阪神・淡路大震災から30年
公明党「防災・減災」福祉の観点を 国土強靭化へ決意新たに
(17日 公明新聞一面より) 公明党の斉藤鉄夫代表は16日午前、東京都新宿区の党本部で開かれた中央幹事会であいさつし、17日で阪神・淡路大震災の発災から30年となることに触れ、犠牲者への哀悼の意を表するとともに、「改めて防災・減災、国土強靱化への決意をしたい」と訴えた。赤羽一嘉中央幹事会会長(副代表)も同日、党本部で開かれた記者会見で、被災地である神戸から選出された国会議員としての思いを述べた。=関連記事2、7面
斉藤代表は、阪神・淡路大震災について「日本の防災・減災対策の原点となった大災害だった」と述懐。大震災を契機に、耐震技術が大きく進むとともに、水害や地震などで住宅が損壊した人の住まいの再建を後押しする被災者生活再建支援法ができた経緯に触れ、「この原点をもう一度しっかりと胸に刻みたい」と強調した。
■ 増える災害関連死、救助法改正で対応
今後の取り組みについては、昨年発生した能登半島地震において災害関連死が、災害で直接亡くなった人とほぼ同数になっている状況に触れ、「災害時に配慮が必要な人の命をどう守っていくかという福祉の観点を入れた災害救助法の改正を行うべきだ」と訴えた。
一方、赤羽副代表は、阪神・淡路大震災が、近年発生した最初の「未曽有の激甚災害だった」と振り返り、当時、神戸市長が自衛隊に出動要請をできず、避難所となる学校の耐震化もおろそかになっていた問題点が浮き彫りになったと述べた。
また、被災地選出の国会議員の1人として自身も被災しながら被災者支援に当たる中で「被災者に我慢を強いたり、基本的人権が尊重されなかったりすることがあった。それはおかしいという思いで、被災者生活再建支援法の制定に尽力してきた」と語った。
その上で、今後、発生が予想される巨大地震に備えて「防災・減災対策をしっかりと前に進めていかなければならない」と強調した。
*
阪神・淡路大震災から30年 命が救われる社会構築へ 河田惠昭氏
観測史上初めて震度7を記録し、6434人の死者を出した阪神・淡路大震災から30年の朝を迎えた。
都市部を直下型の揺れが襲い、甚大な被害をもたらした。犠牲者の8割が家屋の倒壊や家具の転倒による圧死だったことは、耐震化の重要性や行政の初動対応などの課題を突き付けた。関連の法制度や仕組みが整備される契機となった防災対策の原点である。
一方で、国民の防災意識はどうか。内閣府の調査では、災害が起きた時の対応を家族や身近な人と話し合ったことがある人は6割にとどまっている。災害が相次ぐ中で頭打ちしている状況は深刻な問題だ。
防災には「自助・共助・公助」がある。しかし、阪神大震災や東日本大震災のように大規模かつ広域で災害が起きれば、行政機能がまひするなど公助に限界があることも明らかだ。
今、改めて確認したいのは地域で支え合う「共助」の大切さである。阪神大震災では、建物の倒壊から生き延びた人の8割が家族や近隣住民などによって救出された。昨年の能登半島地震では、日頃の地域コミュニティーでの防災活動が奏功したことで住民が助かった事例が少なくない。
今後、自治会や自主防災組織といった地域コミュニティーでの対策を、特にまだ大きな災害の経験がない「未災地」でいかに進めていくかが重要である。例えば、災害時にどう動くか、事前に何を準備するか、などを住民が自発的に立てる「地区防災計画」を行政が積極的に後押しすべきだ。
ただ、いつ起きるか分からない災害への準備を呼び掛けても、現場では手が回らないのが実情だろう。過疎化や高齢化が進んでいる地域ならなおさらである。祭りなどのイベントと避難訓練を組み合わせたり、学校と連携して子どもと高齢者らが街歩きをして避難経路や危険箇所を確認し合うなどの工夫も必要だ。
急速な少子高齢化で地域コミュニティーの崩壊が危惧される中だからこそ、防災を地域づくりの推進力にしていきたい。
*
北斗七星
1995年1月17日の夜明け前。布団の中にもかかわらず、床に強くたたき付けられたかのような衝撃で目が覚めた。そこから数十秒の激しい揺れは、いまだに恐ろしい鮮明な記憶である。
◆きょうは阪神・淡路大震災から30年。犠牲となった方々に心から鎮魂の祈りをささげたい
◆筆者は兵庫県尼崎市から神戸市に通う学生であった。被災した人々の姿や街の光景を思い出すと、今もつらい気持ちになる。だが、学友らとの語らいやボランティア活動といった貴重な経験も得た
◆党にとっては「防災・減災・復興を政治、社会の主流に」とする取り組みの原点であろう。当時の公明は野党であったが、被災者に寄り添った政策を提案。自然災害での私有財産被害に対して、初めて公的に支援する被災者生活再建支援法の制定(98年5月)をリードしている
◆「助け合いの精神が広く行き渡り、防災・減災対策が国を挙げての最重要政策の一つに押し上げられることを望みたい」。ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長などを歴任し、昨年亡くなられた五百旗頭真氏は10年前、本紙に語った。次々と新しい災害が起こる日本列島。その教訓を生かすことが、政治そして公明党の役割だと改めて思う。(地)
*
当時、34歳。「布団の中にもかかわらず、床に強くたたき付けられたかのような衝撃」5時46分の数秒前に目が覚め、この衝撃。4人家族の川の字での寝室。思わず、家族の上に覆いかぶさった記憶。
食器や本などが散乱、外に出ると何もなかったように静かな空気。もう一回来るのか? テレビは悲惨な状況を伝える。30年前のこと決して忘れない、これからも防災・減災対策に力を尽くす決意。