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戦国時代の多才なキリシタン大名

2017年1月5日

高槻市の観光パンフレットに

2017-01-05高槻の観光パンフレットの一つに「高山右近」が紹介されています。また、このパンフは“城下町ガイドマップ”にもなっています。城跡公園にある銅像等、普段は、まちの中にとけ込んでいるように感じますので、あまり意識してなかったのが正直なところですが、歴史上で高槻に縁のある人物といえば、やはり「高山右近」ですね。高槻城主、キリシタン大名、武将、茶人と戦国時代でも多才な人物だったようです。

今週、高槻現代劇場におきまして「高山右近伝」が、OSK日本歌劇団の皆さんにより公演されますので、改めて、城跡公園やカトリック高槻教会に設置してある「高山右近」像を意識して、観光パンフレット「高山右近」を読み直してみました。

さて、右近さんは、どんな生き方をした人物なのでしょうか?

パンフレットによりますと、1564年(永禄7年)12歳の時にお父さんの勧めでキリスト教と出会い洗礼を受けました。奈良県の沢城で「ジュスト」という名前を受けたらしいですね。

1573年(天正元年)、21歳の頃に高槻城主。城下町を整備しながら20を超える教会を建設。当時の人口2万5千人のうち7割強が信者だったとか。さらには、織田信長や豊臣秀吉に仕え、黒田官兵衛なども入信に導いたらしいですね。

武人としての才にも長けていて、1582年(天正10年)、明智光秀との山崎合戦では、秀吉方の先鋒として活躍。1590年(天正18年)小田原北条氏攻めの際、前田利家の下でも働いたとも。

また、高岡城や金沢城の設計に関わり、文化人としての教養も高く、茶の世界では千利休の弟子だったとか。

しかし、多才な人物でも苦難が。1587年(天正15年)秀吉によるバテレン追放令や1613年(慶長18年)徳川幕府によるキリスト教の禁教令など。右近は弾圧を受けるのですが、大名の地位を捨ててまでも信仰を貫いた人だったようです。

追放令後、加賀の前田家に迎えてもらい金沢に移住。しかし、禁教令が出ると、国外追放となってしまい、長崎からマニラへ。無事、到着はしましたが、間もなく病気によって最期を迎えられたそうです。1615年(慶長20年)、63歳ですかね。

亡くなられてから400年。迫害を受けながらも生涯信仰を貫き通したということで、「福者」の称号が与えられたそうです。また、右近が縁で、1979年(昭和54年)高槻市とマニラ市は姉妹都市になりました。マニラにも銅像が・・・。

そんな訳で、7日(土)にOSK日本歌劇団の皆さんと、「香月蓮」さん主演による「高山右近伝・乱世なればこそ、永遠の勝利を」が公演されます。皆さん、頑張ってくださいね!! 大成功をお祈りしています。

 

高山右近観光パンフレット <高槻市ホームページ

高山右近列福記念献茶弥撒

2017年4月25日

高槻城主 高山右近列福記念

キリシタン大名高山右近(高槻城城主1573~1585)がカトリックの聖地バチカン市国から福者の認定を受け、過日、列福(宣言)式が大阪で開催されたとお聞きしましたが、高槻でも、OSK日本歌劇団の皆さんによる福者認定記念公演「高山右近伝」や高槻市民有志の皆さんによる“高山右近フェスタ”「高山右近美術展2017」等が開催。

本日は、「高山右近列福記念献茶弥撒(ミサ)=カトリック高槻教会」と「高槻城主 高山右近列福記念“千 玄室大宗匠(せんげんしつ だいそうしょう) 特別講演”=高槻現代劇場」にお招きをいただき、貴重な体験に大変、感動をした次第です。

高山右近は武人であり茶人。千利休の高弟の一人。列福を祈念して“裏千家 鵬雲斎(ほううんさい) 千 玄室大宗匠”ご奉仕の献茶弥撒が厳粛に開催されました。

大司教のごあいさつでは「和敬清寂(わけいせいじゃく)」のお話し。調べてみると元々は「謹敬静寂」茶祖 村田珠光が茶道の心を言っていたそうですが、この言葉を千利休が一字を改めた言葉だと。相手を敬うことにより和になり、居心地の良い清々しい関係が保てると。愛や平和、キリストの教義に通じるのか、茶道との結びつき。改めて感動しました。

また、「キリシタンと茶の湯」と題した“千 玄室大宗匠”の 特別講演。1923年94歳。私が語るのは大変失礼なのですが、品位の中にも、飾らないお言葉と年齢を感じさせない姿勢にも感動致しました。

“ジュスト高山右近”すべてを捨ててまでも貫き通した信仰への道。その信念が、400年経つ今、“福者”の認定へ。
右近は多くの人々に愛されているんだなぁと感じました。

戦国時代の多才なキリシタン大名(高槻市の観光パンフレットに) <あきひログ

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