宮地域においてはする事があるのではないか、又、今回の工事内容、予算規模の是非等々、多くの意見が出た。
自身も当局と質疑のやり取りをしながら悩んだ所もあったが、最終、観光復興を一日も早くという思いからこの予算に賛成した。
予算、決算の審議は毎回、大きなエネルギーがいるものだが、この産業建設の委員会に所属して4回目の定例会を迎え、この分野の内容が概ね理解出来てきたと感じている。
田辺市のH24年度予算を含む議案があげられ、3月議会が開会した。
今年になってからも、防災関連の取り組みと、例年以上に多いと感じる生活相談への対応もあり、あっという間に2月の下旬となった印象だが、年明けに決意した、自身の議会だよりを作成し、地域や知り合いのお宅を訪ねると言う事に、特にこの2週間ほどは追われ、議会準備をする間もなく開会日がきてしまった。
今日は、和歌山国体にむけた三四六の総合運動公園の整備の経過報告を聞く委員会があり、その形が大分見えてきたが、グランドの芝について、天然か、人工かで意見が分かれ議論となった。どちらにも長所短所があるのだが、多くの意見は維持管理、手間をかけての天然がいいとは思いながらも、使い勝手の良さ、将来の市民スポーツの場としては人工がベターだと言う事となり、又、自分もそう納得している。そして、その議論の中で、上富田に来たなでしこジャパンの話が何度となく出た。多くの方にとってその印象は大きかったようだ。
明日からは街頭演説も再開するつもりだ。しゃべる内容を整理し、気合いをいれ頑張ろうと思う。
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
昨年は、東日本大震災と当地方を襲った台風12号災害により、防災、災害対応に明け暮れた一年だったと言っても過言ではありませんでした。3月以降は、当地方においての地震津波対策を考える機会が多かったのですが、不意をつくように9月、紀伊半島山間部で考えられない規模の水害、土砂災害がおこりました。特に、熊野川流域や那智勝浦町の被害は、東北で見た津波被害の現場と全く変わりのない状況で、その光景はいまだに忘れる事ができません。
国全体で災害対策、防災というものについての意識が大きく変わる年となりましたが、今年も自身は一つ一つの施策作りに取り組もうと思います。
1月4日には商工会議所の年賀会があり、昨日5日には消防出初め式がありました。毎年、この二つの行事から新年が動き始めるといった所ですが、出初め式後、年末年始に伺っていた何件かの相談の対応で、厚生係、農林土木、台風災害の義援金の担当等々やりとりをし、2件の現場を見に行き、本格活動となりました。
今年も頑張ってまいります。
台風12号災害の復旧、復興のための補正予算議案などが提案され、12月議会が開会している。昨日は、今回質問を通告した議員の中で、最後に一般質問を行った。
今回は、
・台風12号災害により自宅に住めなくなった方達への住宅政策
・防災無線が聞き取りにくい地域のために、市がフリーダイヤルの番号を設定し、かければ直近に流れた防災無線の内容の録音を確認できるというサービスの提案
・市の防災担当の所管を、人数を増やすなどして厚みをもたせる事の要望
・一人ぐらしの高齢者のための市営住宅施策について
などについて質問し、市当局からは概ね、前向きな答えをもらった。
今日は、産業建設委員会での議案審議があったが、龍神村の開発公社への貸付予算の中味について、なかなか納得ができず、長い時間議論する事となった。結局は、その中身をさらに詰め、せっかくの支出が意味のあるものとなるよう、しっかりと論議してほしい旨を伝え審議を終えた。が、んー、何か釈然としないものが残っている・・
