高槻市議会議員 吉田あきひろのごきんじょニュース

明日の 希望は ひとりの人を 思う心から

古墳時代とまちかど遺産を巡る

□副議長公務 いいね!!たかつき 式典・イベント 高槻市HPへリンク / 2017年3月20日

春季特別展「太田茶臼山古墳の時代」と第35回企画展「高槻まちかど遺産」を

20170320_065414946_iOS本日は、正副議長公務として高槻の歴史を巡りました。

まず、高槻市立今城塚古代歴史館を訪問。こちらでは、春季特別展「太田茶臼山古墳の時代-王権の進出と三島-」が開催。

開催期間は3月18日(土)から5月21日(日)まで[開館時間10時~17時・月曜日と祝日の翌日は休館、3月20日、21日、4月30日、5月6日は休館]

淀川北岸に広がる三島平野には多くの古墳が築かれており(三島古墳群)、なかでも太田(おおだ)茶臼山古墳は5世紀中頃に建造、墳丘長226mと流域最大の前方後円墳ということでした。ここにはヤマト王権の一端を担う人物が葬られたと考えられているそうです。

本展では、太田茶臼山出土品を中心に、周辺に展開する同時期の土室(はむろ)古墳群、太田古墳群や総持寺古墳群と新池埴輪製作所跡、渡米系要素の濃い安威遺跡などの集落を紹介。また、宮内庁が所蔵する誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳や大山(だいせん)古墳の多数の出土品も展示されていました。

5世紀の大王墓との比較と6世紀に三島の地に大王墓・今城塚古墳が築かれるに至る前史を探ることができるとパンフレットにありましたが、三島古墳群から今城塚古墳への大きさ等の変化は、太田茶臼山古墳からの影響で、国が介入してきたからではとの説明をいただき権力的な歴史の流れを感じました。

また、多くの出土品も大きい(紐状にした粘土を積み上げていく輪積みの手法だとか)ものが多く、その器等は威厳を表しているともお聞きし、ほかにも巫女の顔や馬の顔、馬の鞍などもあり、雄鶏のトサカの形など印象的で、時を告げる鳥(コケコッコ~)として重宝がられたと興味深いお話も聞けました。このような土器の文化も海の向こうから(百済)、人や技術が伝えられ、さらに感動をした次第です。

春季特別展「太田茶臼山古墳の時代」 <高槻市ホームページ

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20170320_071200555_iOS次に、高槻市立しろあと歴史館では、第35回企画展として、「文化財をめぐる 高槻まちかど遺産」が開催。

開催期間は3月18日(土)から5月14日(日)まで[月曜日と祝日の翌日は休館日] 

文化財を巡るまちかど遺産は、市民の皆さんから身近な場所の歴史や伝説を募集。高槻を5つに分けて選定し、全地域が出揃ったことから、それぞれの内容が紹介されていました。

本展では、ゆかりのある古文書や古地図、古写真などが展示。それぞれの背景や歴史も紹介されていて、特に保存状態の良さに感動をしました。

20170320_071527614_iOSまた、近年の案内板など「あれってそうだったんだ」と気づかされ、現地に足を運んで再発見する楽しみもできましたが、主な展示品として、芥川宿の絵図、富田村の太閤検地帳、梶原台場の絵図、大塚町の渡船場の絵図、東天川・春日神社のだんじりの修復費を書いた帳簿、大塚村の絵図等々、身近な歴史にも驚かされました。

こんなお話を聞きました…高槻の神峯山寺(かぶさんじ=大字原)は毘沙門天を本尊としていますが、戦いの神とともに商売繁盛の神としても有名のようで、大阪の商人は、行きは淀川を船で上り、三島江や唐崎でおりて芥川沿いを歩いて行ったとか。そこにも道標が…すごい距離ですよね。

追伸…
しろあと歴史館では、武将やお姫様、南蛮の衣装等が置いてあり(ボランティアの方々の手づくりだとか)、簡単に着て写真撮影ができるのも楽しみ方の一つです。実は私も…
また、高山右近の資料等も併設されていました(*゚▽゚*)

しろあと歴史館第35回企画展「高槻まちかど遺産」 <高槻市ホームページ

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皆様も是非一度ご来館を…

戦国時代の多才なキリシタン大名

いいね!!たかつき お知らせ 高槻市HPへリンク / 2017年1月5日

高槻市の観光パンフレットに

2017-01-05高槻の観光パンフレットの一つに「高山右近」が紹介されています。また、このパンフは“城下町ガイドマップ”にもなっています。城跡公園にある銅像等、普段は、まちの中にとけ込んでいるように感じますので、あまり意識してなかったのが正直なところですが、歴史上で高槻に縁のある人物といえば、やはり「高山右近」ですね。高槻城主、キリシタン大名、武将、茶人と戦国時代でも多才な人物だったようです。

