17、18日と日本自閉症協会の全国大会が和歌山市であり、同僚議員と参加した。

初日は茂木健一郎氏の記念講演等があり、二日目は各分科会別の勉強会だった。2日間を通して大変有意義で、自閉症支援についての現状を大きく理解する事ができたのと同時に、考えさせられることも多く、終了後も深く余韻の残るものとなった。

茂 木氏を含め多くの方々のお話を伺ったが、際立って、とくに二つの考え方についてなんだか心が揺れた。おおざっぱに言ってしまうとつまり、一つは、自分の意 に反する我慢などに大きなストレスを感じ、抵抗しようとする特性の自閉症の子供達に対し、なるべく小さい時から、叫んでも噛みついてきても淡々と、基礎動 作、学習の訓練を続ける、やがてそれに慣れ、ほめられる事を喜び、さらにステップアップ出来、究極の目的である就労に結びつけようというものだ。

自 閉症の子を持つ親の最大の不安は、自分たちがいなくなったときに我が子が生きていけのかという事だそうだが、ともかく、大人になったときに働く事が出来る という事を支援教育の目的とするという考え方だ。実際、会場でも、一人の子供が小さい時から支援学校で訓練を受け、少しづつ様子が変わり、何年か後、最後 は作業所でパン焼いているという映像があった。

も う一つは、そもそも日本という国の画一的な個性のない子ばかりをつくる、全てを標準化しようとする教育が大間違いだ。自閉症教育や支援についても、基本的 にはこの考えに基づき、健常な子供たちのカリキュラムに対してどこまで出来るかという考え方があり、文科省の役人が考えるこういう支援教育をまず、否定せ よといった内容のお話だった。(茂木氏ですが・・・)

茂木氏は「自閉症の子どもたちの持つ、例えば、景色を一瞬で記憶する事や、本を考えられない早さで読むなどの特性を、その事のみに集中させてやってでも伸ばすべきで、出来ない事を他と同じようにさせようとする必要はない。個を重んじる先進諸外国では特性を伸ばす事のみ(つまり、好きな事)を 家庭で行う事が出来、結果、分野でトップといわれる例えば、コンピューター技師や芸術家が生まれるなどの土壌がある。つまり、発達障害などをはじめから、 一つの特徴ある個性と認めているからだ。日本では何か上から目線で、この子たちを個性のない普通の子に標準化しようとする癖があるのではないか・・・(大意です) 」等々述べ、会場におられる役人や、現場教職員の方々には少し耳のいたい話でもあった。

二 つの話を聞いて自分の中にどう取り入れたらいいのか、まだ解らないのだが、前者の話を聞き、ビデオを見ている時、この話をされた方の言葉に「指示通りでき るようになった。支持をまもれるようになったのでよかった」という表現が多く、違和感があったのは間違いがなかった。一方、茂木氏の言うのは理想としては 間違いがないのだろうが、日本の中で、日々並大抵ではない苦労をされている自閉症の子供たちと向き合う親や支援者にとっては、単なる抽象論にしかならない だろう。

「政 治」をやっていて、方法論のみを追求する事は実は本末転倒で、根本解決にはつながらないと感じる事がよくあるが、今回は、二つの意見、後者に心は賛同し、 前者に違和感を覚えながらも、なんだか、自分の立ち位置が定まらない。大会参加が有意義だったのは間違いがないのだが・・・

長くなりました。投げかけのみで終わってしまいます・・・・

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