高槻市議会議員 吉田あきひろのごきんじょニュース

明日の 希望は ひとりの人を 思う心から

何のために、誰のために

あきひろ日記 / 2018年5月24日

あきひろ日記 潮5月号【対談】「天災と人災」-先人の知恵を語る(下Part4)を読んで

20180424_083354497_iOS地震大国に住む日本人が本来もつ人生観、共生する知恵、震災がもたらした教訓とは。中西進氏(国文学者)×磯田道史氏(歴史学者)が語る。

政治家と行政官は哲学と知性をもて・・・

(磯田氏)話題に挙がった「安達ケ原」で、含蓄深い逸話が。明治政府成立。安達ケ原のような未開の荒野に革新的な官僚を送り込んで開墾と開発を急速に進めた。福島県令(県知事)、安場保和(やすばやすかず)

安場が危篤に陥った時、「医者送れ」と電報を。小さい文字は電報にならないので「イシヤヲクレ」と表記。医者を求めているのに、石を砕いてまで土地を開発してきた石屋がやってきた。医師に看取られることなく、石屋に囲まれて。

(中西氏)角倉了以(すみのくらりょうい・江戸初期に活躍した京都の豪商)、水害を引き起こす大堰川(おおいがわ)、高瀬川、開削して自然の流れを変え、安全になった水路を使って物資を運搬。乱雑な宅地開発と対照的。

行政のトップに立つリーダーは、国家百年の計を考える確固たる哲学をもたなければいけない、ソクラテスやプラトンのような。

(磯田氏)「官僚知」と「哲学知」同じ知識でも大きく違う。機械的に使えば効率的に行政を進めていける。しかし、前提条件が誤っていたり、入力の情報や当てはまる公式そのものが不適切だったりすると、とんでもない結果になる。昭和の戦争が。日本国民を幸せにする(題目的)→戦争に勝つこと(目的)→戦争で死ぬこと(英雄視)、官僚知だけに頼っているとこうした間違いを起こしかねない。

何のために国があるのか、人はどう生きるべきなのか、大局的な哲学知、歴史や古典に立ち返って物事を判断する視点が重要。

(中西氏)万葉集をはじめ歴史や古典は人類の経験知と人生哲学の宝庫。大伴家持は聖武天皇の政治を「おのがじし こころだらいに」と詠んでいる。「人それぞれの心が満たされるように」との意味。政治の目的はこの一言にいきつくのでは。

(磯田氏)佐佐木信綱(ささきのぶつな・国文学者)、「広く、深く、おのがじしのまえに」、「おのがじし」即ち「一人の多様性」を認める社会を希求。

(中西氏・磯田氏)原発には反対

(中西氏)天文学的数値の原子力を活用する発想は天上世界の話し

(磯田氏)原子炉は天体レベルのエネルギーで動かす装置。炭素結合でできた有機物の人間が死ねば、土の一部と一緒にバラバラに分解される。そういう緩やかな物質の結合体である人間が、原子力と同居できるわけがない。

原発は人口が密集するこの火山国には向かない。核のゴミ問題も未解決。

(中西氏)原子力発電という悪夢を追い求める愚かな生き方は、そろそろ終わりにしなければ。それが東日本大震災から日本人が得た、最大の苦い教訓。

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「何のために、誰のために」、人の役割、人のために。政治の役割、目的・目標は。大局的な哲学の重要性、先人の残した言葉の重要性。最大の苦い教訓。

何を学び、何を伝えるのか。責任感・・・

「天災と人災」-先人の知恵を語るを読んで、すごく勉強になりました。政治的な判断も時には大切だとは感じていますが、本当に大切なことは、理念や目的、繰り返しになりますが「何のために、誰のために」

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「天災と人災」-先人の知恵を語る(上・下part)を読んで[バックナンバー]

