青空がいっぱいの日に自然史博物館へ
先日の「あきひログ」でご紹介させていただきましたが、あきひろ日記「夏の自由研究」大阪平野は海だった・・・けど「水の都大阪の歴史」で旧石器時代から弥生時代くらいまで、大阪平野の地形の変化を調べました。今回は、もっと知りたくて、先日、大阪市立自然史博物館(大阪市住吉区長居公園)を見学してきました。
博物館、入口の「ケヤキ」が印象的で。「槻」のこと。
地球誕生からの生命の進化、大阪を中心とする地形の変化、現在の大阪の自然等々、興味深い資料がいっぱい。この、“あきひログ”では気になった資料を年代ごとに整理してみましたので、よろしければご一読を・・・
46億年前
地球の誕生から
1500万年前
この頃、西日本では今の東海地方に浅い海が。中国地方には、ところどころ湖が。山陰地方から東海地方にかけて瀬戸内海のような浅い内海が広がっていた暖かい海。
260万年前
南極大陸などを氷河が広くおおう氷河時代。寒い氷期と暖かい間氷期を80万年の間は10万年周期で寒暖の差が激しくあったよう。氷河の量が増えると海水が減少、陸地が増え島と島が陸続きに。間氷期には海水が増え、陸地が狭く。生き物も気候や地形の変化で分布を変化。
大氷河時代には人類が出現。
43万年前
氷期、ナウマンゾウ(2万年前滅びる)、中国大陸から日本列島に、津軽海峡が一時的に凍ってできた「氷橋(ひょうきょう)」を渡って。
15万年前
旧石器時代、上町海。気候は寒、涼、暖を繰り返す。
12万5000年前
間氷期、上町台地は海の底。上町層が堆積し、その後、上町断層(西側に上町断層、南北にのびる)の活動により東側の地形が高く。
7万年前
最後の間氷期。最も暖かかった12万5000年前は海水が現在よりも5~7m高く。枚方や生駒山地のふもとまで海。上町台地にこの時代の海にたまった地層が発見されていることから「上町海の時代」と呼ぶこともあるとか。
2万3000年前
最終氷期の中でも最も寒かったころの大阪平野は、古大阪平野と。現在よりも起伏に富み、丘陵や小高い大地・段丘の中を古淀川、古大和川が流れていました。海岸線は、紀伊水道あたりで、旧石器人は陸地だった大阪湾でゾウやシカ狩りを。
寒冷な氷期、現在よりも平均気温は7℃くらい低い、当時の海面は、今より120m低く、大阪湾も瀬戸内海も陸地。ナウマンゾウやヤベオオツノジカ生息。
朝鮮海峡や津軽海峡は陸続き、大阪湾や瀬戸内海は陸地。
1万年前
縄文時代。古河内平野。最温暖。
5500年前
縄文時代には、現在の河内平野の奥まで海が。河内湾。海は退き、川が土砂を運びこんで、河内湾を埋めていく。河内湾の入口は狭くなり、弥生時代中ごろ(2300~2000年前ごろ)には、河内湖と呼ばれる湖に。人々は水田をつくるため低地に進出。たびたび洪水に。
弥生、古墳時代へ
古河内平野の時代
気候が暖かくなるにつれて、しだいに海面上昇。上町台地より西は海、大阪湾に。東の古河内平野は陸地。
河内湾の時代
現在よりも暖かく、海面は少し高い。古河内平野にも海が侵入、河内湾へ。
5000~6000年前、海面が高く、大阪平野は上町台地を半島状に残して海に。この時、海の波で半島の西側は削られ崖に。(現在の天王寺周辺に上町台地の崖がみられるとか)、断層によってできた「海食崖(かいしょくがい)」
河内潟の時代
上町台地の先端から北へ砂州がのび、河内湾の入り口が狭く。湾の奥は淡水化して潟に。淀川と大和川が運んだ土砂がたまって低地に。稲作が行われる。
河内湖の時代
砂州は北へ。海水が入らなくなり河内湖に。その後5世紀、洪水対策で難波の堀江が掘られる。河内時代のなごりは、江戸時代まで。深野池、新開地として残る。
現代(進み過ぎ?)
1800年代の高槻市の古地図を発見、高槻村、高槻城を発見。2000年代と比較してみて密集度合が大きく変化してきたことがわかります。
感動の連続。地球誕生から気が遠くなるような時間の経過。温暖や寒冷の気候による海面と陸地の変化、繰り返し、生命の誕生と移動、ヒトの生きる知恵など。そんな環境の変化の上に今があると思うと。
未来はどう変わっていくのか。どうすべきなのか。守ることが・・・