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阪神・淡路大震災から30年 あの日の記憶を未来へ 卒業生の挑戦
(17日 公明新聞より) 阪神・淡路大震災から30年。「あの日」を知らない世代が増える中、兵庫県立舞子高校(神戸市垂水区) の環境防災科で学んだ卒業生たちは「語り継ぐことの大切さ」を胸に、震災の記憶を未来につなごうとしている。その挑戦を追った。=関西支局特別取材班
■ 防災リーダーの使命感で/市民向け「語り継ぐ」会を開催
2002年に全国初の防災専門学科を立ち上げた舞子高校。「次世代の防災リーダーの育成」を目的に、被災地でのボランティアや震災経験の「語り継ぎ」など、主体的な学びを通し、地域防災の最前線で活躍する人材を輩出している。
同科の卒業生有志らは今月10、13の両日、神戸市内で「震災体験を『語り継ぐ』会」を開催し、子どもから大人まで幅広い世代の市民に自身の体験を語った。6期生の小島汀さんは、3歳の時に震災を経験。倒壊した自宅の下敷きになり、父親が亡くなった。「人生で一番最初の記憶が震災だった。海外から支援に来てくれた人たちのことは今でも忘れない」と当時を振り返った。
1期生の前田緑さんは、「震災を知っている人、知らない人が一緒に語り合うことが大切」と強調。「きょう聞いた体験を身近な人に語ってほしい」と呼び掛けた。
卒業生と参加者とのグループディスカッションでは、各自の震災体験のほか、当時のことを知らない若い世代に記憶を継承していくための方法などについて話し合われた。
大学時代に防災を専攻していた20代の女性参加者は「社会人になり、防災を意識する機会が少なくなったが、今回参加したことで自分の身近な防災の備えを考え直すことができた」と語っていた。
防災について本気で向き合う転機となったのは、高校2年生の3月に発生した東日本大震災だった。同科の初代科長・諏訪清二教諭(当時) の呼び掛けで、東北の被災地へボランティアに出向き、多くの被災者と交流を重ねた。
「目の前で知り合いが亡くなった。だから、あの人たちの分も頑張って生きる」–。津波から間一髪逃げ切り、九死に一生を得たある高齢女性の言葉は、今も今井さんの脳裏に焼き付いている。
今井さんは現在、兵庫県内で中高生の居場所支援に携わるユースワーカーとして働きながら、語り部としても活動。高校時代の体験を語ったり、再開発された長田の街を歩くツアーを企画したりするなど、震災記憶の伝承に尽力している。
「被災経験がなくても、人の話を聴き、心を寄せることはできる。その話を誰かに語ることもできる」。環境防災科での原点を胸に、今井さんは縁した人から託された“あの日の記憶”の継承に取り組む。
消防学校への宿泊体験、六甲山のフィールドワーク、長田の街歩きなど、地域と連携したアクティブな学びが同科の特長だ。「若い子にもっと防災を学んでほしいと願う地域の人たちが支えてくれた」と諏訪さんは当時を振り返る。
同科では諏訪さんの提案で、全生徒が卒業前に自身や家族の震災経験を綴り、『語り継ぐ』と題した冊子にまとめている。『語り継ぐ』では、発生当時の状況や避難生活などについて、リアルな体験談が書かれている。諏訪さんは、「記憶の風化にあらがう方法は、体験を語り継ぐことだ」と強調する。
「震災を体験していない若い人にも“あの時”の子どもたちの体験を受け継ぎ、震災を自分ごとにしてほしい」。諏訪さんは、未来を担う世代へ期待を寄せ続ける。
■ 多面的・実践的に学ぶ在校生に期待
現在の環境防災科の在校生は115人。3年生の射場叶夢さんは高校生活を振り返り、「外部講師から被災体験を学ぶ授業がきっかけで、中学校の社会科教員になりたいという思いが強くなった。先生になったら、3年間で学んだ地球環境と命を守るという防災教育の核心を伝えたい」と意気込む。
在校生は昨年3月、能登半島地震で震度7を記録した石川県志賀町などを訪れ、災害ボランティアを経験。日常的な防災学習に加え、小中学校への出前授業や宮城県、新潟県の高校生との連携事業、国内外の防災・医療・消防の専門家らとの交流などを積み重ねている。
鈴木あかね科長は「これまでの経験と教訓の語り継ぎを次につないでいくのが環境防災科の使命。生徒を支えていく」と語る。
未曽有の震災から30年。未来の災害対応に向け、多面的・実践的に「防災」を学ぶ在校生、卒業生の活躍に期待が膨らむ。