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党員の皆様に
いつもお世話になり、ありがとうございます。今日の公明新聞の記事です。読まれたとは思いますが、念のため。2013年12月07 2面
【識者に聞くー特定秘密保護法 /首都大学東京法科大学院 /前田雅英教授/国民の利益のため必要/「情報統制」「治安維持法」など 具体的根拠ない批判】
「先進諸国を見ても、防衛や治安に関する重要な情報は「特別扱い」されており、国民の利益のためには特定秘密保護の法制は必要だ。
現在、テロやサイバー攻撃などを防ぐためには、国際的な連携が前提となっている。しかし、海外諸国は日本に重要情報を提供すると、その情報が漏れてしまうと思っている。
日本は世界でも極めて民主的な国で、日本ほど表現の自由が保たれている国はまれだ。ただ、今まで日本は国家の重要秘密があまりにも漏れすぎだった。
北朝鮮による拉致問題でも外交カードになり得た重要情報が先に報道されたことの問題を指摘する声もある。私も、あるアメリカの高官から「今のままでは日本に情報は出せない」と何度も言われた。領土問題などに関してアメリカと情報を共有せずに適切な対応ができるのか。特定秘密保護法は、世界の標準からいって、ごくごく常識的な法律だと理解してほしい。
マスコミは「国民の懸念を払拭できていない」と言うが、国民が懸念を持っているというよりは、一部のマスコミが懸念を煽っているように感じる。
国会でも衆参ともに3分の2の勢力にあたる自民、公明の与党と日本維新の会、みんなの党が修正で合意したように、大方の人がこの法律の必要性を認めていると思う。この法律は衆議院で40時間かけて議論した。今国会で議論された他の法律を見ても、あれだけ密度の高い議論はされていないし、マスコミが騒ぐほど拙速ではない。
社民党などが安全保障の秘密保護と知る権利を両立させる「ツワネ原則」を主張しているが、中身をよく読むと秘密保護法の必要性を暗に認めている。他の野党も、掘り下げた質問はできなかった。
「情報統制」や「戦前の治安維持法に戻る」などの批判があるが、具体的な根拠が無いまま尾ひれが付いて大きくなっている。「報道の自由」「表現の自由」「知る権利」については公明党の主張で法案に盛り込まれたわけで、保護されることは間違いないだろう。今回の法文は秘密保護と「報道の自由」のバランスも非常によく取れている。
「特定秘密」は、開示か不開示かで争いになった場合、情報公開法で設置された情報公開・個人情報保護審査会によるインカメラ審理(特定秘密の内容を実際に見て審査すること)を受ける場合もある。また、秘密指定の適否は裁判でチェックされる。その時、秘密にふさわしいものでなければ、裁判に負ける。行政が裁判に負けるようなものを秘密に指定するわけがない。
また、法文に「その他」と付いているから曖昧と言うが、刑法の中に「その他」の文言がいくつ入っていると思っているのか。
私の知る法律学者を見ても、ごく一部の学者だけが反対しているだけで、この条文を不明確だとは思っている人は少ない。今までの広い秘密の概念に比べれば、重要なものが絞り込まれ、その意味では重要な秘密の範囲は明確になる。
特定秘密の取扱者が漏えいした場合の懲役10年以下の刑について厳罰化という議論があるが、国際的に見てもアメリカは極刑まであるから、厳罰化と言えるのだろうか。日本では窃盗でも懲役10年以下だ。」
党員のみなさまへ
特定秘密保護法案について
いつもお世話になり、ありがとうございます。特定秘密保護法案について、問い合わせもありましたので、遠山清彦衆議院議員の11/27日のツイッターを紹介します。(文字ばかりですみません)
昨日衆院を通過した「特定秘密保護法案」について、メルマガで説明しようと思ったが、まとまった説明文を書く時間がないので、SNSで論点を発信することにします。
一部のマスコミ報道には、国民に誤解を与えているものがあるので、それを意識して書きます。
昨日の採決は、「強行」ではありません。なぜなら、みんなの党という野党からも賛成を得ており、日本維新の会も採決を退席したものの、可決された修正案の共同提案者に名を連ねており、与党だけで一方的に可決したわけではないからです。これを「数の横暴」と呼ぶ人がいますが、まったく的外れです。
また、衆院NSC特別委員会の質疑時間も44時間に達しており、与党としては慎重審議に値する時間を取ったと言えます。野党やマスコミの一部は、時間不足だとか「なぜ今なのか」と言いますが、議事録を見れば、野党議員が同じ質問を繰り返していることが一目瞭然です。
今回の法案を「現代の治安維持法」などと呼ぶ批判も、何の根拠もありません。目的は治安維持ではなく、国民の安全や国益を守るための情報が漏えいしないようにすること。
そもそも、そういう守るべき情報が国家にある、という点については、与野党で共通認識があります。個人でも、クレジットカードの暗証番号は人に教えられない秘密ですし、家庭でも会社でも公開できない秘密は必ず存在します。国家にも当然あります。特定秘密として想定されている数が、42万と報道されていますが、そのうち9割が情報衛星の写真であることが意外と知られていません。
国家の情報は国民のものであり、原則公開されるべきだ、という意見に私は賛成です。「国民の知る権利」という憲法が保障する権利に基づいて考えれば、そうなります。
ただし、公開することで国益が損じられ、結果として国民生活に重大な影響を及ぼす情報を特定し、一定期間秘密にする必要はあります。