潮4月号
「災間」を生きている
天災は忘れたころにやってくる
「it」は「天」
生老病死

潮5月号
なゐふる
先人がつけた地名
のぞみ

おわり

のぞみ

あきひろ日記 / 2018年5月21日

あきひろ日記 潮5月号【対談】「天災と人災」-先人の知恵を語る(下Part3)を読んで

20180424_083354497_iOS地震大国に住む日本人が本来もつ人生観、共生する知恵、震災がもたらした教訓とは。中西進氏(国文学者)×磯田道史氏(歴史学者)が語る。

新幹線「のぞみ」命名の由来

(磯田氏)東海道新幹線「のぞみ」(1992年創業)、名付け親が阿川佐和子さん。

命名委員をされており、「希望」や「つばめ」「きらら」が有力候補だったよう。お父さん(作家の阿川弘之氏)に相談したところ、国鉄の列車の名前はすべて大和言葉がつけられてきたと指摘。

[大和言葉: 漢語や外来語が入る前から日本語にあった単語をさす]

(中西氏)候補の中では「つばめ」しかありません。

(磯田氏)そこで阿川さんは、「希望」を大和言葉の「のぞみ」に読み替えて提案し、採用されたそう。

(中西氏)列車の名前は大和言葉ばかり。自動車の名前はほとんど横文字。「SUBARU」だけ唯一の例外。「すばる」は「風土記」に出てくる千数百万もの歴史をもった日本語。

(磯田氏)「昴(すばる)」は「統べる(すべる)[統率する]」に由来する言葉。

(中西氏)「すめらみこと」(天皇)は「統べる」からきた言葉。

(磯田氏)統べる詔(みことのり)、神様の言葉をまとめて人々に伝えるリーダーが王様のはじまり。

(中西氏)言葉遊びは、味わい深く奥行きが。万葉集の世界には、言葉の成り立ちと日本人の源泉が詰まっている。

(磯田氏)津々浦々の人々が思いのまま詠んだ大和歌。名もなき庶民が書いたものも。文字を知らない庶民は神主から口伝えに和歌を教えてもらい、大和歌やまじない歌を歌う。3000万人いた江戸時代の日本人は、一人ひとりが大地と宇宙を身近に感じる哲学をもった人々。

(中西氏)日本の中央政府で行政官を務めていたのは、中国式の伝統的教育を受けた文字社会の達人。地方都市に派遣されると、文字の読み書きを知らない民衆を相手に。民衆との対話は、書き言葉を話し言葉である和歌の形式にあらためて、コミュニケーションを成立。和歌のおかげで、はじめて日本の地方政治は成立した。

(磯田氏)日本人は、人間だけを相手に和歌を詠むわけではない。発信する相手は、人間に限らず動物だったり山だったり。

(中西氏)極めて仏教的。仏典では、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)」と説かれる。人間や動物に限らず、草木や国土も仏性をもっており仏になれる。皆、同じ一列に並んでいると日本人は考えてきた。

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新幹線「のぞみ」の命名の経緯は驚きで、大和言葉は勉強になりました。言葉の成り立ちはすごく興味が湧き、和歌の存在がすごいと感じました。ここから一つの社会ができるような。名は体を表すといわれますから、命名は重要なことだと感じます。ちなみに「吉田章浩(よしだあきひろ)」いいでしょう(笑)

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「天災と人災」-先人の知恵を語る(上・下part)を読んで[バックナンバー]

潮4月号
「災間」を生きている
天災は忘れたころにやってくる
「it」は「天」
生老病死

潮5月号
なゐふる
先人がつけた地名

つづく

先人がつけた地名

あきひろ日記 / 2018年5月17日

あきひろ日記 潮5月号【対談】「天災と人災」-先人の知恵を語る(下Part2)を読んで

20180424_083354497_iOS地震大国に住む日本人が本来もつ人生観、共生する知恵、震災がもたらした教訓とは。中西進氏(国文学者)×磯田道史氏(歴史学者)が語る。