今週、高槻現代劇場におきまして「高山右近伝」が、OSK日本歌劇団の皆さんにより公演されますので、改めて、城跡公園やカトリック高槻教会に設置してある「高山右近」像を意識して、観光パンフレット「高山右近」を読み直してみました。

さて、右近さんは、どんな生き方をした人物なのでしょうか?

パンフレットによりますと、1564年(永禄7年)12歳の時にお父さんの勧めでキリスト教と出会い洗礼を受けました。奈良県の沢城で「ジュスト」という名前を受けたらしいですね。

1573年(天正元年)、21歳の頃に高槻城主。城下町を整備しながら20を超える教会を建設。当時の人口2万5千人のうち7割強が信者だったとか。さらには、織田信長や豊臣秀吉に仕え、黒田官兵衛なども入信に導いたらしいですね。

武人としての才にも長けていて、1582年(天正10年)、明智光秀との山崎合戦では、秀吉方の先鋒として活躍。1590年(天正18年)小田原北条氏攻めの際、前田利家の下でも働いたとも。

また、高岡城や金沢城の設計に関わり、文化人としての教養も高く、茶の世界では千利休の弟子だったとか。

しかし、多才な人物でも苦難が。1587年(天正15年)秀吉によるバテレン追放令や1613年(慶長18年)徳川幕府によるキリスト教の禁教令など。右近は弾圧を受けるのですが、大名の地位を捨ててまでも信仰を貫いた人だったようです。

追放令後、加賀の前田家に迎えてもらい金沢に移住。しかし、禁教令が出ると、国外追放となってしまい、長崎からマニラへ。無事、到着はしましたが、間もなく病気によって最期を迎えられたそうです。1615年(慶長20年)、63歳ですかね。

亡くなられてから400年。迫害を受けながらも生涯信仰を貫き通したということで、「福者」の称号が与えられたそうです。また、右近が縁で、1979年(昭和54年)高槻市とマニラ市は姉妹都市になりました。マニラにも銅像が・・・。

そんな訳で、7日(土)にOSK日本歌劇団の皆さんと、「香月蓮」さん主演による「高山右近伝・乱世なればこそ、永遠の勝利を」が公演されます。皆さん、頑張ってくださいね!! 大成功をお祈りしています。

 

高山右近観光パンフレット <高槻市ホームページ

明日から仕事はじめ

□副議長公務 / 2017年1月3日

お正月3日目

年末年始をふるさとや行楽地で過ごした人たちのUターンラッシュは3日がピークで、各交通機関が混雑しているとニュース報道されていました。どうか皆さんお気をつけて帰宅してくださいね。

実は、わが家でも息子たち家族が遊びにきてくれて、家族みんなの元気な笑顔が見られ一家団らんの喜びを感じる3日目となりました。

さて、明日からは仕事はじめ。2017年(平成29年)の新たな年の副議長公務スタートも全力で頑張ろうと決意をしています。皆様、今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

1月4日(水)/市役所でのあいさつ/新春年賀交歓会
1月7日(土)/福者認定記念 OSK日本歌劇団「高山右近伝」観劇
1月8日(日)/平成29年高槻市消防出初式
1月9日(月)/平成29年高槻市新成人のつどい

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OSK日本歌劇団“香月 蓮さん”と

□副議長公務 お知らせ / 2016年9月15日

来年1月公演の「高山右近伝」のアピールと表敬訪問

20160915_044203510_iOS今日は感動のご訪問をいただきました。OSK日本歌劇団の“香月 蓮さん”です。来年の1月7日(土)に高槻現代劇場中ホールにおいて、福者認定記念「高山右近伝」の公演をされるとのことで、主演の香月さん自らの表敬訪問をお受けしました。濱田剛史市長との面談のあと副議長室にも。(議長がご不在でしたので代理でお会いさせて頂きましたが、実は緊張と感激で)

はじめてお会いしましたが、笑顔など、とてもステキな方で、高槻での公演、「観に行きますので、是非とも頑張って下さいね!!」とエールを贈らせて頂きました。

高山右近伝・乱世なればこそ、永遠の勝利を-
(主催/(公財)高槻市文化振興事業団 協賛/高槻商工会議所・(公社)高槻市観光協会 後援/高槻市・高槻市教育委員会)

