高槻市の総合計画について
令和4年6月定例会での一般質問 昭和の時代のシンボルから令和の時代のシンボルへ
24日(金)、令和4年6月定例会が閉会、16日間の最終日に、「子ども食堂について」に続き、「高槻市の総合計画について」のテーマで一般質問を行いました。
本市議会では議会改革の一環として、一般質問について問答がわかりやすいように、令和4年3月議会よりテーマ(項目)ごとに行う「高槻版一問一答方式」を採用しています。
私も、今議会にはじめて体験しました。「子ども食堂について 質問→答弁→質問→答弁→要望」⇒「高槻市の総合計画について 質問→答弁→質問(提案)→答弁」、終了後、「聞きやすかった」との評価をいただきホッとしています(;^_^A
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(以下全文) 次に、「高槻市の総合計画について」のテーマをお聞きします。
【1問目】
第6次高槻市総合計画の巻頭、濱田市長のごあいさつ「輝く未来に向けて」の記事には、「私たちのまち高槻は、北摂山系の美しい山並みや淀川、芥川などの豊かな歴史と文化を育み、大阪・京都間の拠点として発展を続けてきました。
しかしながら、今日、国と同様に少子高齢化の進行が続いており、昭和40年代に住宅都市として全国的にもまれにみる人口急増を経験し、当時整備した公共施設の老朽化などの課題を抱え、また、自然災害では、本市も大きな被害を受け、大規模地震や気候変動による水害・土砂災害はいつどこでも起こり得るものであり、今後も災害に強く強靭なまちづくりを絶えず進めて行く必要があります。
さらに、新型コロナウィルス感染症は、日常生活に大きな影響を与えており、安全・安心な市民生活を守ることが求められています」と。本市を取り巻く現在の背景がよくわかります。
この計画では、本市が抱える様々な課題の克服、持続的な成長を次世代にて市民福祉のさらなる向上を図るため、まちづくりの8つの将来の都市像を掲げ「輝く未来を創造する 関西の中央都市 高槻」をまちづくりの合言葉に市民・事業者とともにこれからの都市像の実現に向け、全力で取り組んでいくとの決意が述べられています。
また、計画策定の背景、本市の地勢より、山間部と平野部、市街地を南北に二分してJR東海道本線と阪急京都線が並走し、さらに、南部では東海道新幹線が、北部では丘陵地を名神高速道路、山間部を新名神高速道路が高槻ジャンクション・インターチェンジを介し、東西に横断する交通体系となっており、さらに、まちの特長として、高い交通利便性、豊かな水とみどり、歴史資源による良好な景観、良好な住環境、商工業や学術機関の集積、充実した医療、充実した子育て・教育環境、活発な市民活動が紹介され、今日までの本市の発展が伺えるところです。
本市は、令和5年(2023年)に市政施行80周年、中核市移行20周年を迎えます。
昭和18年(1943年)1月、大阪府内9番目の市として市制を施行。人口3万1,600人でした。その後の人口急増と、平成7年(1995年)の36万2,300人をピークに人口は減少傾向に転じ、直近のデーターでは令和4年5月末現在の人口が348,951人。
この総合計画の目標年次である令和12年(2030年)時点における本市の将来推計人口は、27,170人が減少し、323,781人と推計され、さらに人口減少が見込まれています。
昭和から平成を経験し、令和の時代を、今後さらに魅力あるまちづくりを展開していくためにも、本総合計画で掲げる「輝く未来を創造する 関西の中央都市 高槻」を合言葉に、市民とともに輝く未来を創造し、訪れたい、住みたい、住み続けたいと思われる都市として着実に成長し続けることを願っています。
しかしながら、今後の人口減少社会を考えた時に、健全財政を堅持しながらも、人口規模に見合う魅力的で発展的な計画にして、次世代につなげていかなければなりません。
まずは、1問目ですが、第6次の総合計画は8つの基本構想から成り立っています。今後、人口減少社会が進展していく上で、10年後の高槻の輝く未来をどのように創造し計画されてきたのか。
また、市民とともに輝く未来を創造し、訪れたい、住みたい、住み続けたいと思われる都市として着実に成長し続けることを目指していくとされています。
多様化するまちの課題に対しては、市民がまちづくりの主体となり、市民と行政の協働によるまちづくりを展開することが必要ともあります。
協働によるまちづくりでは、コミュニティや単一自治会が重要な位置づけになると思いますが、どのように考えておられるのかお聞かせ願います。
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【ご答弁】
第6次総合計画についてですが、本市を取り巻く社会環境は、国全体の状況と同様に少子高齢化の進行が続いており、それに伴う収入減や社会保障関係費の増加、公共施設の老朽化に加え、激甚化・頻発化する自然災害や新型コロナウィルスの感染症拡大など、その厳しさは増しております。
令和12年度を目標年次とする第6次総合計画では、このような厳しい状況下においても、持続的な成長を次代につなげていくため、本市の特長である「交通利便性の高さ」や「充実した医療などの都市機能」、「安満遺跡公園をはじめとした歴史・文化などの豊富な地域資源」などを強みに、「都市機能が充実し、快適に暮らせるまち」などの8つの基本構想を掲げ、健全財政を維持しながら、将来にわたり誰もが幸せを実感できるまちの実現を目指すものです。
また、社会環境の変化に伴い、行政が抱える課題は多様化・複雑化していることから、今後、市民と行政の協働によるまちづくりが増々重要になるものと認識しております。
そのようなことから、第6次総合計画において、「市民参加・市民協働の推進」を基本計画に位置づけ、市民参加の推進やコミュニティ振興に係る様々な取組を積極的に進めているところです。
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【2問目】
