高槻市民憲章碑と制定記念碑 “太陽のメモリー”
5年前のあきひログ(2017年8月1日)において、「時を刻む」高槻市民憲章制定記念碑 “太陽のメモリー”をご紹介させていただきました。
1980(昭和55)年5月25日に記念碑として建立された日時計、太陽のメモリーは2022(令和4)年までの42年間、今も時を刻んでいます。
周辺の花壇は、いつもキレイにお手入れしていただき、来庁される皆さまにも楽しんでいただきたいと感じているところです。
少し調べてみますと、高槻市議会50年史に掲載の “たかつき市議会だより”の中で、第30号・昭和55年1月29日発行分に「募金で建てる意味は 市民憲章碑『太陽のメモリー」”として紹介されていました。
当時、市民憲章推進協議会により、「市民の総意で市民憲章碑をつくったのだから、とにかく自分たちの手で取り組んでいこう」との思いから自治会を通じて、市民の皆さまに募金のお願いをし、建立まで取り組んでこられた様子が記されています。
また、新発見となりましたが、市民憲章記念碑から太陽のメモリー、市章が直線状にあることをお聞きし感動した次第です。
先日も、当時の関係者の方がご来庁くださり、貴重なお話しを聴かせていただ感動、当時の“広報たかつき” の記事も読ませていただきました。
記事には「市民の皆さんからの募金をもとに、急ピッチで工事が続けられていた市民憲章碑と記念碑は5月23日、すべての工事が完了する。」と・・・
「25日午前10時から市役所南側広場で行われる除幕式で、その姿を現します・・・
憲章碑は、花こう岩にブロンズ製の碑文板をはめこみ、高さ0・65㍍、幅3・6㍍、奥行1・6㍍。・・・点字版をはめこんでいます。
また、記念碑は、高さ7㍍、幅は1・8㍍、“太陽のメモリー(思い出)” と呼ばれ・・・高く天にそびえ、日時計の果たすように・・・。」
「憲章碑に記された市民憲章は、“高槻市民共同のみちしるべ” として、市政施行35周年を記念して制定されたもの。
建立される憲章碑・記念碑を市民全体のシンボルとして、今後一層、市民憲章の精神を推進しましょう。なお募金運動は、皆さんのご協力により、目標額のほぼ1千2百万円に達することができました。ご協力ありがとうございました。」と・・・
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本市は来年、市政施行80周年、中核市移行20周年を迎えます。高槻市民憲章の制定より45年。
この間、その思いは各地域のコミュティに継承され、式典などで“市民憲章” を朗読をされてきたのだ感じます。これからも・・・
現在は、コロナ禍で式典等も少なくなっていますが、今の時代を、ともどもに乗り越え、過去の歴史を大切にしながら、“今日から明日へ” 皆さまとともに、新しい「時」を刻んでいきたいと感じす。
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新しい、高槻市のホームページ・トップ画面に「総合窓口(市民向け)」、憲章碑、記念碑が表されています。
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〔高槻市民憲章〕
前文
わたくしたちのまち高槻は、北は景勝摂津峡をいだく北摂連山につつまれ、 南は淀川の豊かな流れに臨み、平和な風土に恵まれています。
わたくしたちのまち高槻は、祖先の心をしのばせる遺跡・史跡をはじめ、 多くの文化財をもつ由緒のあるまちです。
わたくしたちは、この地にあって、真に生きがいのある文教・福祉都市を建設し、 子孫が誇りをもって「わが郷土・高槻」と語り継げるよう、 明日への願いをこめて、ここに市民憲章を定めます。
条文
1 高槻は わたくしたちの 自治のまち
わたくしたちは、市民としての自覚と責任をもって、進んでまちづくりに参加します。
2 高槻は 心と心を 結ぶまち
わたくしたちは、信頼と愛情を深め、すべての差別をなくし、自由と公正を守ります。
3 高槻は 住みよい環境 めざすまち
わたくしたちは、あらゆる公害をなくし、生活の安全を守り、花と緑を育てます。
4 高槻は 生きるよろこび 燃やすまち
わたくしたちは、体を鍛え、仕事に励み、明るい家庭と社会を築きます。
5 高槻は 文化の華を 咲かすまち
わたくしたちは、人間性豊かな教養を高め、輝く市民の文化を創ります。
(昭和52年12月5日制定)
高槻市民憲章制定市民会議