東海道五十三次の被災と高台移転

(中西氏)宅地開発をやるべきでない地域に建物を建てたせいで、東日本大震災の被災地では被害が拡大。

(磯田氏)震災直後、宮城県沿岸部・南三陸町にある小さな防災庁舎。亡くなる間際まで防災無線放送を続け、逃げ遅れて殉職された。この防災庁舎が建っている場所の地名が「塩入」という。海抜1メートルの場所。

大量の海水が入ってくる「塩入」という場所に防災庁舎が建てられていた事実。後世の教訓に。

(中西氏)福島県二本松市の安達ケ原、昔から鬼女が人をさらって食べるという伝説。安達ケ原はもともと荒涼とした荒地。阿武隈川しばしば氾濫。過去、水位が上がったのかを示す棒。人の身長を超えて。水害から身を守る知恵、後世にも。

(磯田氏)宝永4[1707]年、地震と津波をきっかけ、東海道五十三次に出てくる宿場町がまちごと高台移転。

白須賀宿(しらすかしゅく・現在の静岡県湖西市白須賀)、津波によって、宿場町全部が流出。藩が公的資金を出して宿場町ごと高台に移転。全員移住。津波にやられるような場所に、大勢の人が寝泊まりする宿場町を置くのはおかしいと英断。

2014年8月、広島での土砂災害。(中西氏、大雨で山の傾斜地が崩落、住宅地が丸呑みされた痛ましい事件)

(磯田氏)最もひどい被害を受けた広島市安佐南区・八木地区、かつて「八木蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)」と。

(中西氏) 宅地開発するべきではなかった。(磯田氏、今思えば)、「比地(ひじ)」「泥江(ひじえ)」という地名、泥地の当て字。「坍」「崩岸」「小豆」(いずれも「あず」)という地名には注意しなければ。

先人がつけた地名は、過去に発生した災害の警告文。

(磯田氏)有史はじまって以来、日本人が自然に対して最も傲慢になった時期は19960年代の高度経済成長期。たまたま、地震と火山活動の静穏期。「人間は自然を克服できる」という科学信仰。宅地開発と大衆消費社会化が急速に進んだ。

1970年生まれ、小さいころ見たテレビアニメは、科学技術が社会問題を解決する物語ばかり。「宇宙戦艦ヤマト」「ドラえもん」(中西氏)最近は少し変わってきた。

2010年コミックスの第一巻発売「進撃の巨人[諌山創(いさやまはじめ)氏]、だいぶ様相が異なる。老朽化した壁の向こうから巨人が。綱と刀だけで生身の人間が戦う。科学技術信仰とは対極的。

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長い歴史の中での先人の知恵は、地名や伝説などにより、後世の人たちへ語りかける、注意を促す伝言のよう。今を生きる私たちは、これからも謙虚な姿勢で、後世に何を残すことができるのかと、考えさせられるパートでした。

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潮4月~5月号の「天災と人災」-先人の知恵を語るを読んで、印象に残った文章を簡単にまとめています(自分勝手に表現したりして・・・)

「天災と人災」-先人の知恵を語る(上・下part)を読んで[バックナンバー]

潮4月号
「災間」を生きている
天災は忘れたころにやってくる
「it」は「天」
生老病死

潮5月号
なゐふる

つづく

なゐふる

あきひろ日記 / 2018年5月10日

あきひろ日記 潮5月号【対談】「天災と人災」-先人の知恵を語る(下Part1)を読んで

地震大国に住む日本人が本来もつ人生観、共生する知恵、震災がもたらした教訓とは。中西進氏(国文学者)×磯田道史氏(歴史学者)が語る。

20180424_083354497_iOS震える大地と古典に詠(よ)まれた大地震

(磯田氏)7~8世紀に編まれた「万葉集」の時代、地震は「なゐ(い)ふる」と表現。大地が震動するという意味。日本の記録、最初の地震らしきものは、武烈天皇が太子時代に詠んだ歌。

(中西氏)日本書紀にある歌。

(磯田氏)影媛(かげひめ)という女性に恋した武烈太子、鮪(しび)という大臣の子がライバルに。鮪をやっつけようと武烈天皇は歌いました。[鮪:まぐろ(参考)]