特定秘密にすべき情報は、なるべく限定的にすべきであり、今回の法案では大臣や官僚が法律を恣意的に拡大解釈することを禁じています。「法の適用に当たっては、これを拡張して解釈してはならず、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならない」(第21条)これは、公明党の修正。
「法律で拡大解釈が禁じられていても、政府が勝手に秘密を作ることをチェックできない」という反論がる。しかし、政権交代が起こった場合、前政権の大臣が恣意的に特定秘密を作っていたことは、すぐ判明するわけで、違法な特定秘密を作ろうというインセンティブは働かないはずだ。
さらに、公明党の主張により設置が決まった「有識者会議」も重要だ。「何を特定秘密にするか」という基準は、政府外からの専門家が入るこの会議が定期的にチェックする。外部の専門家の関与があるので、政府が自由に特定秘密を作れるわけではない。与野党修正により、政府は、毎年、有識者会議の意見を付して、特定秘密の指定・解除および適正評価の実施状況について国会報告し、公表すること、になった。
ということは、毎年、これらの内容は新聞等に報道されるということだ。秘密の具体的中身は出せないが、秘密の数の増減などは、毎年公開される。
もうひとつの批判論点として「国に対する取材が委縮する」などがある。国の特定秘密を取材したら懲役刑などの重罰があるので、委縮すると。しかし、普通の今までの通りの取材活動で特定秘密を仮に入手しても、漏えいした公務員は罰せられるが、入手した側は罰せられません。
「人を欺き、人に暴行を加え、もしくは人を脅迫する行為により、または財物の窃取もしくは損壊、施設への侵入、有線電気通信の傍受、不正アクセス行為」(第23条)などの方法により特定秘密を入手した場合に、罰せられることになっていますが、それ以外の通常の取材での入手は問題ありません。
国会議員すら特定秘密にアクセスできない、という批判論点もありましたが、これも与野党修正で改善されています。国会に特定秘密情報に関する委員会や組織を作り、漏えい防止対策をした上で、必要があれば、米国議会のように秘密会形式で国会議員が特定秘密情報の提供をうけることができる方向になった。
政府が信用できない、法律の拡大解釈を必ずやり、運用で国民の権利を侵す、という意見をもつのは自由です。私たちは、しかし、そういうことがないように、全力を尽くします。14年前に国会で大騒ぎになった「通信傍受法」は当時「盗聴法」と呼ばれ、マスコミの強烈な批判にさらされました。通信傍受法が可決された当時のマスコミ論調には、「これで国が勝手に国民の会話を盗聴できる道を開いた。戦前回帰だ。」というものまでありました。あれから、14年たちましたが、今そう書くマスコミはありません。通信傍受は、薬物犯罪組織幹部などに対し、毎年行われているのに、です。通信傍受法に基づく犯罪組織に対する盗聴は、毎年数十件行われ、その結果逮捕に結びつく成果もあげています。一般国民の会話を盗聴した例は、私の知る限りありません。
いずれにせよ、基本的人権の尊重は日本国憲法の大原則、それを侵す法律を作ろうという人は、今の政権与党にはおりません。
戦後日本になり68年。日本は成熟した民主主義国家になりました。戦前の統制国家の背景には、隣組があり、憲兵がおり、特高警察があり、そのネットワークの中で、国民の相互監視と軍部独裁による人権抑圧システムが形成されました。現代日本は、その当時とまったく環境が異なると思います。
とはいえ、「権力は、必ず腐敗する」という至言があります。国会議員はこの言葉を常に忘れず、肝に銘ずる必要があると私も思います。常に自戒の念を持ちつつも、国民の生命と財産、自由と人権を守るための政策を考え、実行していく姿勢を堅持していかなければならないと思います。
特定秘密法案の審議は今日から参院で始まりました。衆院審議でもし足らざる論点があるならば、参院で大いにやってもらいたい。衆院審議と重複しない重厚な質疑を期待しています。
批判は大いに結構だと思います。それに耐えられなければ、よい法律と制度になりませんから。政府もしっかり答弁すればよい。
今から与党安保PT会合、続いて公明党外交安保調査会の会合。防衛大綱の見直しなど。仕事が次々とある。
以上です。
平成25年10月25日
党員のみなさまへ
いつもお世話になり、ありがとうございます。問い合わせもあり、最近の公明新聞からの抜粋ですが、少しまとめましたので、報告致します。
公明新聞:2013年10月24日(木)付
日本版NSC(国家安全保障会議)の創設に向け、政府は関連法案の今国会成立をめざしている。
背景
● 防衛大綱をはじめ、わが国の外交・安全保障政策は現在、政府の安全保障会議で審議、決定されている。2001年に発生した9.11米国同時多発テロ以降、世界の安全保障環境は目まぐるしく変化し、現在の安全保障会議では十分に対応できないケースが目立ってきている。
● 日本人を含む多くの犠牲者を出した今年1月のアルジェリア人質事件では、現地からの情報を得ることが難しく、数多くの断片的な情報が錯綜した。対応に当たった菅官房長官は自身のブログで「情報が集約されずに、個別に官邸に報告され、各省庁の連携も不十分といった実態を目のあたりにした」と、省庁縦割りの弊害を指摘している。国内外の情報の集約・分析能力を高める体制を構築しなければならない。
● 現在の安保会議は防衛大綱など国防に関する重要事項を審議することが大きな役割になっている。審議のテーマが限られており、わが国の外交・安保戦略を実質的に議論するには限界がある。構成メンバーも9大臣と多いため、機動的な開催が難しく、「形式的決定の会合になっている」(内閣官房)のが実情だ。
