文教にぎわい委員会として新潟県上越市を視察
20日(水) と21日(木) の二日間、文教にぎわい委員会の行政視察に委員として参加。
1日は石川県白山市「学校図書館支援事業について」を。
2日目の午後からは、戦国時代の武将“上杉謙信公” の居城であった、日本100名城で国史跡になっている春日山城跡(かすがやまじょうあと) の保存整備と公園について視察させていただきました。
上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)/長尾 景虎(ながお かげとら)は、戦国時代に越後国(現在の新潟県) など北陸地方を支配した武将・大名。
「敵に塩を送る」の逸話など、私利私欲に拘泥(こうでい:ほかに選びようもあるのに、一つの事にこだわること) しない義の武将として知られているとのことで、何か憧れを感じます。
まずは、上越市埋蔵文化財センターに到着。センターの前からは勇姿、謙信公が馬にまたがる銅像と、背景には緑いっぱいの春日山城跡、青空の中に白いお月さまも。下から眺める山城跡はこんな風に見えたんですね。(写真上段左)
館内においては、展示や文化財保存の作業などの見える化など、教育委員会のご担当いただく職員の方より質問に沿っての丁寧なご説明。
平成21年に、保存・管理・活用等についての基本方針や今後の方向性をまとめた「国指定史跡春日山城跡保存管理計画書」より、春日山城跡の顕在化や山のカタチを残すことをコンセプトに取り組まれ・・・
さて、春日山城の築城年は不明とのことですが、上杉謙信の生誕が1530年、511年目を迎えます。史跡指定は昭和10年、追加指定が49年、55年、平成12年に。約58.6haが国から指定されているとのことです。その後、山城跡へ
この日は、好天に恵まれ、登りながらご説明を伺い、難攻不落の春日山城・本丸跡へ 途中、まちの安全を見守るような謙信公の姿、敵に攻められた時の仕掛け跡、軍事や財政を支えた、越後上布の原材料となる「青苧(あおそ)」(写真下段左)、二の丸のところににそびえ立ち、季節には黄金に色づく一本銀杏の大木(写真中段左)、本丸から臨む高田平野と直江津港と日本海。(写真中段右)
土の城・春日山城は2km四方の範囲に堀や土塁、屋敷跡が広がる広大な城跡。平成28年に発生した記録的な大雨による土石流が発生した跡地や、鳥獣被害対策も確認。特に、謙信公の居城であった、春日山城跡は自然の要塞であることから、みんなで山を守ろうと「土の一袋運動」を展開。
雪解けの4月頃からGWなどホームページ等で呼びかけ、小学校や散策される方々にご協力をいただき、設置されている袋に土を入れて(土量は自由) 本丸(頂上) 指定の場所へと・・・
謙信公の歴史の中から、郷土の方々から愛され続いているように思い感動しました。私たちも運動に一役・・・また、清掃活動や様々なイベントを開催され愛する郷土を皆さんで守られているようです。
今回は新潟・上越の素晴らしい景観を見て、謙信公はどんなことを考えたのだろう。たぶん、この国を必ず守ると思われたのでは・・・
帰路は毘沙門堂から杉の間を通り(写真下段中) 春日山神社へ。管理委託されている山城跡のガイダンス施設(春日山城ものがたり館) や、謙信公祭・川中島の合戦が再現される春日山城史跡広場(写真下段右) を見学。只々、上越の素晴らしさに、公園の広大さに感動の連続でした。
関係者の皆さま、お世話になりました。大変、勉強になりました。ありがとうございました。
上越市の春日山城跡の整備と公開について【質問項目】
① 春日山城跡の整備と公開の経過とコンセプト等
② 春日山城跡の日常管理、山城の遺構の継続管理、樹木剪定や除草などの日常管理の方法等
③ 山城跡のガイダンス施設の役割と来訪者の状況、コンセプトや来訪者の誘導等
④ 山城跡を活用したイベントや街のにぎわいの創出、市民参画によるイベント等や市民参加等
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上越市のホームページより↓
埋蔵文化財センターは、上越市内の埋蔵文化財を研究・保管・公開する施設です。市内の歴史に関する展示のほか、調査室の大きな窓からは、出土品の整理や復元作業を見ることができます。春日山城跡のふもとにあり、豊かな自然になじむ土壁色の日本家屋風の建物です。
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標高180メートルの春日山に築かれた春日山城は別名「鉢ヶ峰城」(はちがみねじょう) ともいい、戦国時代の名将上杉謙信公の居城として知られています。
城地としての広さは東西・南北ともに2キロメートルほどで、規模の雄大さでも全国屈指の名城といわれています。
春日山城は、越後府中の要害(砦) として築かれましたが、築城の時期はよくわかっていません。少なくとも、永正10年(1513年) の古文書に初見されることから、この時期には山城として機能していたことがうかがえます。ただし、現在のような広大な城郭に整備されるのは、謙信・景勝、さらに堀氏が城主を務めた16世紀後半と考えられます。
城は、(1) 本丸周辺から春日山神社にかけての郭(くるわ) 群、(2)南三の丸と通称される本丸の南に広がる平坦な一群、(3)御屋敷遺構群、(4)総構(そうがまえ) が築かれた山裾の平坦地の大きく4つのグループに分けられます。特に、(4)の屋敷や空堀が広がる山のすそ野に、延長約1.2キロメートルに及ぶ堀と土塁で総構が築かれていることは春日山城の大きな特徴の一つです。
これら4つのグループにみられる違いは、春日山城の形成過程を示していると考えられ、春日山城は、初期の山頂を利用した小規模な段階から、南に拡大して平坦で大規模な郭を形成し、御屋敷遺構群が普請(ふしん) された後、最終的に総構と段階的に拡大していったと考えられます。
また、(1)~(4)の遺構が間断なく連続していることは山城として稀有であり、中世から近世にかけて、築城法の移り変わりを一つの城跡で探ることのできる例として、全国的にも大変めずらしい貴重な遺跡です。
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(参考資料)
新潟県上越市▽
人口:187,021人 /世帯数:76,734世帯 /面積:973.89平方キロメートル /春日山城跡
大阪府高槻市▽
人口:349,941人 /世帯数:162,906世帯 /面積:105.29平方キロメートル /芥川山城跡