災害ボランティア“元年” から30年
1995年「阪神・淡路大震災」から
(12日 公明新聞) 17日で阪神・淡路大震災から30年を迎えます。
発災した1995年は、130万人以上のボランティアが被災地に駆け付け、日本の「ボランティア元年」と呼ばれました。
今や、さまざまな災害の復興に欠かせない災害ボランティアについて全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD) の栗田暢之代表理事と公明党市民活動委員長の浮島智子衆院議員が語り合いました。
■ (栗田)「阪神」経て大きな広がり
浮島
栗田さんは阪神・淡路大震災の時から、災害ボランティアの活動を続けておられますね。
栗田
はい。まさに私の活動の原点です。私は当時、名古屋市内の福祉系大学の職員でした。「被災者のために何かしたい」という学生の相談を受け、大学として大阪市内にボランティアの支援拠点をつくるのに携わりました。2カ月間で延べ1500人ほどの学生を被災地に引率し、炊き出しや障がい者へのサポートなどを行いました。
浮島
印象深かった出来事は何ですか。
栗田
被災者の食べたいものを学生が調査し、最も要望の多かった焼肉を提供し、喜ばれたことがあります。食後の歓談時、被災者が「本当に怖かった」「暮らしをどう再建すればいいのか」などの不安や本音をこぼしてくれました。その声を学生は心に刻みながら一緒に泣いたり笑ったりしました。炊き出しといっても空腹を満たすだけでなく、被災者の生の声を聞き、心を通わせる–ボランティアだからこそできる役割があると気が付きました。
■ 心の復興に不可欠
浮島
共感します。私は当時、米国のバレエ団でプリンシパルダンサーとして踊らせていただいておりましたが、震災を知り、「何か自分にできることをしよう」と決め、バレエ団を辞めました。東京出身の私ですが、神戸などの被災地を巡り、さまざまな活動を続ける中、子どもたちに、ボランティアでミュージカルを教える劇団を設立しました。
劇団に携わったメンバーの中には、震災で両親を亡くした男の子もいました。自暴自棄になり、周囲に暴言を吐いてしまう子でしたが、私は彼に寄り添い続けました。10年後、その男の子が「こんな僕を多くのボランティアの皆さんが支えてくれた。僕は両親を救えなかったけれど、これからは多くの命を救う医師になりたい」と決心し、猛勉強し米国で医師になりました。
栗田
被災者の食べたいものを学生が調査し、最も要望の多かった焼肉を提供し、喜ばれたことがあります。食後の歓談時、被災者が「本当に怖かった」「暮らしをどう再建すればいいのか」などの不安や本音をこぼしてくれました。その声を学生は心に刻みながら一緒に泣いたり笑ったりしました。炊き出しといっても空腹を満たすだけでなく、被災者の生の声を聞き、心を通わせる–ボランティアだからこそできる役割があると気が付きました。
■ 心の復興に不可欠
浮島
共感します。私は当時、米国のバレエ団でプリンシパルダンサーとして踊らせていただいておりましたが、震災を知り、「何か自分にできることをしよう」と決め、バレエ団を辞めました。東京出身の私ですが、神戸などの被災地を巡り、さまざまな活動を続ける中、子どもたちに、ボランティアでミュージカルを教える劇団を設立しました。
劇団に携わったメンバーの中には、震災で両親を亡くした男の子もいました。自暴自棄になり、周囲に暴言を吐いてしまう子でしたが、私は彼に寄り添い続けました。10年後、その男の子が「こんな僕を多くのボランティアの皆さんが支えてくれた。僕は両親を救えなかったけれど、これからは多くの命を救う医師になりたい」と決心し、猛勉強し米国で医師になりました。
一方、復旧・復興には、個人ボランティアの力だけでは対応できない課題も多くあります。重機を使ったがれきの撤去や避難所での要支援者の対応など、技術・知識を持ったNPOなどの専門ボランティアの力も必要です。私もNPO法人「レスキューストックヤード」を2002年に結成し、被災地支援と、災害の教訓を生かしたまちづくりに取り組み続けています。
浮島
そうした専門ボランティアなどの支援団体の連携を強めるため、栗田さんが16年に発足させたのがJVOADですね。
栗田
そうです。東日本大震災ではNPOが各地に支援に入り、さまざまな活動を行いました。しかし、現場の課題を見つけるNPOの“虫の目”に加え、被災地全体を見る“鳥の目”も必要だと痛感しました。同様の問題意識の仲間も増え、支援団体の調整役を担うJVOADを設立しました。この中間支援組織ができ、被災者の多様なニーズに応えられる民間のネットワークが広がりました。
浮島
能登半島地震では道路網の寸断などで個人ボランティアの受け入れがすぐにできませんでしたが、栗田さんたち専門ボランティアは現地に入り、支援されてきたそうですね。
■ 能登地震の課題
栗田
昨年1月3日から石川県穴水町に入り、被災者への温かい食事の提供などの支援を行ってきました。ただ、当初は混乱する行政担当者とのパイプづくりに苦労しました。災害対応の経験を持つ専門ボランティアが、政策の意思決定の段階から関われる官民連携の体制づくりが必要です。
浮島
大事な指摘です。公明党は、現場の声を基に被災地に教職員を派遣する枠組み(D-EST)を創設するなど能登の復旧・復興に全力を挙げています。災害ボランティアへの支援を推進するため、今後、官民の連携をさらに後押ししたいと思います。
栗田
災害ボランティアは、ますます社会に必要とされます。その上で、ボランティアが被災者一人一人と向き合う姿勢を忘れてはいけないと思います。
くりた・のぶゆき 1964年生まれ。名古屋大学大学院修了。阪神・淡路大震災時、ボランティアの調整役を担った。被災地を支援するNPO法人「レスキューストックヤード」代表理事などを務める。