● 現在の安保会議には事務を受け持つ専任のスタッフ組織がなく、サポート体制も不十分だ。現在は内閣官房副長官補と、そのスタッフが他の事務を行いながら、安保会議の事務を担っている。
● 予測が困難なテロなどの発生に備えるには、平時から情報収集に努め、緊急事態への対応方針などを日常的に議論する体制整備が欠かせない。安保会議の抜本的な機能強化を急がなければならない。
内容 わが国の外交・安全保障政策の司令塔機能を強化する
【日本版NSC法案のポイント】
● 4大臣会合を新設。国家安全保障に関する外交・防衛政策を日常的に審議するほか、中長期的な戦略などの基本方針を定める
● 国家安全保障担当の首相補佐官を常設。補佐官は4大臣会合に常時出席し、助言できる
● 内閣官房に事務局となる国家安全保障局を新設。府省庁間の調整や政策の企画・立案を行う
● 情報集約を強化するため、各府省庁に連絡官を置く。府省庁は情報や資料を定期的に提出する
最大の課題は情報管理の在り方。審議の仕組みを整えても、機密情報などの質の高い情報が入ってこなければ、十分な機能を発揮できない。情報漏洩を防ぐ対策が不可欠だ。
政府は、機密情報を漏らした国家公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案を近く国会提出する方針だ。当初の政府案では国民の「知る権利」や「報道の自由」が制限される懸念があったが、公明党の強い要請で修正された。政府・与党は日本版NSCと特定秘密保護の両法案の早期成立をめざす。
公明新聞:2013年10月23日(水)付
※特定秘密保護法案
安全保障に関する(1)防衛(2)外交(3)特定有害活動(スパイ行為)の防止(4)テロリズムの防止―の4分野で、特に秘匿の必要がある情報を特定秘密として指定し、これを公務員らが故意に漏らした場合、10年または5年以下の懲役などを科すもの。過失の場合は、2年または1年以下の禁錮などが科される。
特定秘密を取り扱う国家公務員や防衛産業などの一部民間業者は、情報を漏らす恐れがないかを判断する適性評価を受けなければならない。特定秘密の指定期間は5年以下だが、更新や途中解除される場合もある。
自民、公明の与党両党は22日、政府が今国会に提出を予定している特定秘密保護法案※を了承した。同法案の必要性や政府との調整で公明党が修正させた内容について、同法案に関する党検討プロジェクトチームの大口善徳座長(衆院議員)に聞いた。
【なぜ特定秘密保護法案が必要なのか。】
大口善徳座長 大きく分けて2点言える。一つ目は、国と国民の安全を守るため、外交、防衛、国際テロ、大量破壊兵器など重要な安全保障に関わる情報の管理を徹底し、諸外国や国際機関と十分に共有することだ。情報管理体制がしっかりしていないと、他国から「日本では機密が漏れるかもしれない」と見られ、十分な情報が得られない可能性がある。
二つ目は、外交・安全保障の司令塔として政府が設置をめざす日本版NSC(国家安全保障会議)に正確な情報を提供するためだ。縦割り行政で今まで情報共有が不十分だった各省庁が、共通ルールの下で機密の保護と共有を促進。それをNSCが吸い上げることで、正確な情報に基づいた議論を効率的に行うことができる。
【国民の不安解消へ、公明党が政府と調整して修正した点は。】
大口 一番不安なのは、政府が都合の悪い情報を隠してしまうといったことだと思う。そこで公明党は、特定秘密が行政によって恣意的に指定されないようにするための有識者会議設置を強く求め、条文に明記させた。
同会議には、情報保護の専門家だけでなく、情報公開、公文書管理、報道、法律の専門家らがメンバーとなり、特定秘密を指定する際の統一基準作成や、特定秘密指定の解除、更新、特定秘密を取り扱う国家公務員らの適性評価などを議論・提案し、実施状況の報告も受け、意見を述べる。
また、国民の「知る権利」を守るため、報道または取材の自由に十分に配慮するという規定を設けたほか、取材行為が法令違反か「著しく不当な方法」でなければ罰せられないとし、取材者が萎縮しないように配慮した。
【特定秘密が公開されないのでは、と危惧する声もある。】
大口 特定秘密の指定期間が計30年を超えて延長される場合には、その理由を示した上で内閣の承認(閣議決定)を得る必要があると規定した。なお、法案で定める特定秘密は情報公開法の適用対象となっており、「情報公開・個人情報保護審査会」が特定秘密の中身を見る、いわゆる「インカメラ審査」が行われる。
このほか、明治18年(1885年)に日本で内閣制度が生まれてから一度もなされてこなかった、閣議の議事録作成と一定期間後の公開を義務付ける 公文書管理法改正案の提出を政府に求め、安倍晋三首相から法案を提出するとの答弁(18日の参院代表質問で公明党の山口那津男代表に対して)を得た。
さらに公明党は10月22日、公文書の情報公開などを推進するためのプロジェクトチームを発足させた。今後、活発に議論していく予定だ。
以上長くなりましたが、すみません。
もうひとつ、私が誇りに思うものがあります。この参議院選挙に臨む、公明党の候補者です。もちろん、彼らはきわめて優秀な人材です。ただ彼らは生まれながらのエリートではない。
自分の意志で自分の道を選び、努力に努力を重ねて来た「ふつうの生活者の心を持つ」人間です。
市井の人々がいま何を考え、何に心を痛め、どうありたいと願っているか。それを誰よりも知り、選挙に立ちました。そのことが党代表である私にとって、どれほど頼もしく、心強いことでしょうか。
いよいよ、こんどの日曜日は参議院選挙の投票日です。
この国の政治に生活者の声がもっと生かされ、人々にすこやかな日々が来るために、
公明党が考えるのは、いつもそのことです。なぜなら、それを持っていれば、
