高槻市議会議員 吉田あきひろのごきんじょニュース

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大塚切れから100年

□防災・減災 高槻市HPへリンク / 2017年8月26日

大塚切れとは

20170824_024606012_iOS大正6年(1917)10月1日8時40分。大冠村(現在の高槻市大塚町)の堤防が、台風による連日の大雨で決壊。淀川右岸一帯に甚大な被害をもたらしました。

被害状況は、三島郡の15町村、西成郡13町村(大塚から淀川沿い河口までの全部)と北河内の3町村が水没。

耕地被害5,871・3ha、被災戸数15,358戸、被災人口は65,000人に上がったとのこと。

堤防決壊箇所の締め切り工事は、水勢が激しく難工事を極め国等の出動を要請し、決壊から38日後、水流をせき止めることができたそうです。

なお、この洪水は、淀川右岸24km区間で浸水が発生。宇治川、木津川でも本川堤防が破堤。大塚切れ復旧に伴い、瀬田川洗堰(せたがわあらいぜき)の水位調節において、上下流対立が発生するなど、100年経った現在でも治水対策に向けた教訓になっているそうです。

淀川大塚切れ100年目をこの10月に迎えることから、先人の取り組んだ治水、水防対策のご苦労に思いを馳せながら、改めて洪水に備える意識高揚を目的に、関係機関が連携して“淀川流域の治水と地域の未来を考える”シンポジュームが開催される予定となっています。

大塚切れと洪水記念碑 <高槻市インターネット歴史館