幕末の京都を守る「お台場」 設計責任 勝海舟
令和8年2月28日、「梶原台場」が初公開されました。
資料によると、梶原台場の建設は、文久3年(1863) の京都守護職・会津藩主松平容保(まつだいら かたもり/かたやす) による幕府への進言がきっかけとなった。
設計責任者は勝海舟。枚方市の楠葉台場とセットで慶応元年(1865) に竣工した。
名目は、淀川を上る外国船対策であったが、西国の反幕府勢力による入京を防ぐことに実際の意図があった。
梶原台場は、「稜堡式(りょうほしき) と呼ばれる西洋の築城プランで築かれ、上から見ると星の形に見える函館の五稜郭を半分に切ったような形をしている。
規模は約200メートル×300メートル。内部に西国街道を引き込む点が特徴で、京街道の上に築かれた楠葉台場とともに京都の入り口を固めた。
慶応3年(1867) 12月初旬、入京を禁じられていた長州藩が西国街道の通過を試み、台場を守る伊勢の津幡・藤堂家との間で一触即発の事態を迎えた。
その最中、王権復古が宣言され、長州藩が許されたため、軍事衝突は回避された。
御城印には、背景に梶原台場の絵図を使用し、台場の守護を担当した藤堂家の家紋「藤堂蔦(とうどうづた)」、台場を築いた幕府の将軍・徳川家の家紋「三つ葉葵」を配した。と記されています。
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梶原台場は、幕末に勝海舟が設計した防衛施設。京都を守るため淀川沿いに作られました。
大砲が台場の中心となる武器で、川を上ってくる船を攻撃するために設置され、外国船や敵軍を遠距離から撃つためだったそうです。
今回の発掘で堀や石垣が見つかりました。西洋風の形式は興味深いですね。
稜堡式(りょうほしき) とは、16〜18世紀ごろにヨーロッパで発達した城や要塞の構造形式で、城壁を星形(多角形) にして突き出した「稜堡(りょうほ)」を持つ防御システムのこと。英語では “Bastion system” や “Star fort(星形要塞)” と呼ばれるそうです。
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初公開の現地説明会には行けず残念でしたが、また機会があれば見学させていただきたい思います。
場所は、高槻市梶原3丁目地内(阪急上牧駅より南西へ徒歩約10分) となっています。