政治は絶対にまちがうことはない。誤った道に迷い入ることはない。そう信じるからです。
母は、子の無事を祈ります。からだをこわしていないか。きちんと食べているか。
からだに悪いものを口にしていないか。危険な目に遭っていないか。争いごとにまきこまれていないか。
お金に苦労していないか。汚れた空気を吸っていないか。今のことだけじゃない。自分がいなくなったあとの、子の遠い未来のことまで心にかけ、幸せになってほしいと願う。
それが母親です。この「母親が望むこと」は、そのまま、この国の政治が、この国の人々に望むことでなければならない。公明党はそう思っています。
さらに、「母の心」は日本だけのものではない。どの国に生きる母も「母の心」を持つように、どの国の政治も、この「母の心」を失わなければ、この星で起こっている悲しいでき事は、もっと、もっと少なくなるでしょう。
この平和が、10年後も、50年後も、100年後もつづきますように。
公明党がいれば安心。ひとりでも多くの人にそう言われるように、これからも努力していくことを誓う、2013年の夏です。
2012.12.18森田実の言わねばならぬより転載
「最も正しき戦争よりも、最も不正なる平和をとらん」(キケロ)<略>安倍晋三氏は、石原慎太郎氏(日本維新の会代表、前東京都知事)と同様、極右の政治家と見られています。<略>日本のなかで極右化しているのは自民党と民主党と日本維新の会とみんなの党と東京の大マスコミだけです<略>平和の党・公明党が自民党と連立政権をつくり、公明党が自民党の極右化を止める役割を果たすことです。ここに自公連立政権の最大のメリットがあります。公明党の平和主義が日本を救うのです。<略>。公明党と支持団体の創価学会は、平和を守るためには命をもかける平和主義者の集団です。<略>公明党が自民党と連立政権を組むことによって、自民党内の戦争勢力の勢いを止めることができるのです。
2013.5.4朝日新聞
96条改正は「裏口入学」。憲法の破壊だ 小林節・慶大教授〈憲法学〉
私は9条改正を訴える改憲論者だ。自民党が憲法改正草案を出したことは評価したい。たたき台がないと議論にならない。だが、党で決めたのなら、その内容で(改正の発議に必要な衆参両院で総議員の)「3分の2以上」を形成する努力をすべきだ。改憲政党と言いながら、長年改正を迂回(うかい)し解釈改憲でごまかしてきた責任は自民党にある。
安倍首相は、愛国の義務などと言って国民に受け入れられないと思うと、96条を改正して「過半数」で改憲できるようにしようとしている。権力参加に関心のある日本維新の会を利用し、ひとたび改憲のハードルを下げれば、あとは過半数で押し切れる。「中身では意見が割れるが、手続きを変えるだけなら3分の2が集まる。だから96条を変えよう」という発想だ。
これは憲法の危機だ。権力者は常に堕落する危険があり、歴史の曲がり角で国民が深く納得した憲法で権力を抑えるというのが立憲主義だ。だから憲法は簡単に改正できないようになっている。日本国憲法は世界一改正が難しいなどと言われるが、米国では(上下各院の3分の2以上の賛成と4分の3以上の州議会の承認が必要で)改正手続きがより厳しい。それでも日本国憲法ができた以降でも6回改正している。
自分たちが説得力ある改憲案を提示できず、維新の存在を頼りに憲法を破壊しようとしている。改憲のハードルを「過半数」に下げれば、これは一般の法律と同じ扱いになる。憲法を憲法でなくすこと。「3分の2以上で国会が発議し、国民投票にかける」というのが世界の標準。私の知る限り、先進国で憲法改正をしやすくするために改正手続きを変えた国はない。
権力者の側が「不自由だから」と憲法を変えようという発想自体が間違いだ。立憲主義や「法の支配」を知らなすぎる。地道に正攻法で論じるべきだ。「96条から改正」というのは、改憲への「裏口入学」で、邪道だ。(聞き手・石松恒)
北斗七星 2013年05月04 公明新聞 1面
法の話というと、難しい印象がつきまといがちですが、極力、分かりやすく努めます。憲法96条の話です。条文では、憲法改正を発議するためには衆院と参院でそれぞれの総議員の3分の2以上の賛成が必要と定めています◆いま、この規定について、過半数の賛成でよしとするとの主張が、にわかに出ています。しかし公明党は、「どこをどう変えるのがふさわしいかという議論がないまま」、改憲のためのハードルだけを引き下げようとしている点に、懸念を示しています◆気鋭の論客として知られる荻上チキ氏は、「いつの時代も、要所要所で、憲法をめぐる議論というのがさかんになりがちで、しかしその多くは、憲法をめぐる大前提である『立憲主義』さえ知らなそうなシロモノがずらり」と自著で指摘します◆憲法は権力者の権力乱用を抑えるためにある。これが日本の憲法を支える立憲主義です。本紙6面に連載された「政治のハテナ」で、専修大学法学部の岡田憲治教授も「憲法は国民のための道徳律ではなく、『政府が暴走しないように手かせ足かせをはめる』ために存在する」と訴えます◆公明党は、今の憲法を大切にしながら、新しい価値を加えていく「加憲」を提案しています。どこまでも平和を願い求める象徴の日本国憲法。積み上げた議論が必要です。(広)
国民的な憲法論議めざす 2013年5月4日公明新聞
96条改正 「過半数」での発議に慎重 NHK憲法特番で北側副代表
【改憲への考え】
一、戦後日本の平和、発展に憲法が果たした役割は大変大きい。ただ時代状況も大きく変化し、制定時に想定していない事柄、課題もある。必要なところは改正すべく論議することは非常に大事だ。これまで憲法が改正されなかったのは、東西冷戦下で保守と革新がイデオロギー闘争に明け暮れ、中身の議論ができなかった(からだ)。本格的に国民を巻き込んで議論していく時期になった。改憲に必要な国民投票法ができたのは6年前だ。ようやく護憲か改憲かの議論ではなく、どこを残し、どこを変える必要があるかという議論ができる土壌ができた。