「臣(おみ)の子の 八府(やふ)の柴垣 下とよみ 那為(ない)が揺(よ)り来ば 破(や)れむ 柴垣」

(中西氏)「下とよみ」は「下動」の字を当て、「なゐ」は「地震」

(磯田氏)いくら立派な柴垣で防御態勢を整えたところで、地震が起きればそんなものは破れてしまう。地震に言及した日本史上最初の文献。古代人は、人間が造った建造物は地震にはかなわないと諦観(本質を明らかに見て取ること)

(中西氏)日本は火山列島、歴史を通じて日本中で震災が発生。鳥取県の日野川は、火山から流れてきた火砕流を下流まで運び被害は拡大。ヤマタノオロチ(大蛇のおばけ)は火砕流の神格化。

富士山も活火山、近年でも延暦噴火(800~802年)、貞観(じょうがん)噴火(864年)、宝永噴火(1707年)、大噴火を繰り返す。日本人は火災列島の振る舞いに順応して見事に対応してきた。

(磯田氏)万葉集では肯定的に。「なゐふる」の「ふる(揺れる)」は「石上(いそのかみ)ふる」

(中西氏)「聖なる岩倉の上には神が降り立ち、神は石の上で神威を振るう」

(磯田氏)「石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれは更にするかも」、柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)の歌、奈良県天理市の布留という場所に立っている大木。大地がいくら震えても、何百年もの樹齢を重ねて苔むし、なおいっそう元気。人麻呂はその杉を見ながら老いらくの恋を歌って。

昔の人は、大地が震えるエネルギーから大いなるものを感じとって。「大地はちゃんと生きている」と古代人は確認したのだろう。

(中西氏)大地にすがり、身をゆだねて農作物を・・・「ふる」は「ふゆ」とも。神や天皇が威力を発揮することを「みたまのふゆ」と

(磯田氏)目に見えない何ものかが大地を揺らし権勢を振るう。大地の揺れに生動を確認して、大自然と自分の生命がつながっていると考えていたように思えてならない。

(中西氏)「日本書紀」では「みたまのふゆ」に「恩頼」(おんらい・神や天皇などから受ける恩徳=恵み)の漢字を当てる。「恩」に関連して、「恩に着る」の「恩」は隠れて見えない気持ち。

(磯田氏)奇しくも、「恩」と「隠」は同じ「おん」

(中西氏)鬼やヤマタノオロチは目に見えない存在、予期せぬ災害。思いやりや温情も。隠居して隠れてはいるが厳然として力があることを、日本人は「恩」という言葉であらわした。

まるで大地が震えるように。人の魂が震えて恩恵(恵み)と恩寵(おんちょう・いつくしみ)を与えてくれる。「恩」とは最高の美徳と

◇◆◇◆◇

影姫は、鮪の方に魅力を感じていたのかな、武烈太子は大地を揺らす地震のように怒り、嫉妬し、力を誇示して、恐ろしい地震の表現を歌ったのかも。そんな適当な想像を・・・昔の人は、災害に対して鬼やヤマタノオロチのように、神格化させて恐怖を植えつけたように感じ。その場に近づけないように考えたのか。それにしても「なゐふる」という言葉が妙に心に残ります。

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潮4月号「天災と人災」-先人の知恵を語る(上part)を読んで
「災間」を生きている
天災は忘れたころにやってくる
「it」は「天」
生老病死

つづく

生老病死

あきひろ日記 / 2018年4月28日

あきひろ日記 潮4月号「天災と人災」-先人の知恵を語る(上part-4)を読んで

20180324_064036708_iOS東日本大震災から7年。日本人が本来の人間観、人生観、共生する知恵、震災の教訓を、歴史学者の磯田道史氏と国文学者の中西進氏が語る。

