高槻市議会議員 吉田あきひろのごきんじょニュース

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たかつき2020

高槻市HPへリンク / 2020年11月25日

令和2年度 市政概要の資料より

A072975C-7E33-4739-84C4-50EF39C8B1AC議会事務局発行の「令和2年 市政概要 たかつき2020」を配布していただきました。ページをめくると目次から。

市勢、市域の変遷、令和2年度主要施策、市議会概要、議会活動状況、議会費予算等、総合戦略、総務、市民生活環境、健康福祉、主な施設一覧等々が記載されています。

市ホームページには、現在は令和元年分までの市政概要が公開されているようです。

はじめに注目したのは、市勢、郷土のありさま。小史として、高槻(高月)の名前が歴史上登場したのは、鎌倉時代(1333)から南北朝時代(1336)。

縄文(16,000前)・弥生(紀元前10世紀頃)の昔から営まれてきたこの地の人々の暮らしが、この時に高槻の集落として実を結んだと“郷土のありさま”の冒頭に記されていました。

今回は「高槻」の歴史概要と市域の変遷を確認してみたいと思います。

南北朝時代は、足利尊氏の配下、入江左近将監が城館を設け、戦国時代(1467)には、キリシタン大名の高山右近が高槻城主に。江戸時代に入り、慶安2年(1649)に永井直清が高槻城に封じられ幕末まで発展したとか。

明治2年(1869)6月
版籍奉還で最後の藩主、永井直諒が藩知事に。

明治4年(1871)7月
廃藩、11月に府県改廃によって高槻県は大阪府に編入

明治7(1874)年
城郭破却

明治22年(1889)4月1日
町村制施行、大阪府島上郡高槻村、同芥川村、同清水村、同磐手村、同大冠村、同如是村、同阿武野村、同五領村、同三箇牧村、同富田村、京都府南桑田郡樫田村が成立

明治29(1896)年4月1日
島上郡と島下郡が合併し、三島郡となる。

明治31年(1898)10月14日
高槻村は町制を施行し、高槻町となる。

大正14年(1925)11月1日
富田村は町制を施行し、富田町となる。

昭和4年(1929)1月1日
芥川村は町制を施行し、芥川町となる。

昭和6年(1931)1月1日
高槻町に芥川町、清水村、磐手村、大冠村が合併

昭和9年(1934)9月1日
高槻町に如是村が合併

昭和18年(1943)1月1日
市制施行、高槻市となる。人口約3万1,600人、64・3平方キロメートル。

昭和23年(1948)1月1日
三島郡阿武野村合併

昭和25年(195011月1日
三島郡五領村合併、人口37,714人

昭和30年(1955)4月3日
三島郡三箇牧村合併、人口54,028人

昭和31年(1956)9月30日
三島郡富田町合併

昭和33年(1958)4月1日
京都府南桑田郡樫田村合併

昭和35年(1960)
人口急増、人口79,043人、40年、130,735人、45年、231,129人、50年、330,570人、60年、348,784人

平成7年(1995)
人口362,270人 ※

平成15年(2003)4月1日
中核市に移行

平成17年(2005)
人口351,826人

平成27年(2015)
面積 105・29平方キロメートル ※

令和2年(2020)9月末
市ホームページより、人口351,133人 ※

現在までの高槻市の変遷は、村から町、市へと発展していく上で、多くの合併や調整がされてきたことがわかりました。今では本市の人口は約35万人、私たちの郷土は、様々な歴史を経て大きく変化してきたんですね。※別資料より引用