12月になり、この慌ただしい時期、例年の事だが、市民の皆さんからの相談が多くなってきた。いつも感じている事だが、深刻な問題ほど、もう一つ早いタイミングで相談してもらえればよかったのにと思うケースが多い。法やルールにの境目によって、ギリギリうまくいく人、ギリギリうまくいかない人がでてくるのはしかたないのかも知れないが、事態が深刻でないうちにこそ、はやく手を打つ事は本当に大事だと、特に年末、感じる。
台風12号に災害により、当市の観光産業が大きく低迷している事を受け、11月に当局がその緊急性から専決により二千万円規模の予算を投入して、広く関西圏からの観光客を呼び込むためのキャンペーンを行う事となった。11月30日に大阪のホテルで、市長、ツーリズムビューロー、各観光協会による、プレスや旅行業関係者を集めた「こんなにあったか田辺キャンペーン」という、もう田辺は大丈夫ですとの記者会見、観光アピール、田辺特産物の試食会、12月1日、2日は新大阪駅の構内でキャンペーンのPRチラシを配布するイベントを実施すると聞き、その状況や皆さんの反応を見ておきたくて参加した。
11月30日については主催者側の大きな決意がうかがえる本当に良いイベントだったと感じた。この種のものはどうしても、行政主導の形式的なものが多いと感じているが、熱のこもった意欲のある内容だった。しらすやヒロメ、梅酒や南蛮焼などの地元産品も概ね好評だったようだ。
新大阪駅構内でのPRには、結局、はっぴを着てグッズ配付に参加。受け取ってもらえない方が多いのかと思っていたが、「和歌山田辺市、世界遺産の熊野古道、観光キャンペーンです」と声をあげると、多くの方が自ら「下さい」と声を掛けてきた。「熊野古道」にはこちらが思う以上に皆さんの興味があるのだと再認識した。
2日間の参加は本当に意義があったが、熱のこもった良いイベントだったというのは、観光業の落ち込みがいかにひどいもので、関係者の何とかしなければとの強い思いが現れているという事だ。インフラ整備などがなかなか追いつかず、まだまだ、台風被害が残るのだと改めて感じる。
市議会の産業建設委員会で、台風12号によって被害を受けた田辺市内の現場視察をまる2日間かけて行った。初日は旧大塔村の深谷、熊野(いや)、愛賀合の土石流現場、中辺路の鍛冶屋川口の土石流現場、福定の道路陥没、本宮の熊野本宮館、曲川地区では野猿での物資の運搬状況、十津川の二津野ダム等々を廻り、二日目は龍神の三ツ又の崩落、丹生の川の河川護岸の崩落、台風6号での被害から通行止めになっている虎ヶ峰道路の崩落、旧田辺市内では上三栖、上芳養での大規模パイロット農地の崩落、下三栖の落橋現場などを見て廻った。
9月にこの大災害が起こってからひと月半ほどは各地を走り回り、ほとんどの現場の状況を知っているつもりだったが、はじめての場所、はじめて被害状況をきかされて驚く現場もいくつかあった。あらためてその被害の大きさ、又、まだまだ現場では苦労をされている住民の方がおられ、市職員をはじめ、多くの方々が復旧復興に大変な尽力をされている事を再認識した。
車中、土石流により家屋を失い、別の場所で自宅を再建される方より相談が入った。生活再建支援資金という国と県の補助金について、国の制度は被災した以外のまちでの再建も認められるのに、県の制度は同じ自治体内でないと認められないかもしれないとの事。急遽できた制度ながら、被災者の実情にあわせて融通のきくものになっていないと思い、その場で市当局や県当局とやり取りをするということがあった。
まだまだ現場ではいろいろな問題がたくさん発生している。それぞれの方の心を察し、丁寧に対応したいと思う。
田辺市のH22年度決算を審議する為の産業建設委員会が11、12日、2日間にわたって開かれた。
6月に所属の委員会が変わり、この委員会での決算審議は初めてとなったが、予め自分の意見をまとめていた、市有林の今後、備長炭やヒロメについて、中心市街地の人口増施策、都市計画税の徴収とその区域、駅前放置自転車問題や水道料金体系等々について質問をし、自身の意見を述べた。