末期ガン患者との命の対話

(磯田氏)2016年京都に引っ越し。ある時、元気なおじさんに出会って、仏教の四苦「生老病死」の話を。

人は誰しも「老いる」「病気ななる」「死ぬ」という苦しみに直面する。生そのものにも苦がある。

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう・中国の僧侶)はインドから持ち帰った万巻の仏教書を読んで翻訳し、「生老病死」を抱える人の心の安寧を保ち、経典によって教えようとした。

そんな話しをすると、おじさんは今にも泣きだしそうな顔を。末期ガンだった。そして文通を・・・

(中西氏)手紙でどんなことを・・・

(磯田氏)正岡子規の「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」から「人間、死ぬと決まってもこんなに楽しく生きられるものなのか」「ひょっとして、この死生観こそ人間が生み出した最大の文明ではないか」と。それから半年後に・・・

「生老病死」の苦しみは僕にも必ず起こること。普通はそんなことをいちいち気にしながら暮らしていないけど・・・
実は宝くじが当たるよりも、宝くじを買いに行く途中で交通事故に遭遇して死亡する確率の方が高いとか。

要するに人は、自分にとって良いことばかりしか考えない。悪いことは誰にも必ず起こるのに、そのことは頭の中から取り払ってしまう。

養老孟司(ようろたけし)さん(解剖学者)から「人間の認識は不変だと思ったって、不変な認識なんてないんだよ」と。何故と訊ねると、「あなただって今末期ガンだと言われたら、一秒前に考えていたことと、このあと考えることはまったく違うことなるはず」と。

(中西氏)死は歓迎すべきものではありません。でも人生のプロセスの中で、死は必ず誰にも訪れます。今でも父親のことを思い出す。たとえ死んでからも、人が生きた価値ある人生の輝きは、いささかも古びることはありません。たとえいつ死んだとしても、その人が人類にとって有益な人間であることには変わりない。

「人の将(まさ)に死なんとする其(そ)の言(げん)や善(よ)し」(論語)という孔子の言葉。
 
(磯田氏)2006年に白川先生(「字統」「字訓」「字通」を編纂(へんさん)した大漢文学者)が亡くなった時、奥様によると「ようけ(たくさん)書いたなぁ」と。
 
(中西氏)スタンダール(フランスの小説家)のお墓には「生きた 愛した 書いた」(VISSE  AMO’ SCRISSE’)と墓碑銘が。「生老病死」という四苦を抱えながらも、願わくば死の瞬間を幸せと充実感で締めくくりたいものですね・・・
 
4月号はここまで、次号も続くそうなので期待したいと思います。
 
「天災と人災」-先人の知恵を語る(上)を読んで、四苦「生老病死」のお話しを通して、誰しもが通る道だけど、普段の生活ではあまり考えていないなぁと改めて。受けた命を大切に、生涯を精一杯生き抜くことが大切だと。悔いのない人生を。
苦悩は毎日続いて、ほとんど悩んでいますね(四苦八苦)。楽しいことは一瞬です。それでも、最後に「よく頑張った」と言える自分でありたいと感じる日々です。
天災は逃れようがありません。気を付けたり、避けたりすれば、その危険度を減らすことはできることを再認識できました。また、人災もお互いが気を付ければ避けることができるはずです。
愚かなことは、人が人の命を奪うこと。親の戦争体験を聴きながら育った、戦争を知らない世代の私ですが、これからできることは、平和のために、災害を減らすために、崇高な価値観を学び、常に研鑽を重ねながら、発言し続けたいと思います。
追伸、早い人で今日から大型連休、GWがはじまっているようですね。どうか、連休を満喫してくださいね。

「it」は「天」

あきひろ日記 / 2018年4月27日

あきひろ日記 潮4月号「天災と人災」-先人の知恵を語る(上part-3)を読んで

20180324_064036708_iOS東日本大震災から7年。日本人が本来の人間観、人生観、共生する知恵、震災の教訓を、歴史学者の磯田道史氏と国文学者の中西進氏が語る。

