あきひろ日記 潮4月号「天災と人災」-先人の知恵を語る(上part-1)を読んで
東日本大震災から7年。日本人が本来の人間観、人生観、共生する知恵、震災の教訓を、歴史学者の磯田道史氏と国文学者の中西進氏が語る「天災と人災」・・・。
「震災後」ではなく「災間」を生きる日本人
磯田氏の母方の家系は徳島県の牟岐(むぎ)という港町の出身。1946年、当時2歳のお母さまは「昭和南海地震」の津波で行方不明になられたそう、牟岐では、代々「大地震が起きたら山へ逃げろ」と言い伝えられてきたことから、幸い裏山で、日の出とともにお母さまは元気で見つかったとか。
磯田氏は「南海トラフ地震と津波は先祖の仇」と歴史津波も研究されているそう(テレビ等では、坂本龍馬など歴史解説などで拝見する印象が強かったのですが、津波の研究も・・・)
かつて茨城大学に勤務されていたそうですが、東日本大震災の翌2012年には、浜松の静岡文化芸術大学に転勤。それは、南海トラフが次に動いて巨大地震が起きた時、想定される命に及ぶ被害者が一番多いとされているのが浜松だから、家族で移住し、古文書を探し4年間現地を歩き回ったそうです。
火山列島、震災大国・日本は、歴史を通じて大震災や津波に襲われ続けてきた。陸地面積は地球の陸地の0・24%にも関わらず、世界で起こる地震の5分の1が日本。
今は、東日本大震災後を生きているのではなく、「災間」を生きていると。だから自覚をもって、次に起きる震災への防災・減災対策を打つべきと。
中西氏、東日本大震災からの7年を考えるのは貴重なこと。日本人は忘れやすいと言われていても、「忘れ形見」とういう言葉があるくらい、「忘」には「残す」という意味があるらしい。目に見えるものは忘れても、大切なことは記憶にしっかり残す。震災や津波など不利益なことでも必ず記録として残していく。日本人の特性だと。
磯田氏、「無い」という状態を知っているからこそ「有る」ことがありがたい。様々な記録を書き残し、震災や津波によって亡くなっていった人たちの記録を後世に伝えてきた。「災間」を生きていることを自覚し、記録を必死で伝承してきた。
専門家でない私たちは、後世の人、家族や子孫に何を残していけるのだろうか。特に災害が多くない大阪にいる私たちは。そんな思いが・・・
自然災害以外でも、個人的に感じることは、楽しい時間はすぐに過ぎていき、辛く、悲しい思いは永遠に続くように感じる。先の楽しい予定は、中々こないのだが、嫌な予定はすぐにきてしまう。時間とは不思議な感覚。冷静に、客観的に、子どもたちに生き方を伝えていきたい。ある意味では、いつも「災間」にいるからこそ、現実を知り、落ち着いて次の準備を進めるのが大切なのか・・・
追伸
今日の「公明新聞」未曾有の熊本地震から2年。被災地では、今なお、応急仮設住宅に8790人、みなし仮設住宅に2万7600人、公営住宅に1722人が身を寄せていると・・・心からのお見舞いを
つづく
