委員会行政視察の最終日は、横手市建設課が取り組まれている「公共施設市民サポーター制度」について学びました。
道路や公園などの公共施設は、いつもきれいであって欲しいと誰もが思っていますが、 木更津市もそうですが、市だけで市内全域の行き届いた管理をすることは容易ではありません。
横手市では、住民が道路や公園などを支援するサポーターとなって散乱ゴミ収集や草刈りなど、環境美化を担ってもらう「公共施設市民サポーター制度」を導入しています。
市は市民サポーターに活動に必要な物品・用具の支給、また4名以上の団体に対し団体名を記した看板の設置をしてくれます。
市民サポーターの活動頻度は、天候や体調にあわせて出来る範囲で無理なく行えます。
この制度で自分のまちを大切にしたいという温かい気持ちや住民の意識向上をめざしたいそうです。
市の美化のために無償ボランティアさんが無理なく活動できる制度を確立されている横手市は素晴らしいと思います。参考にしていきたいと思います。
石巻市では東日本大震災で被災の大きかった地域を観光ボランティアさんの案内で現地視察し、震災当時の状況と現在の復興状況から、大震災に備えるべき教訓を学びました。
観光ボランティアさんから語り伝えていただいた体験談を抜粋して紹介します。
「2011年3月11日午後2:41 海岸線に近い職場にて震度6の地震発生。座っていられず四つん這いのまま約3分間揺れが続き、その後2〜3メートルの津波が襲う。午後4:10には3波の泥水で浸水。ガレキと運転席でハンドルを握ったままの車が流されるのを目撃。地面が見えたら外へ出ると決め、人生で一番長い3泊4日を経験。
一つの学校に3000人から4000人が避難。被災地を見渡した限り、片付けに一年はかかるだろうと想像していたが、地元の大学にボランティアセンターを設置できたおかげで5月から食料持参のボランティアさんの力を借りて3ヶ月余りで片付けが終了。今でも全国からの支援に対し感謝の気持ちでいっぱいです。
仙台平野は津波が来ても70センチほどの床下浸水くらいだろうと言われていたが、想定外の5メートルの津波が襲った。地下インフラ沈下のため一からの再生が必要なため時間がかかり、7年7ヶ月経った今でも区画整理中の地区がある。
震災前は石巻で一年間に発生するガレキは6万トン。震災後は428万トンが集積された。60年分にあたる。ガレキ処理はセシウムの問題があったが受け入れてくださった自治体のおかげで3年間で処理完了。ただガレキ受け入れで自治体によっては賛否があったのが残念。
産業系の復興は進んでるが、生活再建においては未だに約2000件の仮設住宅に住まわれている方々がいらっしゃる現状も。
9日目で最後に救出されたおばあちゃんと孫。家が流されガレキで出られず2人で2階にあった冷蔵庫の中の水分だけで命をつなぐ。今はお孫さんが石巻市に帰ってきて復興に携わる仕事をしている。
毎月避難訓練を実施していた保育所は全員高台に逃げ助かった。
海岸線に居住している人の心得として高台へ逃げる、家族で待ち合わせ場所を2箇所決めておく、探している人に会えるまでメモを必ず置くなどを伝えたい。」との生の声に改めて我が地域の防災・減災についてさまざま考える経験となりました。
建設経済常任委員会の行政視察で福島県南相馬市に来ています。
南相馬市版スマートコミュニティモデル事業について勉強させていただきました。
この事業は、災害公営住宅や防災集団移転地をモデル地区として、再生可能エネルギー(大規模太陽光発電所・風力発電所の建設)や家庭用エネルギー管理システム(HEMS ヘムス)を活用し、家庭内のエネルギーの管理や制御を行うためのシステムを利用し、家庭での電力の使用状況を図やグラフなど様々な形で『見える化』することで、電力の使われ方を把握し節電に役立て、省エネコミュニティをつくることを目的としています。
資料説明と質疑後は、平成27年4月に完成した大町災害公営住宅を現地視察させていただきました。スマートコミュニティモデル地区として、建設に併せて太陽光発電・蓄電池を設置、また(株)東芝さんの協力を得て各戸にタブレットが置かれヘムスが整備されています。
震災から7年7ヶ月が経過しましたが、まだまだ原発事故の影響が色濃く残っているのが現状とのことで、原子力から再生可能エネルギーへの転換をビジョンに掲げられています。