豊田佐吉 生誕150年
今日の公明新聞より トヨタ産業技術記念館 副館長/学芸員 成田年秀氏の寄稿
すごい人だ!! 只々、感動。創始者、創立者の純粋な心が成しえた発明魂に大感動。成田年秀(なりたとしひで)氏の寄稿文を読んで…
豊田佐吉(とよださきち)さんは、1867年(慶応3年)、遠江国敷知郡(とおとうみのくにふちのこおり)山口村〈現在の静岡県湖西市〉で大工兼農家の長男として誕生。お父様は実直な性格で信頼も厚く、この地方に伝わっていた“報徳思想”を生活信条にされており[報徳思想=二宮尊徳(にのみやそんとく)が広めた、私利私欲を戒め経済と道徳の融和を重んじる考え]、至誠、勤労、分度、推譲(すいじょう=分度を超えるものは国家社会に奉仕する)を4綱領とし、佐吉さんも影響を受け、国家社会に奉仕することを志したとか。
少年期は、毎晩のように村の仲間と夜学会を開き、本や新聞などから新しい知識を得ようと努力。そして国家社会のために自分は何ができるのかと思いを巡らせた明治の青年の一人だったとか。18歳の時に専売特許条例の公布を知り、国家のために発明することを決意。貧しかった日本を、発明によって欧米のように豊かにしたいという夢を生涯貫き通したそうです。
1890年(明治23年)佐吉23歳。発明したのは木製人力織機。1924年(大正13年)当時世界最高と評価されたG型自動織機が完成。悪戦苦闘、失敗の歴史、第一次世界大戦の好況と反動不況の中、発明と経営のはざまで艱難辛苦(かんなんしんく=非常な困難にあって苦しみ悩むこと)を乗り越えたあとの完成だったそうです。
この成功が、1929年(昭和4年)英国プラット社への特許権譲渡契約につながり、息子の豊田喜一郎(きいちろう)さんが、自動車産業への進出を決意する、まさにトヨタの原点になったそうです。
佐吉さんの考え。異常があれば止まる、不良品は絶対に造らない、人を機械の番人にしない。これがトヨタの生産方式で、ニンベンの付いた、“自働化”だとか。
また、数々の失敗から、発明品を世に出すことにおいても「発明品は、自ら製作に従事し、注意を払い十分に試験を重ねた後でなければ完成しない。試験成績が十分でない間は決して販売しない」という徹底した信念。
「障子を開けてみよ。外は広い」「出来ないという前にまずやってみろ」など。
私も製造業出身。佐吉さんの考え方に感銘をおぼえました。当時の上司から「後工程に不良を流すな」の言葉に、日々改善の懐かしい思い出。
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今年は豊田佐吉生誕150周年だとか。トヨタ産業技術記念館では、発明に生涯をささげた佐吉さんのスピリットに迫る様々な行事を開催。「報恩創造」「百折不撓(ひゃくせつふとう=何度の失敗にもめげずくじけず挑戦すること)」という言葉に代表される佐吉さんの生涯と、彼を支えた人々の紹介が…
ところで自動織機って…自動で布を織る機械のこと。