高槻現代劇場 < リンク

20160915_044939475_iOS舞台は、元亀4年(1573年)高槻に時代の鍵を握る一人の男。その名は高山右近。

父の高山友照に勧められ、洗礼を受けジュスト(正義の人)として民に慕われていた右近。摂津国の若い領主、和田惟長(これなが)に仕えていた右近、実は人望の厚さからうとまれて・・・領主の嫉妬と疑念、命を狙われて・・・九死に一生、思い悩み、信仰の道へ。

時は戦国。織田信長の圧倒的な戦力は高槻へ押し迫って。正義と愛に生きた右近のとるべき道とは。

高槻の繁栄の基礎を築いた男の半生をドラマティックに・・・・それは観てのお楽しみ。

OSK日本歌劇団
1922年(大正11年)大阪に誕生。戦前より宝塚歌劇団、松竹歌劇団と並ぶ「三大少女歌劇」として人気を博す。高槻市ともご縁が深く、劇団の麗羅 リコさんは高槻市出身、OSKのプロダンサーも市内中学校へのダンス指導にも。創立95周年。

秋季特別展と文化の秋

いいね!!たかつき 式典・イベント 高槻市HPへリンク / 2015年11月1日

高槻市立しろあと歴史館から現代劇場へ

午後からは「文化の秋」を楽しんできました。現在、しろあと歴史館では秋季特別展として「大阪の修験と西方浄土」が展示されています(12月6日まで) 20151101_041732000_iOS 高槻市は、大阪平野の北東部に位置し、北部は市域のほぼ半分を占める山間部となっています。古来、人々はこれらの山々を神の宿る山として信仰し、神峯山寺(かぶさんじ)をはいじめとする山寺を開創してきました。大阪では、神峯山と和泉南部の葛城(かつらぎ)山系に山林修行の場が営まれ、山岳修行による験力(げんりき)で宗教活動を行う修験道(しゅうげんどう)が展開します【高槻市教育委員会の資料から】

法螺貝や山岳修行の衣装、また、成合春日神社の雨乞い祭具(龍神)等、数多くの文化財が展示されていました。

20151101_035601876_iOS淀川の三十国船(常設展示ですかね?…船乗りでなく悪乗り?)

また、しろあと歴史館から少し足を伸せば高槻現代劇場。こちらの「文化の秋」は、俳句コンクールやこども絵画コンクールの展示がされていました。

俳句は、五・七・五の十七音から成る日本語の定型詩、無季俳句などもあるようですね。

ここで、一句。「まちづくり 住み良さ一の 高槻市」お粗末!!

さて、絵画コンクール、小中学生の夏の思い出か、カブトムシやクワガタムシが画用紙いっぱいに描かれていたり、海で友人と遊んだ思い出等もあり、高槻市長賞などが良かったと思います。

今日一日の高槻市のイベントは以下の通り、「文化の秋」高槻はすごいですね!! (高槻市のホームページより)

「たかつきスイーツコレクション」が開催されます
【こども絵画コンクール】
【俳句コンクール】
【文化祭俳句展】
【秋季謡曲・仕舞の会】
【第48回高槻市菊花展】
【筝、三弦、尺八による邦楽演奏会】
【茶会(野点)】 あくあぴあ芥川 企画展「モズのはやにえ」(10/10~12/13開催)
しろあと歴史館 特別展「大阪の修験と西方浄土 ~神峯・葛城山と日想観の山寺~」【10月3日~12月6日】
しろあと歴史館 秋季特別展記念連続講演会「山寺の歴史と美術」
しろあと歴史館 第31回トピック展示「高山右近とゆかりの文化財‐古文書とキリシタン墓‐」【10月3日~12月27日】
シニア劇団そよ風ペダル公演「ちょうどいい粗忽~そよ風ペダル・たのしいコント集<高槻物語仕立て>~」
ラグビー体験教室(10~12月)
今城塚公民館 現代的課題パソコン講座 「関大生と学ぶ初心者のためのワード講座」
今城塚古代歴史館 体験教室「ハニワづくり」【10月~12月】
今城塚古代歴史館 秋季特別展「律令時代の摂津 嶋上郡」【10月3日~12月6日】
公民館巡回パネル展「戦争と高槻」を開催します
合気道教室(10~12月)
市長杯ダブルステニス大会
市長杯バスケットボール大会
歴史民俗資料館 企画展「高槻の産業 -酒造りの道具-」【10月10日~平成28年3月31日】
空手道教室(10~12月)
第6回 阿武山公民館文化祭 自然観察会「芥川の石ころ」(11/1開催)
陶芸教室(初級)日曜コース(募集期間は終了しました)

