TAKATSUKI Days 8月号 たかつき歴史アラカルト141から 過去の思い出まで
(広報たかつき TAKATSUKI Days 8月号「たかつきアラカルト141」から) 資料に掲載されているのは、昭和50(1975) 年の高槻駅北口(上) と南口(下) の写真だそうです。51年前の風景ですね。
昭和48(1973) 年中学校1年生の時、父の仕事の関係で四條畷市から高槻市に転校して来ました。52年の月日が経ちました。
記憶では、駅舎と駅前の“しょんべん小僧の噴水” ボンネットバスなどの風景が思い出されます。
国鉄からJRに民営化されたのが、昭和62(1987) 年。国鉄時代には高校の通学で利用し、平成19(2007) 年からは駅前で街宣活動など。現在もいろんな場面でJRを利用しています。
議員活動ではホームドア設置、ホーム拡充、西口の改装、北駅前の整備や特急はるか・サンダーバードの停車など要望、推進してきました。
昭和54(1979) 年にJR高槻駅の橋上駅舎の使用開始と同時に、南側の再開発が完了。現在、50年近く経過し、施設の老朽化や時代の変化に伴い、グリーンプラザたかつきなどを含むエリアで再々開発に向けた取り組みが進んでいます。
高槻駅開業から150年。市内外の人々が高槻市の玄関口・高槻駅を通り様々な人生を送られてきたことを思うと大変、感慨深い記事です。
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(広報たかつき TAKATSUKI Days 8月号「たかつきアラカルト141」から) 明治9(1876) 年7月26日、大阪~向日町間に官営鉄道(現在のJR西日本)が開通しました。
この時、中間駅として設置された高槻駅は、今年開業150年を迎えます。翌8月には吹田、茨木、山崎の各駅が、翌年に京都駅が開業し、京都線が完成しました。
運行列車は各駅停車と、中間駅に停まらない速い便がありました。当時は単線で、高槻駅で上り列車と下り列車が停車して行き違いをする必要があり、速い便も含めて全ての列車が高槻駅に停まりました。現在の「新快速」のルーツといえるかもしれません。速い便で、高槻から大阪までが44分、京都までが40分でした。
京都線の建設工事は明治6(1873) 年12月に開始。翌年8月に担当者から工部卿(こうぶきょう) の伊藤博文宛てに廃城となった高槻城の石垣石を建設資材に利用することが上申されました。10月に許可が出て、石垣石が搬出され、明治9年に開業を迎えました。
2代目の駅舎は大正13(1924) 年に建設。昭和40年代に入り、利用客の増加と、線路によって南北の人の流れが分断されていることから、高槻駅を橋上化することになり、駅前開発と併せて昭和54(1979) 年に3代目の駅舎が完成しました。
乗車人数は明治25(1892) 年には1日あたり約157人でしたが、令和6年には58,426人を数えるまでに。これはJR西日本の駅の中では11番目の多さです。
その後も平成28(2016) 年に特急・新快速用のホームや改札口が増設されるなどの改良が行われ、高槻の玄関口として発展し続けています。(しろあと歴史館)
昭和50(1975) 年の高槻駅北口(上) と南口(下)
