バックナンバー 2010年 11月

市議会の12月定例議会が開会、子宮頸がんワクチン助成や、来るべき和歌山国体に関わる三四六、スポーツセンター周辺の施設整備設計費などの補正予算を含む、41の議案が市から提案された。

自身が訴えてきた事が具体化する内容などもあり、しっかり、説得力のある意見を述べようと思う。

この議会が開会するまでに、水道の経営審議会や衛生施設、清浄館や田辺周辺の広域組合など、それぞれのH21年度決算の会議が多く続いた。

この頃からの時期は様々な生活相談も特に多く、師走の慌ただしさが増す中、毎年、12月になったとたん、一気に大晦日まで行ってしまうという感じだ。

なんとか今年は、忙しいながらも心をじっくり落ち着けてこの12月を越えたいと思っているが、さあ、どうでしょうか?

先日、龍神村の三ツ又地区の集会所に伺い、週に一度、地域の皆さんがネットから日用品などの買い物の注文をする取り組みについて見せて頂いた。

龍神の中でも商店等が多い西地区から、さらに車で20~30分かかる所にあるこの地区の方々は、日頃から車がないと食料品や日用品の買い物ができない。13世帯の集落は高齢化が進み、60代の方が若手といわれる状況で、日々の買い物をどうするかが大きな悩みだ。

田辺の市街地にある大手スーパーがネットで注文を受け、配達するというサービスを行っているが、配達料等の経費の採算の合う街中を対象エリアとしている。県がこれに対し、是非、山間部での過疎地でもと働きかけ、3カ月という期間限定で、一度やってみようという事になったようだ。

週に一度の注文を送るこの日も、10人くらいの方が順次、画面の商品の値段を見ながら、一週間分の食料品など、必要なものを注文する様子をみせて頂いたが、結果的にはストーブを囲み、ひざを交えて様々な意見交換をさせて頂く場となった。

自分自身は、市街地で生まれ育ち、又、今もその生家に妻子とともに生活をしている。議員として伺う要望や相談もほとんどが市街地の方からのものだ。山間部の過疎地の生活がどれだけ大変かという事は頭では理解しているつもりだったが、今回のこの地区の皆さんとの懇談で、その理解が現実とはほど遠いものだと認識し、本当に良い経験になった。

田辺の面積の広さを実感するとともに、やはり、議員は「現場に足を運んでこそ」だと思った。

農林水産まつりが目良の市営球場であり、来賓として参加した。毎年のこのイベントの日は、自分が家族の昼食を確保する事が恒例で、今年も当然のように、妻は昼食を用意するつもりはなさそうだった。で、さんま寿司とチラシ寿司、しらす、平テンなどを買ってかえったが、昼までにそれらはきれいになくなった。

開会式典では、来賓のあいさつを順次、地元政治家が行ったが、知事選や、来年の統一選もあってか、主義主張が多くてなんだか物々しかった。一次産業に従事する方達の努力に敬意を表し、結果的に地域に貢献して頂いている事に感謝をする、地元産品の良さをもっと知ってもらう、というのがこのイベントの趣旨だと思っているが、そのような心を伝える話は少なく、少し残念な気分になり、「政治家とは」みたいな事を考えさせられた。

午後、娘に着物を着せ、初めて七五三のイベントに連れて行った。ほんとに成長するのは早いものだと、自分の親バカぶりを認識しながらも、目を細め、写真を撮った。

そのあとにも一つ会合が入っていたが、そこでは、議員として又、がんばろうと思うような内容がありと、一日、様々な思いが巡った日だった。

先日、国道168号線の道路整備促進の陳情ため、東京の国土交通省と衆参の国会議員会館を訪問した。

これは、現在は田辺市である旧本宮町と奈良県十津川村が昔から、協議会を作り、その整備に取り組んできた経緯のあるもので、年に一度、陳情を行っている。何故かこの東京行きに参加するのは3回目で、今回は副議長として同行した。

初めて参加した時は、道路整備の陳情と聞けば、地方が役人や国会議員に頭を下げ、公共事業をなんとか引っ張ってこようというような、あまり良くないイメージを持っていた。確かにその性格が全くないとは言い難いが、特に十津川の方々にとっては、そんな悠長なものではない。

十津川村内を南北に通る168号線は国道ながら、車が一台しか通れない幅の箇所がいくつもあったり、背の高いバスやトラックが通れないトンネルなどがある。切り立った崖の下を縫うように走る道路で、何年かに一度はがけ崩れにより通行止めとなる。村内唯一のこの幹線道路がダメになると、迂回には最悪、2時間かかり、救急搬送や妊婦さんの急な出産などにとても対応ができなくなる。災害が起こると周りからは孤立するのも確実だ。雨が激しく降ると、がけ崩れが起こる危険性がある箇所は通行止めとなり、小学校が休校となったのも今年はもう7回だそうだ。

村長さんや十津川の議員さんたちは、真剣な顔で「私たちの命の道をなんとか整備をして下さい。」と訴えておられた。これが本当の陳情というものなのだろう。今年もその熱意には心を打たれた。

そして、それよりも、こんな環境の道路の整備を、村が自分達で行う事ができず、東京にお願いに行かなければならないこのような仕組みになっているのは何故かという事を考えた。「地方分権」というものを具体論として考えなければならないという認識はあるが、まだまだ、もっと大きな壁があるように思う。

和歌山県選出関係の国会議員との懇談などもあったが、何か明るい気分にはなれない東京出張でした。

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田辺市 小川浩樹
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