あきひろ日記
秋ですね〜(*^^*)
先日、緑地帯の除草依頼を受けました。これが伸びると通行のさまたげとなり、本当に危険なんです。現地の確認をしましたらあまり繁茂していないので、今のうちにと、朝から夫婦でカマを片手に作業を開始しました。秋で良かった(^_^;)
約2時間で清掃ボランティア作業完了。これで歩行者も自転車も自動車も見通しが良くなって安全安心だと思います。だけど過信は禁物ですが。ゴミ袋が14袋になりました。腰が…(≧∇≦)
2015年9月21日
あきひろ日記
秋ですね〜(*^^*)
先日、緑地帯の除草依頼を受けました。これが伸びると通行のさまたげとなり、本当に危険なんです。現地の確認をしましたらあまり繁茂していないので、今のうちにと、朝から夫婦でカマを片手に作業を開始しました。秋で良かった(^_^;)
約2時間で清掃ボランティア作業完了。これで歩行者も自転車も自動車も見通しが良くなって安全安心だと思います。だけど過信は禁物ですが。ゴミ袋が14袋になりました。腰が…(≧∇≦)
2020年7月23日
水路沿い「緑樹帯」の剪定作業が完了
先日、繁茂している現状の写真を持って担当課に相談をしたところ、早速、剪定作業を行っていただき完了した模様です。
低木の剪定とともに、場所によっては中木の剪定も目一杯していただいたようです。(№624)
この日も暑い中、関係者の皆さま、大変お疲れ様でした。本当にありがとうございました。
今さらながら、ここは、“緑樹帯”か“緑地帯”かどちらの表現が適切なのか? 過去のあきひログでは、どちらの表現も使ってきたようで。
緑樹帯なら剪定だろうし、緑地帯なら除草? それとも表現は“植栽”かな? まぁ、キレイになれば・・・
過去の“あきひログ” 同じ場所の記事です。
除草作業ようやく キレイになりました! 除草作業がはじまりました。 共助の力 除草2
除草 声がカタチに 『実績』皆さんのご要望 完成 『実績』各地域の除草作業が完了しました。
『実績125』 登町2番、下田部保育園の通りにある水路沿いの緑樹帯を除草
◇◆◇◆◇
写真の通り、この市道は凸凹だらけ、現在、水道管の老朽化に伴う改良工事中です。復元工事もしていただけると伺っています。また、この日は、別件で樹木伐採の市民相談も・・・
2018年9月8日
台風21号の被害による危険個所の確認と対応
今回の台風は最大級の爆風だったので、日にちが経過しても、屋根瓦の破損・飛散や倒木のご連絡が多数寄せられます。今日、午前中は水路に関する倒木の現地確認。
倒木した樹木は水路の流れを抑えるように倒れながら、二股のもう一方は、折れた状態で歩道側に真っ逆さまに宙づり状態。通行する方もあり、非常に危険な状態だと感じます。
地域コミュニティの方々には、「頭上注意」や「三角コーン設置」、「災害ゴミの処理」などの対応をしていただいたとお聞きして、まさに共助の力だと感じました。感謝。
現地確認後は、危険個所の写真にコメントをつけて担当課へ発信。担当課から現地確認しますとの回答をいただきました。
危険と思われる物を取り除くまでは、危険個所に近づかない(自助)、できることは地域で協力(共助)、そして行政としての適切な処置(公助)の連動が大切だと思います。
市内には、このような状況のところが数多くあると思います。どうか、適切に、早急にご対応いただけますようよろしくお願い申し上げます。朝から、いっしょに現地立ち会いしてくださった地域の方に感謝しながら。
昨日、台風22号が発生したようです。
2018年5月29日
視察二日目、仙台市のテーマは
仙台市は、宮城県の中部に位置しており、同県の県庁所在地かつ政令指定都市。面積は786・30平方キロメートルで、総人口1,083,148人の東北地方最大の都市です。
会派視察としては、今回2回目の訪問。平成23年の震災10か月後、「南蒲生浄化センターの被災及び復旧状況と蒲生搬入場での震災廃棄物の処理について」というテーマで視察させていただいたのが平成24年1月26日。
心からのご冥福とお見舞いを申し上げながらも、津波の恐ろしさとその威力を改めて感じ、「私たちに協力できることは何だろう」と痛切に感じた瞬間でした。
東日本大震災から7年目、震災被害を風化させないためにも、今回は「新たな学校防災教育の取り組みについて」を学ばせていただきます。
予習として、仙台版防災教育の基本的な考え方は、自分の命を守り、安全を確保する自助の力、そして災害後の対応や地域の復興に協力して参画する共助の力を児童生徒に育むことを目指し、実践するもので、防災対応力を育むために学校・地域の特性を踏まえ、各教科等の防災に関わる指導内容を相互に関連付けた年間指導計画を作成し、教育活動を展開、効果を検証するとされています。また、仙台版防災教育の充実のために、平成27年度から、1年間で区ごとに約5~6校ずつ指定し、平成32年度までの6年間で、市内すべての小中学校が研究推進取組発表校になるとされています。
私たちのまち、高槻市の取り組みは、第八中学校・磐手小学校・奥坂小学校の3校を、防災教育研究委嘱校に指定(平成26年4月~平成27年3月)、代表児童生徒による岩手県大槌町の視察訪問等を通して、『たかつきの防災教育-子どもたちの命を守り抜くために-』で研究委嘱校の実践をまとめ、学校における実践的な防災教育の充実を図るために作成し、全小中学校に配付しています。
私も平成25年の3月定例会の一般質問で、「地域の防災計画について」(2013年3月28日/ 平成25年3月28日 地域の防災計画について・会議録)で、地域防災計画の内容が市民に理解されて、はじめて防災の準備ができること、見直しの際は高齢者や女性、子どもの目線をしっかりと反映していただきたいこと、避難所運営の個別マニュアル策定の加速化、様々な創意工夫をする中での市民への周知徹底、防災指導員の育成についても、さらに進めていただきたいことを申し上げさせていただきました。
また、他市では将来の防災リーダーとして中学生等の防災ジュニアリーダーの育成などもされており、本市でも検討してはどうかと申し添えました。
それぞれのまちでの、防災・減災対策、次の世代に伝える重要性、本当に大切な取り組みだと感じます。
2016年7月21日
まちづくりハンドブックⅡ~自主防災活動編~
つづきですが、本書の1ページから、「なぜ、自助・共助の防災活動が有効なのか?」
自然や人為による災害は、いつ何時、発生するかわかりません。
備えあれば
日頃から災害に対する備えは必要ですが、多くの 場合その場になって、日常的な準備の必要性を痛感するとい うのが実態では!?