【96条改正】
一、(改憲の発議要件を衆参各院の総議員の3分の2から過半数に緩和すべきとの主張があることに関して)権力から国民の権利・自由を守るという立憲主義が憲法の重要な本質だ。だから、最高法規と言われる。そういう観点から考えると、3分の2にはこだわらないが、過半数による議決は一般の法律と同じであり、果たしてどうなのか。硬性憲法の性質は維持すべきだ。96条はしょせん手続き論だ。手続きだけの改正では国民に分かりにくい。中身と一緒に議論すべきだ。
【新しい人権など】
一、環境権やプライバシー権など新しい人権を憲法上に位置付けることは大事だ。国と地方の役割についても、もっと明確に(第8章の)「地方自治」の中で書くべきだ。二院制に関しても、衆参の役割を明確にすべきだ。
【9条】
一、国連平和維持活動(PKO)協力法が公明党も賛成して成立した1992年当時は大きな議論になったが、今や自衛隊のPKO参加に反対する人は少数だ。また、この20年間で、自衛隊の存在・役割を国民は相当理解している。そういう中で、自衛隊の存在・役割や国際貢献活動を憲法の中に明記していく(ことを議論する)のは意味があると思う。
【集団的自衛権】
一、(有識者懇談会が、自衛隊の米軍との共同行動時やPKO参加時などに想定される4類型の各事態などで、憲法解釈の変更や集団的自衛権の行使容認を検討していることに関して)あえて集団的自衛権の解釈を見直さなくても、個別的自衛権の範囲の中で対応可能な場合が多い。PKOのように(国連の)集団的な措置に参加している時の武器使用や後方支援をどの程度認めていくのがいいかについては、自衛権ではなく政策的な問題としての議論ではないかと理解している。
「憲法」改正と改悪 小林 節著 から抜粋
そもそも「憲法」とは何か? 国家という名の政治機関を管理する法
国家権力を統制し、国民の人権を守り、幸福追及を保証する規範
主権者・国民が自らの権利を守り、かつ、自らの幸福追及を守ってくれる機関としての国家権力を管理するマニュアル、それが「憲法」である。つまり憲法とは「国家統治の組織作法の基本法」なのだ。
憲法は本来、国家権力が国民の自由を規制する民法でも刑法でもない。主権者・国民が国家権力つまりは公務員を管理するための法である。その法で一般国民を管理しようとするなどということは本末転倒である。(憲法で国民に国を愛する義務を強制することは筋違いな話。国を愛して欲しかったなら、国をあずかっている政治家たちが良識に照らして良い政治を行えばすむことだ。国を愛することを憲法で国民に強要しようとするなどとは本末転倒である)
「改憲」論議の経緯 「押し付け」憲法か否か?
改憲論議でよく出てくるのが『現行憲法は日本が戦争で負けた時に、アメリカが日本を都合よく不当につくり直すためにマッカーサー元帥が押し付けたものである。』という意見だ。
先の戦争も『一般国民は悪くない。明治憲法に定められた天皇制と軍国主義に問題があったのだから、天皇と軍隊が仕掛けなければ二度と戦争はおきない』そんな解釈の下の定められたのが「憲法前文と9条」である。事実、日本は東西冷戦時代、ソ連中国を目の前に、西側に与しその最前線に立ち、朝鮮戦争、ベトナム戦争では、補給基地としての役割を果たしていたが、「9条」があったため、決して自らは軍隊を出して参戦することはなかった。そのおかげで、一気に奇跡の経済復興を遂げることもできた。9条がなければ、あれほど急速に復興することは難しかったのではないか。こうしたことも背景となって9条信仰は定着していった。
大切なのは内容の善し悪しである
戦前の明治憲法では、天皇主権国家と定められ、国民は「臣民」として、天皇が法律で許す範囲の権利しか享受できず、つまり、人権の保障を受けていなかった。本来、人権は国家に管理されるべきものではないはずだ。さらには統帥権が政治から独立していたため、軍隊が独自に政治的行動を起こせる、つまり、軍国主義の憲法だった。それを新憲法は全面的に翻したのだ。
つまり、日本は、日本国憲法を受け入れたことで、天皇主権国家から国民主権国家へ、人権を保証しさらに、軍国主義から平和主義へと民主的変革を遂げることができたのだ。これはポツダム宣言(終戦)の条件でもあった。
日本国憲法は、「押し付け憲法」だから無効であるといって、明治憲法に戻すことを主張する人々がいるが、それは時代錯誤であろう。国民の人権を無視し、軍国主義に導く明治憲法には、どこかで終止符をうつべきであったのだ。
むしろ私は、歴史の進歩にかなったより良い憲法を手に入れることができたと考えている。歴史の進歩が真理である以上、それを否定することは出来ないはずだ。だから押し付け憲法の無効性を論ずること自体むなしいことだといえよう。
「改憲」は、主権者。国民の権利であり、義務でもある 憲法改正は、大切なわが家の営繕のようなもの
国の主である主権者・国民は、憲法の綻び、つまり、政治や社会生活の現実にそぐわない不具合を発見した時には、まずは憲法解釈で調整できるならばそれを試み、それでも限界があれば現実に合わせて修正する、不断の対応が肝要である。憲法改正とは、国家の主である主権者・国民が幸福に生き続けていくために、国家を正しく運用させていくための調整なのである。
9条 国防の問題は避けて通れない問題だ
