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聖徳太子という呼び方

あきひろ日記 / 2017年7月10日

あきひろ日記 「潮」7月号を読んで

20170626_061354511_iOS潮7号に「聖徳太子という呼び方」と題して、山本博文氏(東京大学史料編纂所教授・歴史学者)の記事が掲載されていました。

今年2月、文部科学省は、次期学習指導要領の改定案を発表、“聖徳太子”を“厩戸皇子(うまやどのおうじ)”とし、“鎖国”を“幕府の海外政策”に改めるなどとした。これには、賛否両論あったことは、私の記憶にもうっすらと残っています。

聖徳太子の事蹟は、死後60年ほどの681年に天武天皇が命じて編纂(へんさん)。日本最古の歴史書“日本書紀”に書かれており、そこでは厩戸皇子と呼ばれ、聖徳太子はのちに理想化して付けられた呼び名だといいます。文科省がより史料に沿った呼び方にしたいというのは理解できるところだとか。

聖徳太子と呼ばないと、事蹟がおとしめられ十七条の憲法にある「和を以て(もっ)貴(とうと)しとなす」という日本の伝統的な道徳意識が揺らぐと考える人もいるのは驚きだったと感想を表されていました。

歴史教科書は、すべて真実がわかって書かれているわけではなく、謎があるとわかっていても、日本書紀などの正史に書かれていれば、そのまま史実として書かざるをえないもので、何十年も前に教えられたことを真実と思って、単なる呼び名に過ぎない聖徳太子か厩戸皇子かを争うのは滑稽であるとも。

私も呼び名にはこだわりませんが、いつも中身が大切であると感じていますが…

歴史内容にもふれられていましたので、文脈をたどってみました。

  • 厩戸皇子の子、山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)は蘇我入鹿(そがのいるか)によって殺害
  • その後も皇位継承をめぐって皇位継承候補者の暗殺がたびたび起こる
  • 壬申の乱(じんしんのらん)、内乱が起こる
  • 厩戸皇子は蘇我馬子と共同して政治を行う
  • 十七条の憲法や冠位十二階(厩戸皇子だけの功績ではない=日本史学会の常識)

  • 隋書(中国の歴史書)に、当時の朝廷が送った「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」という国書が収録
  • 聖徳太子の対等外交として名高い国書
  • 日本が中国から自立を意図したもの
  • 隋の皇帝・煬帝(ようだい)は、この国書を無礼だと激怒
  • 高句麗遠征を控えていることがあり、返礼の使者を送る

  • 隋書には、この国書を送ったのが阿毎多利思比孤(あめたりしひこ)という男性の倭(わ)王と書かれている
  • 一方、日本書紀では天皇は推古(すいこ)で女性天皇、厩戸皇子は摂政とされている
  • 一般には、隋の使者は接見した厩戸皇を倭王とみなし報告
  • あるいは女性天皇でることを隠したなどと理解されている
  • しかし、齟齬(そご)を重視して推古も厩戸もいなかったとする説も…
  • 日本書紀の記述、十七条の憲法が当時のものであることを疑う説も…

  • 筆者は、聖徳太子が実際に皇位についていたが、天武天皇の父である舒明(じょめい)天皇の皇位継承の正当性を示すために、摂政にとどまったのではないかと疑っていると…

あるテレビドラマで、“歴史は勝者によって塗り変えられるもの”との台詞が印象的でした。また、見る人や見る角度によっても事実は異なるのかも。例えば都合のいいように。約1300年前の事実、史料が重視されることが自然だと感じます。

でも、馴染みは「聖徳太子」ですかね…ひとり言です。