実態調査の結果
地震などの災害後の実態調査では、「隣近所の人」・「自分の家族」が最も頼りになったという回答が多くあります。
共助の力
大小を問わず災害が発生したとき、消防を代表とする防災 関係機関が到達して活動するまでの間、逃げ惑うだけでは被 害は拡大するばかり。被害の拡大を防ぎ、命を守るため に力を合わせて活動することが重要。
防災関係機関等が、様々な悪条件の中、到達に時間がかかる、あるいは到達でき ないという最悪のことにでもなれば、なおさら地域の人々の活動が唯一の力となります。
東日本大震災や阪神・淡路大震災においては、最も整備された組織であったはずなのに、一番対応が求められた危機的な時期に、期待された機能 を果たすことができなかったことも。
危機的な状況 を乗り越える過程で大きな地域差も。 地域で生活する住民や各種団体等、「地区コミュニティ」や、最も身近な住民組織である「自治会」などで、日頃から住民活動が円滑な地域では、バケツリレー等で家々の延焼をくい止めたなど、 初期防災活動で大きな差が生じています。
限界点と有効性
ひとたび災害が発生したときに、被害の拡大を防ぐためには、国や府、市が対応する「公助」だけでは限界があり、早期に実効性のある対策をとることが難しい場合も考えられ、自分の身を自分の努力によって守る「自助」とともに、個々ばらばらの人々の活動よりも、普段から顔を合わせている地区コミュニテ ィや自治会等の人々が集まって、互いに協力し合いながら、防災活動に組織的に取り組み活動する「共助」のほうが、はるかに有効であるとされています。
また、自助・共助を効果的に果たすには、地区コミュニティや自治会内の共助力以外 に、遠隔地区との助け合いに基づく「受援力」を活かした取組も有効とされています。
また、そういう組織的な体制があれば、災害発生時の対応の立ち上がりもすばやく、 それだけ被害をくい止める力も増すことになり、高齢者、障がい者などの災害時要援護 者といわれる方々も安心です。
自主防災組織
災害によって孤立した場合には、普段から生活環境を共有している住民同士が相互に協力し合う「共助」が被害の軽減につながる最も重要な行動となり、このように「自分たちの地域は自分たちで守る」とい う自覚、連帯感に基づき、市民が自主的に防災組織を結 成されるのが「自主防災組織」です。
つづく
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2013年4月23日
公明新聞4月23日 「わが家の防災対策」 (名古屋大学教授 福和伸夫氏)
『昔と今の安全度』まちが水平・垂直に広がり危険な現代
元禄末期、赤穂浪士の討ち入り事件の翌年1703年に「元禄関東地震」が発生、4年後の1707年には宝永の南海トラフ巨大地震が発生、さらにその49日後に富士山が噴火し、江戸はトリプルパンチに見舞われた。
しかし、江戸社会はこれをしのいだ。
当時の人口は3000万人、江戸には100万人程度が住んでいた。
今は1億2750万人、うち1300万人が東京に居住する。
日本全体では4倍に、東京では10倍以上に人口が増えた。
かつての集落は、台地や丘陵地のふもと、自然堤防など、水害や液状化の危険の少ない高台に分散しており、自然と折り合いをつけながらの生活だった。
家屋は小規模で、かやぶきやいたぶき屋根の平屋が多く、しっかりした地盤に建っているので揺れも小さく、屋内の揺れは、地盤のゆれと同程度で、地震にも意外と強かった。室内に転倒する家具はほとんどなかった。江戸などの一部を除けば、家屋が密集することはなく、火事の延焼危険度も低い。農家が多く、職住近接で、かまどで煮炊きをし、井戸水を使い、ろうそくの明かりと、汲み取り便所だった。農村社会なので共助の力もしっかりしており、大家族で祖父母から、孫世代に災害訓練もしっかり伝えられていた。
それに比べて現代はどうだろうか?科学技術により建物の耐震技術は進んだ。しかし、山を削り海や池を埋め、災害危険度の高いところにまちが広がった。
家屋を密集・高層化したため、延焼危険度は高く、揺れもはるかに強い。大きな家具に囲まれ室内危険度も高い。まちが水平・垂直に広がったため、高速交通機関やエレベーターに頼り、帰宅困難者やエレベーターの閉じ込めなどの問題が発生しやすい。
電気、ガス、上下水道などが途絶すれば、生活は困難を極める。
核家族化し、地域コミュニティーの力も弱くなっている。
自然の怖さを実感する機会が減り、社会や人間の生きる力が落ちている。巨大地震を前に、社会を再点検したい。
(転記 吉田章浩)