前所属の教育、福祉部門の委員会と違い、この委員会では、道路、建物、公園、又、魚、梅、材木と言った、目に見える建造物や産品の具体的な議論が多く、それぞれの政策もその効果の良し悪しがわかりやすいものだなーと感じながら議論をしていた。
田辺市中心市街地活性化計画が国に認定され何年かが経ったが、その事によってスタートした多くの施策については、特に、その効果、現状について詳しく聞いた。
東北で大地震が発生して以降、沿岸部、津波防災の議論一色の感があったが、中活を含めての沿岸部街づくりをイメージせねばと、今委員会で再認識した。
台風12号による大災害が起こってから10日以上が経つが、被災の現場ではまだまだ、本当に大変な状況が続いている。災害にあわれた皆様には、心よりお見舞い申しあげます。
台風通過の前後、約2日半降り続いた雨は田辺の市街地に住む自分にとっても、大変な量だと感じるものだった。
台風通過中の2日は、大雨、台風時は様子を見に行く事にしている地区やお宅を訪問していたが、その時点ではまだ心配をしなければならないような状況ではなかった。
3日になっても強烈に降り続く雨の中、夕方あたりから大きく状況が変わってきた。再度、浸水の心配な文里や江川、芳養などを訪問。紀南の多くの河川に氾濫の警戒が必要という状況になる中、浸水がはじまった古尾を見に行き、知り合いに声をかけてまわった。後、会津町に住む瀬戸川沿いの高齢の夫人の方を車に乗せ市民総合センターに避難させ、それから、市に設置された災害対策本部に寄り、総務課長から避難の様子をきいた。そして、地元の上屋敷で浸水被害が出たと知り、現場に行き、対応に追われた。しかし、この時点でもまだ、紀伊半島南部全体に起こっている大災害の状況は想像もしていなかった。
4日、朝より、再度、古尾に行き、泥出し作業を行っているお宅を手伝ったり、又、行政に対しての要望を伺ったりしたが、このあたりから、本宮の大浸水や、那智勝浦町や熊野川町で大変な被害が出ている状況がマスコミや、市の対策本部から伝わってきた。
5日、県会議員とともに西牟婁振興局で被害や道路交通網の状況などを聞き、上秋津左向谷の氾濫状況を見て以降、6日、伏菟野の崩落現場と避難所を訪問。7日、本宮町、中辺路町で知り合いの方を訪ね、滝尻の崩落現場でプールになっている富田川を見た。
8日、42号線を通り海岸側から新宮市に入り、相筋地区の浸水現場を見た後、那智勝浦町、土石流により壊滅的な打撃を受けた那智川沿いを、知り合いを訪ね上ろうとしたが、道路の崩落により途中で断念。そして、その川沿いの状況は東北で見てきた津波による被害の状況と全く変わらないほどのものだった。
10日、百間、熊野地区の大崩落の現場に歩いて入り、プール決壊の恐れがある中も地元に残る方々の意見を聞き、深谷の知り合いを訪ね、日置川沿いの大地区の被害状況を見た。11日、白浜町の庄川、日置川町の久木を訪問。12日、日高川町の美山村皆瀬地区で浸水被災された方々の要望を聞き、龍神村に入り、小家、甲斐の川、福井の知り合いを訪ね、清川を抜ける。
あっという間に日が経つという感じの中、14日は、やっと、国道168号の本宮から熊野川町の日足間の通行止め解除を聞き、どうしても訪ねたかった日足地区の知り合いを訪ねた。道中、熊野川沿いでは電線に木がひっかかっていたり、建物の2階に船がささっていたりと、この大きな河川が氾濫し水位がここまで上がる恐怖というのは想像を絶するものだと思った。そして知り合いの方のお宅の被災状況を見て話を聞き、まだまだ、災害の状況は大変なままなのだと再認識をした。
通行止め解除となり訪問可能となった龍神、丹生の川に行き、15日には街頭募金を実施。そして今日、再度の伏菟野訪問、山の崩落により自宅が倒壊した方から当日の様子、現時点での要望等を伺った。
今日より2、3日、まとまった雨が降るとの事。午後より南紀各地で避難指示が出始めた。
本当に予想もしなかった大災害が起こり、まだまだ現場は大変な状況にある。今日よりの雨量が少なく、二次災害が起こらない事を祈るばかりだ。