天災と戦争の死者数

(磯田氏)茨城県の農村を歩き回り珍しい墓地を。日清戦争、日露戦争、昭和の戦争で亡くなった人を分けて集落ごとにお墓を並べて。太平洋戦争に至って、兵器の殺傷能力が増大し、戦場に動員される人の人数が激増しているのが一目瞭然。

過去150年だけで、天災で亡くなった人の数よりも戦争によるものが圧倒的に。第二次世界大戦だけで日本人は、300万人以上。

天災では、伊勢湾台風でも約5000人、福井地震で約3700人、天災は悲惨だが、実は人間の方が天よりもはるかに残酷。

(中西氏)「地震・雷・火事・親父」といわれる。地震・雷は天災、火事・親父は人災、中国では「災」を「天の火」という意味が。万葉集には、「君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き亡ぼさむ 天(あめ)の火もがも」という歌が。

愛する人が流刑に遭うのに反抗して、天の火によって人間の誤った裁きを正してほしいと歌ったもの。「災」とは天の采配によって起こるもので、いい加減な人間が起こす火事は「災」とはいえない。と

(中西氏)中学1年生の英語の授業、「it」は天候を表す言葉。

(磯田氏)「It is sunny」晴れです。主語の「it」は日本語に翻訳する言葉が特にない。

(中西氏)天候を表す「it」は「何ものか」、京都大学教授を務めた泉井久之助(いずいひさのすけ 言語学者)は「it」に当たる言葉は世界中いろいろなところにあると。中国や日本では「it」は「天」に該当するとか。

ビートルズの名曲「Let it be」は「あるがままに任せよ」、実に本質的なところをついているとも。

天という「何ものか」から与えられた震災や津波、洪水やさまざまな災害に順応しながら「災害は必ず起きる」と常に身構え、できる限り自分から災害を避ける。これが日本人の生き方。

(磯田氏)「災間」の時代を生きる私たちは、「信玄堤」や「聖牛」のような減災対策にもっと真剣に取り組まなければいけない。「災害を与える天を恨まず」、災害で人が死ぬのは天のせいではなく、減災対策を怠る人のせいかもしれない。

戦争。人間って何て愚かなんだろう・・・天災、天という何ものか、「Let it be」 あるがままにまかせよ。自然災害の前では人間は無力かもしれないが、それでも諦めないのが人間。「対策」という知恵。被害を少なく。人間って何て賢いんだろう・・・

つづく

天災は忘れたころにやってくる

あきひろ日記 / 2018年4月19日

あきひろ日記 潮4月号「天災と人災」-先人の知恵を語る(上part-2)を読んで

20180324_064036708_iOS東日本大震災から7年。日本人が本来の人間観、人生観、共生する知恵、震災の教訓を、歴史学者の磯田道史氏と国文学者の中西進氏が語る。

寺田寅彦の「天災と国防」

磯田氏、村上鬼城(むらかみいじょう・明治~昭和初期の俳人)、「生きかはり 死にかはりして 打つ田かな」、極めて日本人的な表現。自分の人生だけを考えるのではなく、親子代々生まれたり死んだりしながら田んぼを耕し続ける様子と。

中西氏、種田山頭火(たねださんとうか・大正~昭和前期の俳人)、死を「状態」として相対化した俳句を。日本の俳人は、独特の死生観を。

磯田氏、人間は死から免れることはできないし、日本に住んでいる限り災害から逃れることはできない。

中西氏、「災害は悪である」「災害をゼロにする」と考えている限り、防災対策はうまくいかない。すでに起きた災害を「生かす」考えを。武田信玄は、水害が相次いだ笛吹川(ふえふきがわ)や釜無川(かまなしがわ)に「信玄堤」という独特の堤防を築き、洪水をうまく防ぎながら田んぼの用水路を整備した。災害を無くすのではなく災害を生かした。

テトラポットのような木でつくった障害物を川底に置き、頭だけを水面に突き出して「聖牛(ひじりうし)」という防災設備。置いておけば、激しい水流のエネルギーを分散するらしい。聖なる天の水に尊敬の念をもちながら戦国武将は民衆を守った。