憲法9条1項では、日本は戦争を放棄すると定めている。しかし戦争という概念を、国家と国家の武力衝突とするならば、放棄したからと言って戦争が絶対に起こらないかというと、そうではない。例えば「私は泥棒を放棄し泥棒を認めない」と宣言する。しかし、だから私が泥棒の被害にあわないかというとそうではない。泥棒にとって奪い得るものと隙が私にあれば、私はいつでも泥棒の被害にあう可能性がある。それと同じである。
憲法9条1項の「戦争」放棄に加えて、2項では、戦争の道具と資格を持つことも禁じている。つまり日本は「戦力」と「交戦権」を持つことも禁じられているのだ。したがって日本は軍隊を持たずに戦争ができないように見える。しかし、現実には「自衛隊」という、どう見ても軍隊が存在し、日米安保保障条約が結ばれ、他国が侵略してきたならば、米軍と自衛隊という2つの軍隊が迎え撃つぞ、という構えでいる。だからこそ、現実に、日本国民は守られてきたのだ。
戦争と軍隊を否定した憲法9条と日米安全保障条約の一翼を担う精鋭自衛隊が同時に存在している現実を、どう説明すればよいのだろうか。現政府は自衛隊の存在は合憲だという前提で動いている。このやっかいな現実には説明が必要だが、残念なことにこの難解な憲法論理をきちんと説明できる政治家が少ない。それほど憲法9条はわかりにくく、説明が難解な条文なのだ。
独立主権国家である以上、自然権としての「自衛権」は認められる
前提として確認すべきことは、日本が独立主権国家である以上、国家の先天的な権利である自然権(ナチュラル・ライト)としての自衛権は認められているということだ。これは国際法の常識である。
仮に、正当防衛が条文に書かれていなくても、人が人であり、(人間の集団である)国家が国家である以上、当然の権利として認められるはずの権利、それが自然権である。
日本には国家が当然持ち得る自然権としての自衛権が認められるはずだ。つまり、国家であれば、襲われたなら当然、抵抗する権利がある、ということが前提ににあるということだ。自衛権がある以上、自衛権を行使する道具持つことは認めれれることになる。そこに自衛隊の存在可能性が説明できるのだ。
国際法の専門家が見れば、今のままの条文でも、「侵略戦争は出来ないが、自衛戦争はできる」という解釈が成り立つのである。
第一次大戦後、1928年「パリ不戦条約」日本国憲法9条と同じ文言が記されている。「国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する」
これはどういうことかといえば、こちらから他国は襲わない。しかし、自国が襲われた場合には抵抗しても条約違反にならない。したがって「国際紛争を解決する手段としての戦争、つまり侵略戦争」は放棄するが、それは、侵略された場合の自衛戦争をも放棄するものではない、ということなのだ。これは世界の政治家や法律家の間での共通認識、確立された国際慣行としての読み方である。そういう世界の常識の下、アメリカは日本に「国際紛争としての戦争を放棄する」9条1項を与えた。ということは、「侵略戦争は放棄するが、自衛戦争までは放棄していない」とプロなら当然のごとくそう読める条文なのだ。
自衛隊は戦力でない、には無理がある
2項で「1項の目的を達するために戦力と交戦権を持たない」といってしまえば、侵略のための戦力は持たないが、自衛のための戦力は持てることになる。ナポレオンもヒットラーも日本も「民族の自存のため」という「自衛」の名目で侵略していった。つまり、そうなれば自然権としての自衛権の行使、という前提は侵略戦争の歯止めでなくなってしまう。どうする? 2項で禁止しているのは「戦力」なのだから、戦力でなければOKということにしてしまった。これが今の日本である。
政府の論理は、「戦力」とは、単国で他国を侵略できるほどの軍事力をさす。それはたとえば長距離ミサイル攻撃とか、長距離爆撃機で爆弾を投下するとか、空母艦隊から攻撃するといった先制攻撃ができる高度な武器を備えた軍事力のことをさすが日本はそういう高度な武器を装備していない。つまり、自衛隊は日本が攻めこまれたら追い払うだけの装備しか無く、攻め込む能力は持っていない。だから自衛隊は「戦力」ではない、だから自衛隊は合憲だ、こういう論理なのだ。この論理には無理がある。実は、本来的に、侵略するより強い力を持っていなければ自衛にならない。弱ければ自衛にならない。したがって、戦力にいたらぬ弱い軍事力だから自衛隊は憲法違反ではない、という論理は無理な話であろう。
自衛には、侵略された際、一国で抵抗する「個別的自衛」と仲間で抵抗する「集団的自衛」の2つのパターンがある。日本も独立主権国家として、国際法で自衛権を認められているにもかかわらず、政府は、憲法の性格上、個別的自衛権は行使できるが、集団的自衛権を行使することはできない、としている。というのも、集団的自衛権の行使には海外派兵の危険が伴うため、それで憲法違反になる恐れがあるからだ、といわれている。つまり、集団的自衛権は「持っている」のに「使えない」ということだ。しかし持っているのに使えない以上、それは「持っていない」と同じことである。こうした不具合も憲法を改正する際にはきれいに整理しなければいけない。
2013年02月20 1面
自民、公明両党連立による第2次安倍内閣の発足から間もなく2カ月。民主党政権下で失われた政治のダイナミズムをどう回復するか。公明党への期待と併せ、劇作家の山崎正和氏に語ってもらった。(聞き手=論説部・峠淳次)
自公連立政権の誕生から2カ月。まずは、先の衆院選をもう一度振り返っておこう。
ひと言で言うなら、今回の自公圧勝は特段に驚くべき現象ではないというのが私の見立てだ。2009年夏の衆院選で、国民はとんでもない非常識な選択をし、さすがに「これはまずかった」と気が付いて普通に戻った。それだけのことというわけである。実際、選挙結果を受けて公明党の井上幹事長も自民党の石破幹事長も言っていた。「余りにもこれまでがおかしかったので元に戻っただけだ」と。