ご答弁をいただき、第6次総合計画の策定においては、本市を取り巻く社会環境は、厳しい状況下においても、持続可能な成長を次世代につなげていくため、本市の特長を強みに、健全財政を維持しながら、将来にわたり誰もが幸せを実感できるまちの実現を目指して行くとのこと。
また、「市民参加・市民協働の推進」を基本計画に位置付け、市民参加の推進やコミュニティ振興に係る様々な取り組みを積極的に進めているとのことでありました。
「総合計画」の担い手は市民であり、市民との連帯が総合計画の要であります。
高槻市民憲章の条文に「高槻は わたしたちの 自治のまち」と謳われる通り、どうか、市民が主体のまちづくりを。「令和」のこれからの時代にふさわしい、真の市民自治を推進していただきたいと思います。
ここで、少し市民憲章について触れさせていただきたいと思います。
「市民憲章」は、昭和52年(1977年)12月5日に高槻市民憲章制定市民会議により制定され45年の節目となります。
前文に、わたくしたちのまち高槻は、祖先の心をしのばせる遺跡・史跡をはじめ、 多くの文化財をもつ由緒のあるまちです。
わたくしたちは、この地にあって、真に生きがいのある文教・福祉都市を建設し、 子孫が誇りをもって「わが郷土・高槻」と語り継げるよう、 明日への願いをこめて、ここに市民憲章を定めます。とあります。
市役所南側出入口付近には、昭和55(1980年)年5月25日に市民憲章碑と一緒に記念碑として建立されたモニュメントは日時計となっており、名称を太陽のメモリーとして令和4年(2022年)までの42年間、今も時を刻んでいます。
周辺の花壇は、いつもキレイにお手入れしていただき、来庁される皆さまにも楽しんでいただきたいとの思いを感じているところです。
そして良く見ると、市民憲章碑から太陽のメモリー、本庁の屋上部に設置されている本市の市章が一直線に並んでいることを教えていただき感動しました。
「たかつき市議会だより」第30号、昭和55年(1980年)1月29日発行分に、当時、市民憲章推進協議会により、「市民の総意で市民憲章碑をつくったのだから、とにかく自分たちの手で取り組んでいこう」との思いから自治会を通じて、市民の皆さまに募金のお願いをし、建立まで取り組んでこられた様子が記され、また、「広報たかつき」には、憲章碑に記された市民憲章は、“高槻市民共同のみちしるべ” として、市政施行35周年を記念して制定されたもの。
建立される憲章碑・記念碑を市民全体のシンボルとして、今後一層、市民憲章の精神を推進しましょうとありました。
先日、関係者の方々からも当時のお話を聞かせていただき、市民の皆さまをはじめ自治会やコミュニティの郷土愛を強く感じたところです。
この頃の人口は、昭和55年(1980年)、32万6,000人、人口増により15年後に36万人を超えることになります。
昭和56年(1981年)12月当時の、「第2次総合計画」をお借りして、第一編の「総論」を読み返してみました。
時代背景は、市民意識の変化がこれまでの量的拡大から質的充実の時代。すなわち、「福祉の充実」、「自然環境保全」、「文化的要求の充足」等に市民の要望が移行しています。
新基本構想は、あるべき未来の理念像を描き、行政が一方的にこれを計量的に示すという目標達成至上主義ではなく、市民が求めている、生活に密着したニーズを一歩一歩実現し、市民と行政が一致した努力目標を積み上げることによって、都市の創造的な方向性を明らかにしようとするものであると記されており、市民と行政が身近な存在にあると感じました。
そして、新基本構想を考えるに当たって、まちづくりの主体である市民の連帯意識をますます高め、分権と参加を通じて、真の市民自治へと発展させる考え方をコミュニティ構想として確立するともあり、市民の連帯感の推進、コミュニティ構想の確率が重要なことだと40年前の考え方に共感を覚えます。
そして、「総合計画」の担い手は市民である。この市民の連帯が総合計画のかなめでると明言されており、人口増加の時代にあって市民の生活圏の段階をより明確にされていることが印象的です。
だからこそ、当時の連帯意識の中で、市民憲章碑やモニュメントが市民の手でつくられた昭和のシンボルなのだと強く感じました。
令和の時代は、人口減少社会であり、さらなる自然災害、感染症等、課題は増えてきますが、市民とともに輝く未来を創造し、訪れたい、住みたい、住み続けたいと思われる都市として着実に成長し続けていきたいと思います。
来年は、市政施行80周年。
市政施行35周年の場で初披露された市民憲章を80周年の場で、再び市民の思いを甦らす機会とし、市民憲章碑やモニュメントを市民自らが市民の手で、昭和の時代のシンボルから令和の時代のシンボルへとの思いを。
そして、輝く高槻を目指す取り組みとして、原点を振り返りながら、「まちづくり元年」との思いで、市民の皆さまと連帯を強め、記念に残るイベントなどを計画することを提案いたしますがいかがでしょうか。ご答弁をいただいて、私の一般質問を終わります。
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【ご答弁】
市民憲章についてですが、本憲章は、明るい未来へと向かう高槻の道しるべと、するべく、市民が主体となり、ふるさとへの愛着と一体感を育み、心豊かなコミュニティの醸成に寄与するものとして昭和52年12月に策定されたもので、本市のまちづくりの基礎となったものです。
本市は、昭和18年1月1日に誕生し、来年1月1日に市制80周年を迎えるとともに、市民憲章策定の45周年の年を迎えます。
本市としましては、これら節目の年に、先人から大切に守り受け継いできたまちを、更に輝けるまちとして次世代に引き継ぐため、改めて、市民憲章やモニュメントに込められた思いを市民の皆さまと共有する機会を設けることで、総合計画に掲げる「市民参加・市民協働の推進」に取り組んでまいります。
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私たちの手で新しい時を 高槻版一問一答方式 <あきひログ