(10日 公明新聞より) 公明党は今年11月17日に結党60年を迎える。
「大衆とともに」との立党精神を貫き、日本の政治をリードしてきた公明党が「福祉の党」「クリーンな党」「平和の党」などとして広く認識・評価されてきた歴史を紹介する。第1回のテーマは、今や、これを語らない政治家はいないと言われるほどになった「福祉」。(随時掲載)
「大衆福祉の公明党」。公明党結成大会で掲げられたこのスローガンに込められているのは「大衆とともに」の立党精神を胸に闘う公明議員の揺るぎない決意だ。
当時、華やかな東京オリンピックや経済成長の陰にあったのは、生活環境の整備が後回しにされ、悲痛な声を上げる庶民。こうした人々に寄り添う中で公明議員は福祉の大切さを痛感した。
ただ、既成政党は「福祉は政治が扱うものではない」などと冷笑するばかり。それでも、公明党は岩盤に爪を立てる思いで福祉を訴え、既成政党・政治家の“常識”を覆し、福祉を政治の表舞台に押し上げてきた。その象徴的な実績が、公明党が“生みの親”“育ての親”である児童手当だ。
1968年、公明党は他党に先駆けて独自の法案を国会に提出。政府に実施を迫った。地方議会でも推進し、千葉県市川市、新潟県三条市で独自の児童手当が実現したのを皮切りに、全国に流れが波及。消極的だった政府を動かし、72年に国の制度として実現した。
自民党との連立政権への参加後は、対象年齢や支給額が大幅に拡充した。第1子への総支給額で見ると、連立政権参加前(99年) は3歳未満までで18万円だったが、現在は中学卒業までで最大209万円に。今年10月分からは所得制限を撤廃、支給期間も「高校生年代まで」となり、最大245万円へと増額する。
■ 年金改革、がん対策も推進
暮らしの安心に責任を持つ公明党がいたからこそ、公的年金を持続可能な制度とする改革も進んだ。2004年の制度改革では、保険料の上限を定めるとともに、標準的な世帯の給付水準については、現役世代の平均手取り賃金額の50%以上を確保すると法律に明記。03年に公明党が発表した年金100年安心プランに沿った形になった。
国民の死因第1位である、がんや、“国民病”ともいわれるアレルギー疾患への対策強化にも挑み、それぞれ対策基本法制定をリード。医療体制整備などを後押しした。
民主党政権下の12年には、社会保障と税の一体改革を巡る当時の民主、自民との3党合意に尽力。同改革で子育て支援が、医療・介護・年金と並ぶ社会保障の柱として位置付けられることとなった。
■ コロナワクチン、飲み薬確保リード
一方、新型コロナ禍ではワクチンや飲み薬の確保などを主導した。孤独・孤立といった近年顕在化してきた課題についても、実態を調査し、国の施策に反映させている。
淑徳大学の結城康博教授は「生活に密着した政策課題への関心が高い公明党の草の根の活動によって、福祉サービスにたどり着けた人が大勢いる。公明党には、子どもから高齢者までが安心して暮らせる『全世代型社会保障制度』の構築に向けた議論をリードしてもらいたい」(本紙23年2月2日付)と語っている。