高槻の話題

□その他 地域 いいね!!たかつき お知らせ 安全実績ナウ 高槻市HPへリンク / 2014年3月12日

タカツキのステキな取組み

高槻市のホームページを見ていてステキな取組みだな、大事な事業だなと感じた記事を掲載させて頂きます。

学校教育

市立第四中学校・富田小学校・赤大路小学校が「平成25年度キャリア教育優良学校」として文部科学大臣表彰を受賞。誠におめでとうございます。(連携型 小中一貫教育校)

市役所の休日開庁

休日ですが、この日は開庁ですって!!転入・転出等に関わることに休日開庁

防災訓練

健康福祉部保健所難病チームの防災訓練「在宅人口呼吸器装着難病患者さんの避難訓練」を危機管理室がホームページで紹介! 大事なことですね

高槻の歴史

NHK大河ドラマ、軍師・官兵衛」で高槻城主・高山右近や高槻の城下町の風景が紹介されるそうです。楽しみ!!

警備ボックスの改善

迅速な対応をするために・・・

桃園町2番 (362)

高槻の一頁

いいね!!たかつき お知らせ / 2013年7月14日

たかつきのまちを歩いて

淀川近く、実家のある深沢住宅の10階から、過日、高槻市の街並みを眺めてみました。多くの建物が立ち並び人の賑わいを感じるまちの背景には北摂連山が展望できます。36万の中核都市として10年の歴史を刻み、市制施行70年の節目に当る本年、充実した高槻のさらなる発展を願い祈る思いでした。

ある日、産経新聞「北摂街道をゆく」の記事に目が留まりました。JR高槻駅北側にある天満宮の大きな鳥居、約200mの天満宮までの参道周辺が戦国時代の織田信長や豊臣秀吉が軍陣を敷いた「天神の馬場」と呼ばれた場所だそうです。ちょうど写真風景の方向ですかね(^^)v

永禄11年(1568年)、445年前の9月、信長は天神の馬場に陣を張って芥川山城の三好勢を攻め、三好勢が退散したため無血入城、そして信長は瞬く間に畿内を支配するに至ったと記されていました。

信長は、この高槻には14日ほど滞在したようですが、当時35歳、「御逗留之間、門前成市」(とうりゅう=滞在/もんぜんせいし=その家に出入りする人が多いようすを言う言葉)と記録があるようで、多くの人が挨拶に訪れたようです。

10年後の天正6年にも信長は高槻を訪れ、高槻城主・キリシタン大名の高山右近を攻め、調略(はかりごとをめぐらす)して味方にしたそうで、さらに4年後の天正10年も本能寺の変で信長を抑えた明智光秀と戦うため、豊臣秀吉が岡山から駆け戻り(中国大返し)天神の馬場に本陣を構え、天王山の合戦で秀吉は勝利し、天神の馬場は勝利を呼ぶパワースポットだったと本紙は評されていました。

 

当時の人々には、まちの風景がどのように見えたのか、勿論、写真のようなまちなみではなく、一面、田畑やお城の姿もあったと思いますが、滝のように流れる汗をハンカチで拭いながら暑い7月のまちを歩いてみました。過去・現在・未来と高槻の一頁ごとの積み重ねは、毎日が歴史であり、毎日が感動で超分厚い本ができそうだと、歴史の移り変わりに思わず感動してしまいました。

7月21日は第23回目の参議院選挙の投票日、人類発展の偉大さを感じながら、市政に携わる一人として、平和で素晴らしい未来を築いていきたいと、さらに決意をする一日となりました。

高槻いいね!

いいね!!たかつき お知らせ 式典・イベント / 2012年4月19日

高槻といえば

高槻ジャズストリート、高槻太鼓、今城塚古墳、高槻城跡、高山右近、西国街道、摂津峡、れんげの里、富田の酒、寒天、原のどぶろく、うどん餃子、三箇牧トマト、埴輪のはにたん等。高槻での新しい出会いを・・・

参考資料
・高槻観光ガイドマップ
・GO!TAKATSUKI(高槻案内リーフレット)
・関西の中央都市 高槻まちNavi

住んでみて良かった街ランキング(関西圏) 第1位