その「余りにもおかしかった」「元に戻っただけ」という意味内容を私なりに解釈すれば、それは「変革願望の幻滅」であり、その裏返しとしての「現実改善への回帰」と捉え直すことができよう。
思えば21世紀に入ってからのこの10年余、世界は、とりわけ日本は拭いがたい停滞感に支配されてきた。人々は漠とした閉塞感の中で自分の立ち位置の決めにくさに苛立ち、そのことがさらに新たな混迷を生んで、社会に「変革願望症候群」とでも呼ぶべき現象を引き起こしてきた。
この停滞感がはなはだ逆説的な形で始まったことは容易に理解できよう。東西冷戦の終焉、すなわち一方で社会主義と共産主義の夢が崩壊し、他方、自由主義社会の人たちも冷戦が終わった先にバラ色の時代の到来を夢見たが、それが大錯覚であることにやがて気付き、失望の時代を予見する形で始まった。
失望の時代は予想以上に早く到来し、資本主義が持っている様々な不都合が今や我々の眼前に噴き出していることは周知の通りだ。グローバル化一つをみても、貧富の差は地球規模で拡大し、自然破壊や資源の枯渇も加速する一方にある。イデオロギー対立がなくなった途端、人々はめざすべき方向が分からなくなり、そうした時間経過の中で、政治権力も陳腐化していったというのが冷戦後世界の実相というわけである。
『大停滞の時代「小さな改善の物語」を確実に』
東西対立の崩壊は意外な副作用を招くことにもなった。新しい何ものかが生まれるどころか、近代文明の重要な一側面である「国民国家」の相貌をその成立当初の粗野な姿に逆行させることになった。19世紀的と呼ぶほかないような、国益丸出しの露骨な対立がむき出しになり、どの国も自国中心主義に幼児返りしてしまったように映る。
こうした地球規模の手詰まり感を打破するものとして期待されるのが科学技術だが、残念ながら革命的と呼べるような技術革新は20世紀の前半で終わっている。抗生物質、原子力、あるいはジェット機や合成繊維……、基礎的な文明を変えたこうした大発明は、1947〜8年にかけて発明されたゲルマニウム・トランジスタを最後に起こっていない。20世紀後半からの科学技術の進展はせいぜい改良改善の連続であって、今起こっている「IT革命」も、その基礎技術は20世紀前半にできたものだ。
政治的にも経済的にも社会的にも、さらには科学技術に至るまで、我々は「大きな物語のない時代」に生きていることを痛感しないわけにはいかない。
あらためて強調したいのは、そうした時代の空気の中で、誰しもが変革願望を空しく持つようになった点だ。「ともかく今を変えなくてはいけない」「何でもいいから変化が必要だ」とする「変革願望症候群」のまん延である。
そんな焦燥を露わにした象徴的な出来事が、2008年の米大統領選挙だった。オバマ候補はほとんど公約らしい公約を発しないまま、「チェンジ(変革)」というスローガンだけで勝った。
日本でもこの十数年、人々の「変革」への願望は高まる一方だった。「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉首相が総選挙に大勝し、そのあとの民主党のマニフェスト選挙も、「政権交代」を公約に掲げるという異様な選挙を展開した。そうしていずれの場合も、国民は劇的なショーを楽しむかのように目先の変化に快哉を叫んだのである。
まさにここに、今回の衆院選結果が持つ意味内容の大きさがある。つまり、そういう劇的な選挙を2度やってみて、とりわけ鳩山・菅両内閣のひどさを痛感して、ようやく国民は「変革願望症候群」から抜け出したと見られるからだ。
だとするなら、政権に復帰した自民党と公明党が取るべき選択は自明だろう。決して「大きな夢物語」を語るのではなく、今ここにある「小さな現実の物語」をじっくりと落ち着いて観察し、「小さな改善の物語」を確実に紡いでいくことだ。現実政策への回帰、これが夢から覚めた日本が取るべき選択なのである。
今回の衆院選でもう一つ、指摘しておかなければならないのは、にわかづくりの小政党が乱立した中、かえって「政党とは何か」との問いへの解が反面教師として浮かび上がったことだ。このことは国民の投票行動にはっきりと表れたように思う。公示直前まで政治家の離合集散が続き、名前も覚えられないほどおびただしい数の政党が生まれたが、結局はどの党も勝てなかった。3分の1の議席獲得もあり得ると言われていた維新の会も、あけてみたらあの程度だった。
やはり国民は民主党政権下の3年間で学んだのだ。政党というのは、じっくりと熟成するための、いわば酒樽のようなものだと。政党とは、一定の幅の中で信念や政策を共有する集団なのであって、しかも一定程度以上の期間にわたり続いている組織でなければならないのだと。
このことが大事であるのは、多くの有権者は自民党なら自民党、公明党なら公明党という、一定期間の中で醸成されてきたイメージで判断して投票するからだ。にわかづくりの小政党がなべて勝てなかった理由がここにある。有権者の多くは、降って湧いた数多の小党をイメージすることができなかったのである。
もう一つ、明らかになったのは、「政党とは政治家を養成する学校である」との側面だ。この点でも、一定の歴史を持つ政党は、にわか政党との力量差を見せつけた。
例えば自民党なら、その“教育”の手法の良しあしは別として、1年生議員が大臣になるのに10年かかる。その間、政務官や党の部会長などをして政治と政策を学習し、政治家としてのマナーも学ぶ。
