高槻・島本の古代の役所
農林業祭の帰り道、史跡嶋上郡衙跡に思いを馳せて
高槻市のホームページ「史跡嶋上郡衙跡」によりますと、高槻・島本は古代の摂津国嶋上郡にあたり、ここを治めるために置かれた郡役所が、嶋上郡衙(しまがみぐんが)だそうです。都や国の役所にならって、儀式の場・庁院(ちょういん)や税を納める正倉などが整えられていたそうです。
庁院の西側には郡寺(芥川廃寺)、北に位置する式内社・阿久刀(あくと)神社周辺には嶋上郡の郡司(長官)一族の住まいがあり、山陽道をはさんで西方の郡家今城遺跡、南方の津之江南遺跡は、郡衙と盛衰をともにした遺跡と考えられているそうです。
山陽道の北側に郡役所、その西側に郡寺や倉庫群が建ち並び、嶋上郡の政治・経済の中心だったと考えられていますと…市ホームページ
奈良・平安時代の役所あとだったそうですね。ロマンを感じます。昭和46年5月、国の史跡に指定されています。
史跡の中心部にあたる川西小学校北西側の一画には、庁院を3分の1の大きさで平面表示していて、こちらを見学してきました。銘板に説明書きが。
史跡嶋上郡衙跡 <高槻市ホームページへ(想像図が掲載されています)