高槻市議会議員 吉田あきひろのごきんじょニュース

[あ]したの [き]ぼうは [ひ]とりの人を思う ここ[ろ]から

安全・安心のまちをつくる新年度を

□街宣活動 あきひろ日記 党活動 / 2020年2月11日

あきひろ日記 建国記念の日に思う

20200211_061025728_iOS今日は「建国記念の日」、晴天の祝日。午後から地域内6箇所で街宣活動。お声かけいただいたり、ごあいさつくださった皆さま、本当にありがとうございました。

国ができ、まちができて、さらなる“安全・安心のまちづくり”を目指し、公明党の議員として誠心誠意、全力で頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします。

さて、“建国記念の日”、わが国では、実際の建国日が明確ではないため、建国神話(日本神話)を基に、建国を祝う日として「建国記念の日」が定められています。

2月11日は、日本神話の登場人物で初代天皇とされる「神武天皇(じんむてんのう)」の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日(旧暦)とあり、その即位月日を明治にグレゴリオ暦に換算した日付だそうです。

日本神話、伝説上の人物、“神武天皇”は奈良盆地とその周辺を征服して、はじめて天皇位につきました。

しかし、大和で反対勢力に苦しめられていたことから、道臣命(みちのおみのみこと)と可美真手命(うましまぢのみこと)を東征軍に任命。反対勢力の征伐に成功したことから、三島の土地を与え、その軍隊の旗印が「月」をかたどっていたので、ご褒美にもらった土地を「高月」と呼ぶようになったとか。

国のはじまりから、“たかつき”との縁を感じます。

また、「高月」が「高槻」に。「槻」(欅:けやきの古称)の大木があり、戦国時代に「槻」の近くに本陣が立てられたことから、月を槻に変えたとされています。

今では35万人の中核市。高槻はどんな歴史を刻んできたのでしょう。

高槻に人が住みはじめたのは、約2万年前の“旧石器時代”といわれ、その後、“弥生時代”になり、安満遺跡では三島地方で最初の米作が開始されました。

古墳時代。現在、日本でも有数の古墳群地帯で、真の“継体天皇陵”とされる“今城塚古墳”など、古墳時代初期から末期までの各時代の古墳が残っています。

また、日本最古(5~6世紀)の最大級の埴輪工場。今も“新池遺跡ハニワ公園”として保存・公開されています。 7世紀末に神峯山寺が開創、「たかつき」の地名が初めて史料に出てきたとか。

鎌倉時代にあたる14世紀ごろ、奈良の春日神社の荘園であった「安満庄」の耕地目録の中に、「麦下地 高月二町十歩」「野畠 高月七反半」と記されているそうです。

室町時代には、富田が一向宗(浄土真宗)の北摂布教の拠点として栄え(この頃の史料には「高槻」の地名が)、戦国時代には、“三好長慶”や“高山右近”が拠点としていました。

安土桃山時代には、高槻領主高山右近が“キリシタン大名”だった影響でキリスト教が広がり、江戸時代には山陽道の流れをくむ西国街道が参勤交代などに利用され、芥川宿は六宿駅の一つとして栄えたそうです。

富田は8,000石余りを醸造する酒蔵として栄え、日本を欧州に初めて紹介した“オランダ商館付医師エンゲルベルト・ケンペル”は、1691年、長崎から江戸に行く途中、大阪から守口、枚方、橋本、淀、京都の順に旅をし、昼食をとった枚方から高槻を望み、風景を記録したとか。

IMG_7011近年、明治時代には隠れキリシタンの里として発展。大正そして昭和になり、1970年代以降、大阪市と京都市のベッドタウンとして宅地開発が進み人口が急増。

1975年には30万人の大台に到達。その後も順調に増加を続け、1995年には362,270人を記録。

しかしその後、少子高齢化等の進展により、人口は減少に転じ、2005年には351,802人となりました。ただ大阪府の調査・推計では2004年初頭を境として高槻市の人口動態は社会減から社会増に転じており、依然続く自然増と併せて人口動態そのものは年々改善していると資料に記されています。

これは、JR高槻駅周辺の再開発によって市中心部の商業機能が向上し、市内の生活がより便利になったため周辺地区からの流入が増えたことが理由と見られています。

“建国記念の日”、紀元前660年から2020(令和2)年。国ができ、まちができ、安全・安心のまちをつくる新年度を迎えます。

“たかつき”でも、いよいよ3月定例会。濱田剛史市長の施政方針大綱の発表から、各派の代表質問。ともに、市民福祉向上につながる市政を目指すべく、全力で取り組んでいきたいと思います。

益田市の施設見学「雪舟作の庭園」

□議長公務 視察・研修会 / 2020年2月11日

姉妹都市の歴史・文化を

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6日(木)、7日(金)、「姉妹都市・益田市友好訪問事業」を実施させていただき、大歓迎を受けた1日目の表敬訪問等のあと、2日目は益田市の歴史と文化を学ぶための施設見学、視察を。

先日、“あきひログ”でもご紹介させていただきました、“雪舟の郷記念館”のつづき・・・をご報告させていただきます。

「画聖雪舟等楊禅師」によって造られた寺院洋式の・・・

《萬福寺》
萬福寺の創建は明らかでないようですが、もともと安福寺と号され、市内中洲浦にあったそうです。1026(万寿3)年、大津波により流失。1312~1317(正和年間)に再興さらたといわれています。

その後、1374(応安7)年、第十一代の益田兼見(ますだ かねはる)が現在地に移し、“萬福寺”と改め菩提寺としたそうです。1904(明治37)年2月、国の重要文化財とされました。

境内には、「雪舟作の庭園」(国指定史跡及び名勝)があり、「池泉回遊式兼観賞式庭園」と呼ばれる築山泉庭だそうです。庭園は広くなく、築山も大きくありませんが、畳石は階段をつくり、三石は天地人をかたどり、水は清く、本堂の建設と調和していると、ご案内いただきました。

“雪舟作の庭園”から本堂も見学、すごく丁寧なご説明をいただき、感動の連続でした。

庭園は、見る者の心に、その清らかさが感じられ、本堂は、老朽部の改修はあるものの、火災にも合わず原形を留めていると伺いました。屋根などの重量物を支える柱等の建築技術や襖や施錠の仕組みにも感動。大津波に合いながらも再興され祀られる仏像等。郷土を愛する益田市の歴史の深さを感じた次第です。

“雪舟さん”の心が令和の今も継承されているように。この後、「グラントワ(富野由悠季の世界)」、「株式会社右田本店(島根県内で一番歴史の古い酒造)」を視察。

益田市 <あきひログ