磯田氏、災害を完全に防ぐのは無理、「天災は忘れたころにやってくる」という名言を残した寺田寅彦(物理学者)、「天災と国防」の著作を。人間は、天災をコントロールできない、一方、国防はコントロール可能なはず。発生を防げる戦争対策には巨額の予算がつくのに、天災対策には予算がつかない。

政治家は「天災は忘れたころにやってくる」を改めて認識しなおすべき。

国と国、人と人とは、話し合いで争いごとなど解決できるはず。しかし天災は一方通行。ならば、みんなで力を合わせ今を守り、未来を守ることが大切だと感じる内容でした。

今日、霧島連山で噴火が。地域周辺の方々お気をつけて。

つづく

「災間」を生きている

あきひろ日記 / 2018年4月15日

あきひろ日記 潮4月号「天災と人災」-先人の知恵を語る(上part-1)を読んで

20180324_064036708_iOS東日本大震災から7年。日本人が本来の人間観、人生観、共生する知恵、震災の教訓を、歴史学者の磯田道史氏と国文学者の中西進氏が語る「天災と人災」・・・。

「震災後」ではなく「災間」を生きる日本人

磯田氏の母方の家系は徳島県の牟岐(むぎ)という港町の出身。1946年、当時2歳のお母さまは「昭和南海地震」の津波で行方不明になられたそう、牟岐では、代々「大地震が起きたら山へ逃げろ」と言い伝えられてきたことから、幸い裏山で、日の出とともにお母さまは元気で見つかったとか。

磯田氏は「南海トラフ地震と津波は先祖の仇」と歴史津波も研究されているそう(テレビ等では、坂本龍馬など歴史解説などで拝見する印象が強かったのですが、津波の研究も・・・)

かつて茨城大学に勤務されていたそうですが、東日本大震災の翌2012年には、浜松の静岡文化芸術大学に転勤。それは、南海トラフが次に動いて巨大地震が起きた時、想定される命に及ぶ被害者が一番多いとされているのが浜松だから、家族で移住し、古文書を探し4年間現地を歩き回ったそうです。

火山列島、震災大国・日本は、歴史を通じて大震災や津波に襲われ続けてきた。陸地面積は地球の陸地の0・24%にも関わらず、世界で起こる地震の5分の1が日本。

今は、東日本大震災後を生きているのではなく、「災間」を生きていると。だから自覚をもって、次に起きる震災への防災・減災対策を打つべきと。

中西氏、東日本大震災からの7年を考えるのは貴重なこと。日本人は忘れやすいと言われていても、「忘れ形見」とういう言葉があるくらい、「忘」には「残す」という意味があるらしい。目に見えるものは忘れても、大切なことは記憶にしっかり残す。震災や津波など不利益なことでも必ず記録として残していく。日本人の特性だと。

磯田氏、「無い」という状態を知っているからこそ「有る」ことがありがたい。様々な記録を書き残し、震災や津波によって亡くなっていった人たちの記録を後世に伝えてきた。「災間」を生きていることを自覚し、記録を必死で伝承してきた。

専門家でない私たちは、後世の人、家族や子孫に何を残していけるのだろうか。特に災害が多くない大阪にいる私たちは。そんな思いが・・・

自然災害以外でも、個人的に感じることは、楽しい時間はすぐに過ぎていき、辛く、悲しい思いは永遠に続くように感じる。先の楽しい予定は、中々こないのだが、嫌な予定はすぐにきてしまう。時間とは不思議な感覚。冷静に、客観的に、子どもたちに生き方を伝えていきたい。ある意味では、いつも「災間」にいるからこそ、現実を知り、落ち着いて次の準備を進めるのが大切なのか・・・

追伸
今日の「公明新聞」未曾有の熊本地震から2年。被災地では、今なお、応急仮設住宅に8790人、みなし仮設住宅に2万7600人、公営住宅に1722人が身を寄せていると・・・心からのお見舞いを

つづく