社会のために尽くすこと これからも誠実に取り組む決意
4月13日(日) 小雨振る中、令和7年島本町議会議員選挙並びに島本町長選挙の投票結果が発表されました。
公明党、川しま玲子候補(5期目の挑戦)、野口ひとみ候補(2期目の挑戦) が、多くの皆さまのご支援により当選することができました。本当にありがとうございました。
今回は、少数激戦の厳しい選挙戦だったので、何度もJR島本駅において街宣活動を開催させていただき、周辺の皆さまには大きなマイクで大変失礼致しました。
(15日 公明新聞) 公明党現職の川嶋玲子氏(63) が976票(5位)、野口日利美氏(66) が862票(8位) をそれぞれ獲得し、現有議席を死守した。公明は得票数を前回より93票増やした。
定数14に対する当選者の党派別内訳は、公明2、自民2、立憲1、維新4、共産1、無所属4(前回=公明2、自民3、立憲1、維新3、共産1、無所属4)。当日有権者数は2万6202人。投票率は53・83%。
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ところで、駅前にある公園は「史跡櫻井驛阯(しせきさくらいえきあと) 楠正成傅説地(くすのきまさしげでんせつのち) 」と石碑があます。
そして公園内に入ると、石像の横にある案内板に、楠公父子子別れの石像(なんこうふしこわかれのせきぞう) の題名、台座の「滅私奉公(めっしほうこう)」の題字は、侯爵 近衛文麿(こうしゃく このえふみまろ) の書ですと記されています。
さらに、昭和十五年(1940)、新京阪電鉄(現阪急電鉄)「桜井の驛(えき)」前に青葉公園(現第一中学校、敷地面積3,300平方メートル) が建設され、駅前に子別れの銅像がシンボルとして設置されました。
しばらくして、戦争への協力で銅像は提出されコンクリート像に代わりました。戦後は、国史跡桜井駅跡に移されました。
現在の像は、平成十六年に有志より寄贈されたものです。
※ 滅私奉公(めっしほうこう) とは、私利私欲を捨てて、公や社会、主人などに忠誠を尽くすこと。
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その横には、大きな碑「楠公父子訣別之所」があります。大阪府のホームページによると、史跡桜井駅跡は大正10年に国の史跡に指定されました。
延元元年(1336)、足利尊氏(あしかがたかうじ) の大軍を迎え撃つため京都を発った楠木正成(くすのきまさしげ) がここ桜井の地で子正行(まさつら) と別れたと「太平記」に記されており、「桜井の別れ」伝承地として有名です。
昭和10年には大楠公六百年記念大祭が盛大に催され、当時の来賓送迎のため、駅跡地点に臨時仮設停車場が設けられたといわれています。
また、奈良時代、京から西国へ向かう駅(大原駅) が続日本紀に記され、これが桜井駅を示すものではないかとも考えられています。
駅跡の敷地内には、多くの著名人の建立した「桜井の別れ」にちなんだ碑が残されおり、現在は史跡公園として親しまれています。駅跡の向かいには旧麗天館(現在島本町立歴史文化資料館) が建っています。と・・・
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改めて「滅私奉公」を考えてみました。私利私欲を捨てて、公や社会、主人などに忠誠を尽くすこと。公な立場にある人は、私利私欲を捨て、社会のために尽くすこと
町民の皆さまに選んでいただき、そのご期待にお応えしていく。
公明党の議員として、これからも誠実に取り組みたいと感じました。
青葉茂れる桜井の・・・リベンジの思い