公明党も結党50年の歴史を持つ。しかも組織政党だから、党員一人一人までもが学習する場を持っている。側聞するところでは、支持母体の創価学会の中でも、みんなが互いに勉強する場を持っているという。そうした「学校」の中で修練された人たちが党組織のリーダーや政治家になって出てくるという教育機能は、およそにわか政党では真似できないものだ。
この点からも、自公政権には重い責任と使命があることを強調しておきたい。
『隙なき態勢の構築急務』
民主党政権から自公政権に代わっても、日本が直面する難局に変わりはない。いわゆるアベノミクスは、「3本の矢」のうち、短期的な財政出動と金融緩和という2本の矢は当分有効だとしても、三つ目の矢である成長戦略については未知な部分が残る。人口減少や少子高齢化にも即効薬はないし、農業、環境、教育も粘り強く改善していくしかない。当面、自公がやらなくてはならないのはパッチワーク、すなわち破れた箇所を一つ一つ繕って、少しずつ少しずつ直していくことに尽きよう。
ただし、これだけは検討を急ぐべきと思うのは安全保障政策の整備だ。北朝鮮の核・ミサイル開発、中国との尖閣諸島をめぐる問題など、日本周辺の安全保障情勢が厳しさを増す中、備えだけは怠ってはならない。かえって事態を悪化するだけの勇ましい、突出した意見を排するためにも先送りは許されない。
焦点の一つは、自衛隊法の改正だ。早い話、海上保安庁による「警察権」と、自衛隊による「自衛権」の関係も極めて不明瞭と聞く。これでは集団的自衛権以前に、個別的自衛権すらが縛られている格好だ。あるいは、自衛隊が現に行動している海域に限定して、米軍が攻撃を受けたら共同防衛に当たれるようにするべきではないだろうか。
自衛隊の行動基準をめぐる内規の見直しも含め、隙のない防衛警備態勢の構築は急務と言わねばなるまい。
『決定的に重要な科学技術貢献/品格ある 国家へ 紛争調停活動の拡充も』
「世界の中の日本」が進むべき道についても一考察を加えておきたい。
まず第一に、科学技術面での世界貢献が決定的に大事だろう。資源が乏しく、停滞感も漂う社会にあって、それは日本の明日に夢を与えることにもなる。
幸い、科学技術の発展を予感させる萌芽はある。iPS細胞(人工多能性幹細胞)の開発はその象徴だが、ほかにも兵庫県に建設された日本初のX線自由電子レーザー「SACLA」(サクラ)、世界最高水準のスーパーコンピューター「京」など、日本が最先端を走っている科学技術は少なくない。
とりわけ、私が今最も注目しているのは、ADSと呼ばれる技術だ。これは「加速器駆動核変換システム」の略称で、原子炉の核廃棄物に中性子を当て、10万年単位と言われる放射能の半減期を数百年単位にまで短縮する技術である。これが出来たら、使用済み核燃料の最終処分場は必要なくなるわけで、日本が助かるだけでなく、無数の原発を抱えた全世界への大いなる貢献ともなろう。
現在、この研究の先進国は日本とベルギーだが、先行しているのはベルギーらしい。既にベルギーは実証実験装置の建設を具体化させているのに対して、日本はまだ研究室の中での実験段階だという。
その意味で、自公政権が今回の補正予算案の中に科学技術振興予算として1800億円を緊急追加したことを私は高く評価している。これを機に、科学技術分野への政策的援助が格段にアップすることを期待したい。
もう一つ、「世界の中の日本」としてやるべきことは国際援助活動の強化だろう。それも単なる援助でなく、紛争当事者同士の仲を取り持つ調停活動への貢献だ。
実際、フィリピンのミンダナオ島では、国際協力機構(JICA)の仲介でイスラム武装勢力と中央政府との対立を克服するという見事な成果を出している。緒方貞子さんの後を継いでJICA理事長となった田中明彦氏によると、「日本人が間に入るのなら信用しよう」とまでの信頼を両勢力から勝ち取り、停戦協定にまで結びつけたという。
なぜか日本人には、こういうことをできる能力が元来あるようだ。この特質と機能を拡張することで、品格ある「世界の中の日本」像を高めゆくことが重要だ。
『健全な「内なる世論」に立脚した「新しい中道」の追求を』
ある意味で、私は公明党に一つの危機が来ていると思っている。それは日本中が「中道」になったことだ。
結党以来、公明党が中道を標榜し、それで成功したことは周知の事実だ。しかし、東西対立がなくなり、イデオロギー対立がなくなる中で、かつての右も左も限りなく中道に寄ってきた。特に日本の場合は、もともと極端な自由主義者もいなければ、極端な社会主義者も少なかった。所得格差をみても欧米や中国のように極端ではない。
要するに、時代は限りなく中道志向で推移しており、言うならば全部が公明党に近づいている格好だ。その意味での危機が到来しているというわけである。
となると、老舗の中道政党たる公明党は「新しい中道」を模索しなければならない。そこで私が期待したいのは「世論に翻弄されない中道」とでも呼ぶべきものの確立だ。
世論というものは時に極端に揺れるもので、特に今、私が危惧しているのは国論がややもすれば右に揺れているように見えることだ。
そういう中にあって、公明党は組織政党として確かな支持基盤を持ち、非常に安定した世論、いわば「重し」みたいなものを内部に持っている。外の世論が極端にブレても内部世論はあまり揺れないという構造を持つ。支持母体の創価学会を含め、内部で会話が交わされ、そこから世論が形成されている。だから極端な意見が形成される余地は小さい。
訪中した山口代表と習近平・中国共産党総書記との会談が実現したのも、長期にわたる公明党と中国との友好関係に加え、そうした政党としての安定感への信頼と期待もあったはずだ。現実的にも、「内なる世論」は政権パートナーたる自民党との関係をもよくしていると私は見ている。
この強みをさらに磨き、「揺れない中道」「新しい中道」を理念と実践両面で追求してほしい。

