あきひろ日記 「潮」11月号 ずいひつ波音
中西進氏(国文学者)のずいひつを読んで。「そもそも政治の原点はどこにあるのだろう」
中国の古典的辞書の紹介から、「政」は「正」だと説く。正しいことを行うものだという意味だろうと。さらに『周礼(しゅうらい)』という中国時代の聖典より、国家を建設する六つの決まりごとの一つが「政」、国家を平らかにし、役人のすべてを正しくさせ、すべての国民を均しく(ひとしく)するものだと。
「どうだろう、近頃の政治のイメージはまったく違うのではないか」と中西氏。「政治的」というと、むしろ逆の駆け引きを意味したり…
中国の政治を、日本では「まつりごと」という日本語に当てた。まつりごととは。「まつり」を感じで書けば「祭」、「ごと」は「同様のもの」を意味するらしい。
なぜ、政治と神様を祭ることが同じなのか…
そもそも神祭りの仕事は天皇の役目で、天皇は神の声を聞こしめして、領土を支配(きこしめ)した。それが日本における王の統治。
やがて行政は職業的な役人が政府をつくって天皇の「まつりごと」を代行するようになった。これが今日の政治。
万人に平等をもたらす中国の政治と、神の声を民にほどこす日本の「まつりごと」とは傾向が違うように見える。しかし、もっとも公平な正義を行うことが統治者の任務だと考える点において、両者は等しいと。その普遍性の上に、日本は日本の「まつりごと」を行うのが政治の原点であろうと。
(今では当たり前となった「福祉」)、書経に、福とは「天道ハ善ニ福(さいわい)シ、淫(いん)ニ禍(わざわい)ス」というように、正しい天の道にかなう人に与えられるものが、「福」、「祉」は神から授かるのも。これが、二字とも示偏(しめすへん)の「福祉」だとか。
善良を心がける人の胸に宿るものが福祉だとか。お金に恵まれたり、生活に困らなかったりすることだけが福祉ではないと。
幸福感の充実を目的とするものが「まつりごと」であり、中国でいう「政治」と等しいと考えたのが私たちの祖先だった。
改めて、日本の政治を考えて見たいと…
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「まつりごと」を読んで改めて感じたこと。難しい内容でしたが、ただ、政治は市民・国民のためのもので、幸福への道程でなければいけない。正しい政治とは。政治家は襟を正して。